41 パーティーが始まる

 王宮で一番の広さを持つピレネー城の間で、パーティーは始まった。

 夜空を流れる星のような光を放つシャンデリア、まるで絵画が飛び出したみたいな色とりどりの料理とお菓子が並んで、会場全体を柔らかく包み込むような弦楽器の音……どれも建国記念に相応しい華美だけど品格のある様子だった。



「オディール……そのドレスは……?」と、アンドレイ様が目を見張って呟くように言った。


「えぇ、式典では殿下の側近の方と色が重なってしまったので着替えましたの。さすがに王子殿下が直々に指名をされた側近が罰せられるのは可哀想ですわ」


 わたしはわざとらしい憐憫の視線を彼に向ける。


「そ、そうか……」と、アンドレイ様は少したじろぐ様子を見せた。


 ナージャ子爵令嬢の罪は重い。下の者が上の者を挑発するような行為はご法度だ。

 礼儀を知らない令嬢だと貴族社会では爪弾きにされる可能性が高いし、仮にわたしがアンドレイ様と婚姻を結んで既に王族になっていたら、それだけでは済まされなかっただろう。


 だから彼女の批判を和らげるためにも、高い身分のわたしが敢えて着替えてあげたのだ。

 ……ま、ドレスコードが昼と夜では異なるので、もとよりイブニングドレスを用意していたのだけど。

 それに侯爵令嬢側が一歩引くことで子爵令嬢の非常識さ――同時に王子の愚かさが浮き彫りになるし、一石二鳥ね。


 今夜のわたしのドレスは鮮やかな赤紫色だ。本当は真紅のドレスが良かったのだけれど、まだアンドレイ様の婚約者なので彼の瞳の色の青い要素をほんの少しだけ取り入れた。

 デコルテが大胆に開いたマーメードラインのドレス。裾は波紋のように広がって、歩くとゆらりと揺れて優雅に泳いでいるようだ。


「変でしょうか?」と、素知らぬ顔で訊いてみる。


「いや……」アンドレイ様は考えるように一拍置いてから「似合っているじゃないか。普段のものより、ずっといい」


「そうですか。ありがとうございます」


 意外な言葉に驚きながらも、ニコリと笑ってみせた。




 わたしとアンドレイ様は王族用の扉から会場へと入場する。すると、瞬く間に貴族たちの注目の的になった。手前から波のようにざわめきが起こる。


 囁き声に耳を立ててみると、その内容は主にわたしのドレスだった。

 彼らは昼に侯爵令嬢が王子の側近の子爵令嬢と色被りをしたことが非常に気になっているようで、様々な憶測が飛び交っているようだ。


 わたしは「なにも知りませんわ」というような澄まし顔で王族用の定位置に着く。数段高いこの場所は会場の様子がよく見えた。


 両親と目が合う。二人とも娘のドレス姿に苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 お母様には今日のドレスを事前に見せていた。でも、それはフェイクだ。

 アフタヌーンドレスは実際に式典で着用したものを見せたが、イブニングドレスは王子の金髪をイメージした黄色のパステルカラーのフリフリした可愛らしいドレスを提示していた。

 それが蓋を開けてみれば胸元が大胆に開いたセクシーなマーメイドドレスだ。両親の驚きは相当のものかもしれないわね。


 不意に視線を感じたので、目を向ける。

 ……案の定、ナージャ子爵令嬢だ。驚愕した様子でまるで珍獣でも眺めるみたいにわたしをジロジロと見つめていた。

 彼女は昼間と同じアンドレイ様の瞳の色のドレスのままで、式典のときより豪華なパリュールを装着していた。それは子爵家の財力では用意できないような最高級品だと一目で分かる宝石だった。

 きっとアンドレイ様が今日のためにプレゼントしたのね。もしかしてあれらも盗品かしら……なんて、他人事のようにぼんやりと考える。


 会場にはガブリエラさんとリヨネー伯爵令息の姿もあった。目が合うなり、グッと親指を立ててくれた。わたしも目線で合図をしながら深く頷く。

 二人の顔を見てなんだか安心したわ。味方がいるってなんて心強いのかしら。




「国王陛下、王妃殿下、及びローラント王国王太子殿下、御成です」


 しばらくして、陛下方の御出だ。ゲストの王太子殿下を伴ってのご臨場である。

 またもや令嬢たちから黄色い声が上がる。昼の式典では王太子殿下と会話をする機会が設けられなかったので、今夜こそはと彼女たちは必死の形相だった。


 わたしは今回も王族の席で貴族たちの挨拶を受けた。若い令嬢は王太子殿下へのアピールに一生懸命で、夫人たちはこれまでのドレス姿とは様変わりした侯爵令嬢に好奇の視線を向けていた。


 時折り、近くに控えている王子の側近の子爵令嬢と見比べられる。どちらに付くか決めかねているのかしら。

 一見すると、王子の寵愛を受けているように思われる子爵令嬢のほうが有利かもしれないわね。




 貴族たちの挨拶が終わったらいよいよ本格的にパーティーの始まりだ。

 まずはファーストダンス。今日は隣国の王太子が来賓なので、彼が最初のダンスを務めることとなった。


 そのパートナーは……わたし、オディール・ジャニーヌ侯爵令嬢だ。


 国の上層部の話し合いの結果、王太子のカウンターパートナーとして一番相応しいのはジャニーヌ侯爵令嬢だろうと満場一致で決定したのだ。


 実は……今夜のドレスはレイと踊るために誂えたものだ。

 本音を言うと彼の瞳の色のドレスを着たかったけど、まだ立場というものがあるから。軽率な行動をしてアンドレイ様たちと同じになってしまうのは嫌だ。貴族としてけじめはしっかりと付けたい。



「殿下、本日はどうぞ宜しくお願いいたしますね」


「こちらこそよろしく、侯爵令嬢」


 挨拶のポーズをして、わたしとレイは手を取り合った。

 途端に指先にバチリと電撃が走る。急激に襲ってきた緊張で身体が鯱張った。いよいよ彼と初めてのダンスかと思うと胸に早鐘が鳴って、弾け飛びそうだった。


 水を打ったように周囲が押し黙る。静寂。カチカチの心臓の音だけが身体中に響いていた。


 ゆっくりと音楽が始まる。

 すっかり冷がって固いままの身体を彼に預けた。


 レイはそんなわたしの様子をまじまじと見つめて、


「今夜は僕と情熱的に踊ろうか?」と、いたずらっぽく笑った。


「そっ、そんな真似できるわけないでしょう? 王宮主催のパーティーよ」


 わたしは思わず言い返す。またからかっているのね。本当に、いっつもふざけているんだから。こんなときまで。


「僕は別に構わないけど?」


「ルーセル公爵令息様に怒られるわよ」


「一緒に怒られよう」


「絶対、嫌」


「つれないなぁ」


「もうっ、真面目にやって。今日は遊びじゃないのよ」


「だんだん指が温かくなってきた。少しは緊張はほぐれた?」


「あっ……!」


 気が付くと、身体中がポカポカと温まってきていた。彼と軽口を叩いていたお陰か、バクバクしていた胸も収まった気がする。


「あ、ありがとう……」


「派手に転ばれたら困るからな」


「転ばないわよ。わたしを誰だと思っているの? 侯爵令嬢、それだけが取り柄、よ!」


「そうだった。僕のほうは王太子殿下、それだけが取り柄さ」


 わたしたちは視線を交差させて、くすりと笑う。そのあとは彼の流れるようなステップに身を任せた。

 なんだろう……不思議な感じ。身体が自由に動き回る。

 アンドレイ様と踊るときは必死になって彼のペースに合わせていたけど、レイはむしろ彼のほうがわたしに合わせてくれて、それでしっかり場をリードして自然と上手く踊れている気がする。


 それに、楽しい……!


 お喋りしながら息を合わせて踊るのって、こんなに楽しくて心地良いものなのね。さっきまで緊張で破裂しそうだった心臓は、今は嬉しく飛び跳ねているようだわ。


 わたしたちは一曲だけの束の間のダンスを、噛みしめるように深く味わった。


 ……曲もそろそろフィナーレだ。

 卒然と寂しさが襲って来る。まばゆいシャンデリアの光も悲しい影を落とした。

 あぁ、もう終わってしまうのなんて嫌だ。このままずっと夜明けまで彼と二人で踊っていたいわ。


 レイが握った手の力が強くなった。名残惜しそうにわたしを見る。思わずわたしも彼に熱い視線を送った。

 でも、もう音楽はおしまい。二人のダンスも終焉を迎えるのだ。


 ピタリと時間が止まって、また静寂が戻って来た。


「ありがとう、侯爵令嬢。楽しかったよ」


「わたしも楽しゅうございました、殿下。ありがとうございました」


 わたしたちは別れの挨拶をする。


 すれ違いざまに、


「また踊ろう。次は、倒れるまで」


 レイがそっと耳元で囁いた。


 わたしは微かに頷く。

 夢のような時間はもう終わり。でも、それはいずれまたやって来るのだ。


 それまでの、お預け。









 ファーストダンスが終わると、今度はわたしの本来のパートナーであるアンドレイ様とのダンスだ。

 わたしたちはホールの中央へと向かう。


「宜しくお願いいたします、殿下」


 わたしは挨拶をして手を伸ばす……でも、彼の手はこちらに差し出されなかった。


 そして、


「オディール・ジャニーヌ侯爵令嬢、あなたとは婚約破棄をする!」



 アンドレイ様の声が朗々とホール中に響いた。

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