誘拐

第29話 誘拐1

「御家老様は月守さまを橘さまだと思いますか?」

 狐杜を乗せた駕籠かごとともに歩きながら、家老がぼんやりと先程の月守の仕草を反芻はんすうしていると、喜助が遠慮がちに声をかけてきた。

わしはあれを橘で間違いないと思うておる」

「う~ん、おいらはなんだか違う気がして」

 家老は肯定も否定もせずにいた。喜助がなぜそう思うのか知りたかった。

「おいら月守さまが殺し屋をあっという間にたたんじゃったのをこの目で見てるから、あの人と橘さまが同じ人間とは思えないんです」

 間が空いた。自分の言葉がどう受け取られているか、様子を見ている間だ。家老は目で続きを促した。

「確かに月守さまも頭の切れる方だと思います。そこは橘さまと同じです。でも橘さまは月守さまのように寡黙かもくじゃなくて、もっとお喋りもしてくださるし、いつも微笑んでました。月守さまはほんのちょっとも笑顔を見せません」

 また黙り込む。駕籠の中の狐杜に遠慮しているのだろうか。聞こえることもないとは思われるが。

 喜助は橘にはよくなついており、城で一番の信頼を寄せている。そもそも橘は穏やかな性格で、喜助だけでなく、姫、若、小夜と子供たちには大人気だ。あの柔らかい物腰と優し気な笑顔が子供たちには安心できるのだろう。

 だが。

「橘はもとからああいう性格だったわけではない。城に来て、繁孝さまと心を交わすうちにあのような穏やかな人間になったのじゃ。儂が最初に出会った橘は、無口で賢く、鋭利な刃物のようにとても危険な存在だった」

「え? 危険?」

 喜助がそう問い返したときだった。三人の男たちがどこからともなく現れて、彼らの前に立ちはだかったのだ。

「何奴じゃ!」

 家老が鋭く叫んだ瞬間、忍装束しのびしょうぞくの男が喜助を引き寄せ、その喉元に短刀を突き付ける。ヒッと喜助が短く息を吸うのが聞こえる。

「動くな。大人しくしていれば子供も殺しはせん」

 これだけで家老は動きを封じられる。一人ならどれだけ強かろうと、人質を取られては丸腰と変わらない。

「おっと、駕籠も下ろさずにいてもらおうか。この者たちが案内する。ついて行け。おかしな真似をしたらお主ら二人とも今夜の月は拝めないと思え。意味は分かるな?」

 駕籠屋のかつぎ手の二人は慌てたように「へい」と返事をする。今頃心の中では「とんでもねえ客を乗せちまった」と思っているに違いない。

 頭巾ずきんを被った二人の侍風の男に前後で誘導されながら駕籠は止まることなく先に進んでしまう。中では狐杜が恐怖に身を縮めているだろう。小さくなっていく駕籠を見ながら、家老は身じろぎひとつできずに刀の柄に手を置いたまま歯ぎしりした。

 やがて狐杜を乗せた駕籠が見えなくなると、喜助を押さえていた男はふところから何かを取り出して地面に投げつけた。

 一瞬のうちに辺りは煙に包まれ、何も見えなくなる。

「喜助!」

「御家老様、大丈夫です、無事です」

しばらくして煙が晴れてきた。風のないことを恨んだが、男が既にいなくなっており、喜助が無事であったことには感謝した。

「奴めは?」

「煙が出てすぐにおいらから離れました」

「勝孝め、しのびのものを雇ったか。喜助、すぐに戻るぞ」

「どちらに?」

「月守殿のところじゃ」



 月守は眉根を寄せたまま黙って家老の話を聞いていた。あれから半刻も経っていないというのに、もう狐杜が勝孝の手に落ちたのだ、表情も渋くなる。

 喜助に至っては先程から泣いてばかりである。

「きっとおいらが駕籠を呼びに行った時から後をけられてたんだ」

「いや、きっと最初に二人がここに来る時からだよ。でも心配すんな、狐杜は小っちゃい頃からおいらとメチャクチャやってんだ。一人でも頑張れる。とにかく喜助のせいじゃねえ。おめえは泣くな」

 泣きながら何度も謝る喜助を与平はひたすら宥める。――あいつなら大丈夫。

「月守殿、どう思われる」

 一通りの説明を終えた家老に意見を求められた月守は、どこへともなく視点を合わせて口を開いた。

「狐杜殿を殺す気ならこんな面倒なことはせぬ。恐らく『橘』をおびき出すための罠。姫を人質にして橘を呼び出し、橘を確実に始末してから姫を始末する、と考えた方が良かろうかと」

「月守殿があちらの手に渡るまでは狐杜殿は無事ということか」

「人質は無事でなければ使い物にならぬ。死体では取引にならぬゆえ」

 喜助の隣で肩を寄せていた与平が何かを思いついたように「じゃあさ」と言いかけた。

「狐杜を使って月守さまに酷い事をしようとしてる時に、本物の姫様を出したらどうだ? お前らが捕まえたのは普通の関係ない子だぞって脅すんだ」

「そのようなことをすれば、その場で狐杜殿は殺されるだろう。真実を知ってしまったのだからな」

「あー、そっかぁ。ったく、さっきからなんで月守はそういうことに頭が回るんだよ、まるで殺し屋じゃねーか」

 普通に考えたらそうだろうという顔をしながら、月守は続けた。

「いずれにしろ何かしらの接触はあろう。それまで私はここで敵の動きを待つゆえ、本間殿は城に戻り、勝孝殿の様子を探っていただけぬか」

「承知つかまつった。儂はあまり城から離れられぬゆえ、ここへの連絡は喜助に任せることにしよう」

 眉間に寄ったしわが戻らぬままの家老は、まだ半べそをかいている喜助を連れて出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る