第11話 仕事2

 翌日も天気が良かったので、朝から与平は魚を獲った。ある程度獲れたところで街に魚を売りに行き、その間に月守と狐杜で簗を仕掛けてみることにした。

 狐杜は前日の月守の早業をもう一度見たいと言ったが、銛漁で得た魚は良い値で売れないと諭された。ここに月守がいる限り何度でも見ることができるのだからと、自分を納得させて諦めたようだった。

 昼前に戻って来た与平は、月守と狐杜の戦果にひっくり返った。

「二人でこんなに獲ったのかよ。こりゃあ昼から二往復しないと」

「あたしも一緒に行くから一回で大丈夫だよ。権八ごんぱちさんに売ってもらうんでしょ?」

「もちろん、おいら一人じゃこの量は捌ききれねえ。狐杜も一緒に行くなら一度で運べそうだな」

 二人の会話を聞いていた月守が「私が運ぼう」と申し出たが、どうやら狐杜は他にも買いたいものがあるらしい。

 お袖が作っておいた三葉みつばの薄い味噌汁を昼食にし、午後からは狐杜と与平で魚を背負って町に出た。月守は大人しく留守番をすることになった。

 二人が出かけて暇を持て余した月守は、与平とお袖の住むあばら家の屋根や、狐杜の家の戸の立て付けなどを修理して時間を潰した。それでもまだ時間があり、夕食のために大葉擬宝珠おおばぎぼうしの葉を集めたり、食事用の魚をもりで獲ったりしていた。

 月守にとって、銛で魚を獲るのは何故か体が覚えている感覚に近かった。銛など握るのは前日が初めてだったし、これを使った記憶は全くない。だがこれに近い何かを使って、銛漁に近い仕事をしたような気がしていた。それが何なのかは全く思い出せずにはいたのだが。

 お袖はもちろん喜んだ。家は直して貰えるし、水汲みなどの力仕事も与平がいなくても月守がやってくれる。足の悪いお袖にはこの上ない労働力となってくれた。

 さらに彼女は、月守が野草に関する知識を持っていることに驚いた。

 月守はどこからどう見ても農民ではない。町人という感じもせず、かといって武家という感じでもない。言うなれば風流人と言ったところか。

 侍や商人のようにまげを結うこともなく、医師のようにきっちりと髪をひっつめるわけでもない。長い髪をそのまま自然に垂らし、脇腹に穴が開いてはいるものの上質な絹の着物を着ている。なのに、風流人らしからぬ行動がお袖には理解できない。

 上流階級ならば大葉擬宝珠のような野草を食べることもないだろうし、先日は芋とひえのゆるい粥を『特別なご馳走』と言ったらしい。昨夜の魚も銛で獲ったという。しかも銛という言葉すら知らなかったというのに一撃で仕留めたと与平が興奮していた。

 今まで一体何をして生きてきた男なのだろうか、とお袖は首を傾げる。脇腹の怪我は、何かの事故なのか、誰かに襲われたのか。もしも後者なら、二人の子供たちが巻き込まれなければ良いが。

 二人が戻ってくる頃には夕刻になっていた。狐杜は帰って来るなり嬉しそうに風呂敷から組紐くみひもを出し、月守の方へと差し出した。

「これ、月守さまにお土産。髪を下ろしていると邪魔でしょう? まげを結っていなかったのなら、きっといつもは結わえてたんだわ」

 月守は点になった目を狐杜に向けた。

「これを私に?」

「そう! 色がすごーくたくさんあって迷っちゃってね、それで、どうしようかなって言ってたら、お店の人に帯の色を聞かれたの。そしたら明るいなつめ色を薦められてね、それであたしが使うんじゃなくて大人の人が使うからもっと渋いのがいいって言ったらこの色を出してきてくれたの」

 それでこの色になったのかと月守は納得した。

 藍天鵞絨あいびろうどの着物に利休鼠りきゅうねずの帯、店の者はよもや男が髪を結わえるのに使うとは思わずに、地味な色合いの中に差し色をと棗を薦めたのだろう。

 狐杜にもっと渋いものをと言われて余程地味な女と思ったに違いない。それでも江戸えど御納戸おなんどを合わせてくるなど、なかなかに粋ではないか。

 そこまで考えて、月守ははたと思考が停止する。――なぜ自分はそんなことを知っているのだろうか。

「月守さま、自分で結わえられますか? あたしがやりましょうか?」

「心遣い痛み入る。だが自分でできるゆえ心配ご無用」

 月守は組紐を受け取りながら、ポカンとする狐杜の顔を見てその表情の意味するところを図りかねた。

「なんだか本当にお武家様みたい。かたじけないとか、心遣い痛み入るとか、あたしたちそんな言葉使わないよ。すまねえなとか、ありがとうとか、そんな感じだもん」

 月守は困ったような顔を見せながらも、手際よく長髪を後ろで一つにまとめた。

 体が覚えているような感じだった。当たり前のように自然に手が動く。普段からこうして髪を後ろで結わえているのか、悩むことなくするりと結んでしまった。

「似合う。月守さま、紫も良く似合うよ!」

 江戸紫ではなく江戸御納戸だがな、という訂正は心の中だけに留め置いて、彼は狐杜に小さく頷いた。

「有難く使わせていただこう。値が張ったのではないのか」

「大丈夫。真っ先に月守さまの髪を結わえる紐を買おうねって与平と相談してたの。その方が月守さまも動きやすいでしょ。それに今日の魚はほとんど月守さまが獲ったんだもん。それにね」

 狐杜はちょっといたずらっぽい目で月守を見上げた。

「滅多にこんな買い物できないから、すっごく楽しかったの、えへへ」

 その瞬間、月守の脳で何かがはじけた。

――この表情、見た記憶がある。

「でもね、帰りに草履売りのおじさんに捕まっちゃって。あたしの草履がもうボロボロだったもんだから、安くするよって言われたんだけど。まだ履けるからって断っちゃった」

 言われてみれば狐杜の草履はだいぶくたびれている。与平に至ってはもうり切れるのも時間の問題というようなものを意地で履いているようなところがある。ちょっと直す程度ではもうもたないだろう。

「だから次に魚を獲ったら草履を二つ買おうねって約束したの」

「その約束、しばし待っては貰えぬか」

「え?」

 唐突な申し出に、狐杜は面食らった。

「私が直せるかもしれぬ。もしも明日魚を売りに行くなら、わらを一抱え、農家から買って来ては貰えぬだろうか」

「そんな事なら今から行って来るよ」

「今?」

「うん、与平と一緒に行くから心配しなくていいよ。お留守番お願いね!」

 即断即決、彼女はあっという間に出て行った。

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