26 優美な死骸

 わたしはがっくりと頭を垂れた。驚愕と怒りと呆れ果てて、ぷるぷると肩を震わせる。


 またしても……またしても、またしてもっ…………!

 

 本当になんなのよ、この人はっ!!


 

「ははははっ! 驚いたか!」


 レイはいつもの飄々とした雰囲気に戻って、王族らしからぬ様子でゲラゲラと声を出して笑っていた。

 途端にムカムカと腹が立ってきた。顔を上げて、貫くような目線を送る。


 彼はわたしの怒りの視線などお構いなしに子供のように瞳を輝かせて、


「オディール嬢は絶対ここに来ると思ったんだ。なぁ、驚いた? 驚いた?」


「その辺にしておけ。侯爵令嬢が怒ってるじゃねぇか」


 向かって左側にいる金髪の男性が大きなため息をついた。そしておもむろに仮面を外すと――、


「フランソワ・ルーセル公爵令息様!?」


 それは王太子の側近の公爵令息だった。

 彼とは一度だけ王太子殿下との面会の要請をしにお会いしたことがあったけど、そのときとは打って変わってリラックスしていて砕けた雰囲気だ。


「久し振り、侯爵令嬢。いつもこいつが迷惑かけて悪いね」


「い、いえ……まぁ……そうですわね…………」


 わたしは思わず首肯した。これまでのレイからの仕打ちを思うと「そんなことないですわ」なんて上辺でも言えるわけがない。


 彼は声を出して笑う。


「だよな」


「おれも同意見だ」


 今度は右隣の男性が深く被っていたフードを上げた。

 こちらは初めて見る顔だ。茶色い髪に茶色い瞳、レイやルーセル公爵令息に比べると地味な印象だけど、精悍な顔立ちだ。


「初めまして、侯爵令嬢。おれはジャン・リヨネー。伯爵家の者だ。この古美術店のオーナーで『優美な死骸』の表向きのリーダーだ、よろしくな」


「ご機嫌よう、リヨネー伯爵令息様。わたくしはジャニーヌ侯爵の娘、オディールですわ。あの、表向き、とはどういうことでしょう?」


「あぁ、見ての通りおれたちの真のボスはレイモンド王太子殿下だ。今も偉そうにふんぞり返って座っているだろう?」


「誰が偉そうだよ」


 レイがムッとして尋ねると、


「「レイ」」


 二人が声を揃えて答えた。


「三人は仲が宜しいのですね?」と、わたしはくすりと笑う。傍から見ていてなんだか微笑ましい関係だわ。


「おれたちはガキの頃からの腐れ縁なんだ」とリヨネー伯爵令息。


「そうそう。子供の頃からレイに振り回されていたんだよ」と、ルーセル公爵令息が肩をすくめる。


「そう……でしょうね」と、わたしは苦笑いをした。レイと知り合ってまだ日が浅いわたしでも彼の言動に辟易しているのに、お二人はさぞかしご苦労したことでしょうね。


 チラリとレイを見やると、まだしかめっ面をしたままだった。




「ところで、王宮にも諜報機関があるのに、なぜ別の個人機関を?」


 わたしは首を傾げる。わざわざ二つも同じ目的の機関を設立する理由が皆目見当がつかなかった。


「オディール嬢。情報を収集する際に重要なことはなんだと思う?」と、出し抜けにレイが問いかける。


「えっ……と。正確さ、かしら?」


「そう。それと、スピードだ」


「あっ、たしかに」


 レイは頷いて、


「手札は多いほうがいい。日夜、帝国の脅威に晒されている我々にとっては情報源というものは生命線だ。どんな小さな沙汰も絶対に取り零すことがあってはならない。だから、より早くより正確に。その為に、一つの情報を得るにしても多方面から攻めるようにしているんだよ。ま、ここは非公式だけどね」


「そうなのね。だからわたしのことも色々知っていたのね。凄いわね……」


 素直に彼を尊敬した。普段はおちゃらけている人だけど、国のために表からも陰からも支えているのね。

 ダイヤモンド鉱山でも坑夫たちから慕われていたし、王子としては素晴らしい人徳の持ち主なのかも。


 つい……アンドレイ様と比較してしまう。彼は誰よりも優秀で素敵な王子なのだとずっと思っていたけど………………、

 

 ――と、そこまで考えてわたしは耳を塞いだ。キンと金属音のような不快な音が頭に響く。


 駄目……人と人を比較するなんて下品なことをしたらいけないわ。ましてや婚約者と他の殿方をなんて。わたしったら、なんて最低な人間なのかしら。



「――ちなみに」


 リヨネー伯爵令息の声で、わたしは我に返る。


「組織を立ち上げたのは実質レイなんだけど、おれたち『優美な死骸』は王家とは関係のない独立した機関だ。だからモットーは公正・中立・信頼。依頼人のことは絶対に口外しないし、犯罪にも加担しない。仮に王家の不正を調査しろって言われてたら徹底的に調べるぜ」


「不正なんてやってないが」


「もちろん、罪をでっち上げることも絶対にない」


「……分かりましたわ」わたしは頷く。「では、改めてあなた方に依頼をお願いしたいのです。どうか、アンドレイ王子殿下の身辺について調べていただけないでしょうか?」


「理由は?」


 レイがじっとわたしの瞳を見据える。その紅い双眸ににわかに炎が宿ったようで、トンと胸を突かれたように感じだ。


「り、理由……? えっ……と……」


 わたしは困惑して口ごもった。理由なんてない。ただ、アンドレイ様と…………シモーヌ・ナージャ子爵令嬢のことを知りたいだけ。


「特に、ないわ。ただ……違法競売の件が気になっただけよ」


「僕たちは依頼人に真実を教えている。その依頼人が嘘をついているのなら仕事は拒否するだけだ」


「わたし、嘘なんて――」


「君は本当に妃教育でこっちに来たのか? 残酷なことを言うが、君の婚約者は君のことを大切にしていないようだな。まるでどうでもいい安物の玩具を使い捨てているようだ」


「ちっ……ちが…………」


 息が詰まる。


 違う。違うわ。そうじゃない。

 わたしは生まれたときから彼の婚約者だから、その責務を果たしているだけよ。

 使い捨てなんかじゃ――……。


「レ、レイ、やめろ! なにを言っているんだ。侯爵令嬢が可哀想だろう」


「フランソワの言う通りだ。令嬢に対してそんな酷な言い方はない」


 公爵令息と伯爵令息が慌てた様子でレイを諌めるが、彼は燃えるような視線をわたしに投げたままだ。


「僕たちは依頼人とは信頼関係がなければ仕事は受けない。オディール嬢、君はなぜ、この国に来たんだ? なにをしに来たんだ?」


「わっ……わたしは…………」


 追い詰められたように、じりじりと後ずさる。

 考えたくないのに、レイは容赦なくわたしの心の亀裂を覗き込んで来るのだ。



 嫌………………、



 そのとき、にわかに自分の中の張り詰めたものがプツリと切れた。


 細くて、頼りない糸。

 でも、それは、わたしだけの特別なプライドだった。



 絶対に口にしてはいけない言葉が自然と身体から溢れ出す。



「わたしは…………アンドレイ様に婚約破棄をされそうなの……………………」


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