木槿山の章

あばら家

第6話 あばら家1

狐杜ことちゃん、随分と腕を上げたねぇ。この調子なら松原屋のお嬢さんの着物を仕立てる日も、そう遠くないんじゃないのかい」

 緊張の面持ちでおいちの言葉を待っていた狐杜は、やっと肩の力が抜けたように笑顔を見せた。

「良かったぁ。やり直しって言われたらどうしようって思ってたの。自信作だったから」

「何言ってんだい。あんたにはおそでさんがついてるんだから、絶対に上手くなるさ。それに狐杜ちゃんは元々が器用だからねぇ」

 お市はもともと狐杜の師匠であるお袖の仲介屋だったが、狐杜が一人で着物を仕立てられるようになってからは、こうしてあちこちに声をかけて彼女の仕事も取って来てくれるようになった。両親のいない狐杜にとって、お市は『町のおっ母さん』のような存在だ。

「もう次の注文が入ってるんだよ。これ、持ってっとくれ」

「ありがとうございます。がんばります」

 お市はチラと与平よへいに目をやると、「こっち」と手招きした。

「あんた今日は荷物持ちだろ。今回の報酬は芋だからね。重いよ」

「そのために呼びだされたんだ、任せとけって」

「おやおや、与平はもう狐杜ちゃんの背を追い越したんだねぇ」

「狐杜が寸詰まりなだけ――うおっふ!」

 狐杜の一撃を脇腹に食らって、一瞬息が止まったようだ。

「いいからさっさと背負う! お市さんありがとう。着物が仕上がったらまた来ます。ほら与平、行くよ」

「おやまあ、今から尻に敷かれちゃって。与平、頑張りな」

 半分からかうようなお市の激励を背に、与平は芋の入った籠を背負い、狐杜は反物を包んだ風呂敷を持って外に出た。

 いい陽気の日だ。すれ違う花売りの声も二人には心なしか弾んで聞こえる。

菖蒲しょうぶか。蛍袋ほたるぶくろ夕化粧ゆうげしょうなら、うちの周りにたくさん生えてるのにな」

「与平ったら今度は花売りを始めるの?」

「まさか。しじみがおいらには向いてるさ。今日も魚獲りに行くぞ、狐杜も来るだろ」

「うん」

 狐杜がじっと見つめると、与平は「なんだよ」と慌てたように顔を逸らす。

「知らないうちに丈が追い越されたね」

「当たり前だろ。男の方がでかくなるに決まってんだ」

「だけどずっとあたしより小っちゃかったじゃない」

「二つも違うんだから当たり前だろ」

 狐杜は今年数えで十六、与平は十四、だが小柄な狐杜は身の丈四尺七寸、黙っていれば十二くらいにしか見えない。

 一方の与平も小柄ながらも四尺八寸はある。昔は姉と弟のように見えていた二人も、今ではすっかり兄と妹のようである。

 だが、与平としては狐杜がいつまでも自分を弟扱いするのが気に入らない。背も大きくなったし、彼女の代わりに芋だって運んでやれる。いつまでもガキじゃねえんだよ、などと思っても口にしようものなら笑われるだけなので、そこは黙っておくのだが。

「松原屋さんのお嬢さんみたいな着物、着てみたいなぁ」

「え?」

「ほら、あそこのお嬢さん、あたしと同い年でしょう? だけどあたしこんなだし。着物もおっ母さんのお下がりだしね」

 与平は何も言えずに押し黙る。

 狐杜も年頃の女の子だ、華やかに着飾ってみたいのだろう。狐杜だって素材は悪くない、きっと彼女のことだから明るい色の着物も似合うに違いない。

 だが、何を言ったところで運命が変えられるものでもない。

 それにもし、狐杜が松原屋のお嬢さんだったら与平と知り合うこともなかっただろう。そう考えると、これはこれで幸運だったのかもしれない。少なくとも与平にとっては。

「柳澤のお姫様はどんなお着物をお召しなのかなぁ。きっとあたしなんか一生お目にかかれないんだろうな」

「姫様は好き放題に走り回ったりできないんだぜ。狐杜には無理だろ」

「確かに! あたしには貧乏暮らしが合ってるよ。じっとしてたら死んじゃう」

「良かったな、貧乏人で。たくさん仕事して、そこそこの着物買えれば十分だろ」

「そうだね」

 与平は狐杜の笑顔を眺めながら「いつかおいらが着せてやる」と心に誓った。

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