第6話 あれから。

カランカラン!

と、ある街のカフェのドアが開いて、昔ながらの喫茶店の鐘が一人のお客様が来たことを、知らせた。


「いらっしゃいませ。朱羽子ちゃん、お水、お出しして」

「はい」

何処か哀愁の漂う、見た目から優しさがあふれ出るようなマスターのいる、喫茶店で、今、朱羽子はアルバイトをしていた。






事件以後、朱羽子は施設に預けられ、18歳で施設を出ると、以来、色々な土地を転々として、アルバイトをしながらギリギリの生活をしていた。


自らが引き起こした、恐ろしい事件を、誰にも知られたくなくて、知って欲しくなくて、只々、怖くて、誰も聞いたり見たりした事のない場所に、いるために…。


しかし、朱羽子の頭から、父親、橙史への憎しみと…何故か、右脳から涙が出ているような悲しみが溢れて来るんだ。

止まらないんだ…。


あんなに…毎日のように、髪の毛を掴まれ、引きずりまわされ、顔はすぐ他人に解ってしまうから、お腹や、背中、腕、太もも容赦なく殴られ、蹴られた。


本当に、本当に苦しい日々だった。

けれど、それを上回るほど、心に刻まれた1番辛い思い…重い過去は、橙史を殺してしまった事だ。


朱羽子の手には、いつでもあの時の、包丁の刃先が肋骨に食い込み、心臓に達する鈍い感触、生暖かい血の温度が…まだ、残っていた。

だから、朱羽子は自分の手を洗わずにいられない。

いつまでも、いつまでも、いつまでも…気が付けば、今のバイト先の喫茶店で、お化粧室に行った時、誰かがノックをするまで、手をずっと洗い続ける。


そんな、苦しい日々だった。



それでも、仕方なかったのかも知らない。

どうしようもなかったのかも知れない。

ああしなければ、いつか、虐待死していたに違いない。

朱羽子は、そう言い聞かせて、自分の…自分の命を守るしかなかった。


あれ以来、朱羽子は誰にも心を開こうとはしなかった。

精神科の医師にも、心理カウンセラーにも、…誰にも…。


そうすることでしか、自分を自分の心を、自分のしてしまった過ちを、正当化することが…許す事が出来なかった。


自分に友達なんて必要ない。

自分に恋なんてしてくれる人なんていないし、することも何もかも似合わない。

こんな自分が幸せなんかなれっこない。


そう思う事でしか償う方法が思い浮かばなかった。

でも、もっと朱羽子の心の傷は、今でも残る、父親を殺した罪悪感とは裏腹に、何処か憎しみがにじみ、『虐待される子供は普通暴力を振るわれているのは、自分がいけない子だからと思い込んでしまう』と、自分を責めるという統計を知って、それは、少なくとも朱羽子にだってあった。

でも…そこまでの罪悪感はなかったんだ。

だから…だからこそ、自分が本当は心のない酷い衝動に押されて、可哀想な子なんじゃんかなくて、憎しみに駆られた、只の悪魔じゃないのか…。

苦悩はすべの景色を、灰色の世界にしてしまったんだ。

今でも残る、体中の無数の傷が、朱羽子の癒える事のない傷として心に突き刺さったままだったのだから。


だけど、『タスケテ…』あれは、本当の傷ついた心の悲鳴だった。

だって、私は、ああするしかなかったんだから…。


そんな想いだけしか、そんな覚悟でしか、そう言う境遇でと言うだけでしか、自分の命を、自分が救った自分の命を、守る事など出来なかった…と。

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