14話 大切なシトエン

 その日の晩。

 風呂のあと、涼みに王城内を散策していたら池を見つけた。


 正確には、げこげこげこげこと騒がしい蛙の声に引き寄せられたら、池があったにすぎない。


 当然だけど人工池なのだが、岩を配置したり苔が張り付いていたりすると、なんか昔からここにずっとあるんじゃないかという気がしてきた。


 石灯篭に火が入っていて、それが池の表面にぼわりと映り、天上の月も相まって非常に綺麗だ。高地だからか、夏だというのに随分と涼しい。


 さくさくと下草を踏んで近づき表面を覗き込んだ。足音に気づいたのか、とぽん、と蛙が水に飛び込む。


 池の表面にさざなみがおこり、月が歪んでしまった。


「あー……」


 残念、と呟いた時、「サリュ王子?」とシトエンの声がする。

 驚いて振り返るとシトエンが小走りに駆けてきていた。


 ティドロスにいるときのようなナイトウェアじゃなくて、タニア風の衣装だ。

 ガウンのような形で、襟を合わせて腰のあたりを帯で締めるやつなんだけど……。


 なにその薄さ! 

 安物の生地だからペラペラってわけじゃない。あ、これ絹か?


 つやつやしてて、みるからにすべすべしてて……。

 腰のあたりでこう……。ぎゅっとしばるから、割と身体の線がはっきりするんだよ。胸とか尻とか。うん、胸とか尻とか。胸と尻がね。


 え、めっちゃこれ……。エロくね……?


「どういたしました? 迷われたのですか?」


 息を切らしてそんなことを言うから、咄嗟に顔を逸らす。いかん。ガン見しそうだ。胸とか尻とか。池! 池見よう! 蛙探そう! 童心に戻ろう!


「ふ、風呂に入ったら暑くて……。ちょっと涼もうかな、と」

「まあ……、そうでしたか」


 シトエンは笑ったが、すぐに表情を引き締め、ぺこりと頭を下げるからぎょっとする。


「祝宴の場では父が大変失礼なことを……っ。本当に申し訳ありませんでした」

「そんなことないよ! バリモア卿も心配だったんだろう」


 慌てて押しとどめる。


「嫁にやったものの、いろんなことがあり過ぎたから……。俺こそちゃんと手紙とか書けばよかったんだ。シトエン、すごく元気です、とか」


 いや、これじゃあアホがバレるな。


「手紙ならわたしが結構書いていたのに……。本当に困った父です」


 むう、とむくれる姿がまた可愛いのなんの。

 これ見られただけでも、シトエンを連れてタニア王国に来た甲斐があったなぁ。


 だけど、こう、腕を組んで怒っているもんだから……。

 むにゅって、胸の形が……。


 うおおおおおおお! 散れ、俺の煩悩!!!! さっきから、胸と尻のことしか考えていないぞ!!


「サリュ王子?」

「いや……っ。なんでもないです!」


 ぶんぶんと首をむやみに振っていたら、さすがにシトエンに不審がられた。


「あ……、そうだ。俺、今日の宴会でいろいろ思ったんだ」

「なにをですか?」


 シトエンが小首を傾げる。


「シトエンのこと、もっと大事にしようって」

「え?」


 きょとんと目を丸くするから、つい頭を掻いた。


「シトエンって結構うちのティドロス王家サイドとうまくやってくれてると思ってたけど……。それって、シトエンの努力を前提に成り立ってるんだよな。そんなの全然気にもしてなくって……。いや、そりゃ、母上が意地悪したり、王太子がいじめたりしようもんなら全力でぶちのめす覚悟ではあるけど!」


 途端にシトエンが笑う。


「おふたがたからそんなことをされたことはありません」


「まあ……。だけど、関係性が良いってのは、自然にそうなったわけじゃなくて、シトエンがいろいろ気を遣ってくれているからなんだなって今日の宴会に参加して気が付いたんだ。だから……」


「す……すみませんっ! わたしの方こそ気が付かず‼ なにか困ることがありましたか⁉」


 シトエンがまた慌て出すから「違う違う」と苦笑いする。


「シトエン、こんなにたくさんの人たちに大切に育てられた子だったんだなって実感したんだ。だから粗末に扱うなんてできないなって。舅殿だって、娘を預けるに足るかどうか判断したかったんだろうし」


「サリュ王子……」


「シトエンをいままで大事に育ててくださった人に『安心して』って言えるように、俺はシトエンのことをもっともっと大切にする。それに、シトエンが頻繁に国に帰ることは難しいけど……。うちに親族や友人を招く分には問題ないぞ。どんどん呼んでくれ。俺、接待するから」


 伝えた瞬間、ぽすんと俺の胸にシトエンが飛び込んできた。


「シトエン……?」

「ありがとう、サリュ王子。嬉しいです」


 ぎゅっと俺のシャツを掴んでシトエンが涙声で言う。


「わたしも、サリュ王子のこと、とってもとっても大事にします。だって、こんなにわたしのことを愛してくださっているんですもの」


「ありがとう」


 シトエンの背中に腕を回し、抱きしめ返す。 

 小さいなぁと毎回思う。


 身体は華奢だし、強く触れたらどこかが壊れてしまいそう。

 だから、俺の腕の中で囲って大事に大事にしておきたい。


 シトエンを傷つけるやつがいたら絶対許さない。俺の命に代えても守ってやる。


 だけど……。

 そうやって、俺が死んでしまったら……。


 シトエンをかばって死んでしまったら……。


 いったい、誰がシトエンを守ってくれるんだろう……。


 なんだかつい考えてしまう。

 もし、俺が死んだら……。


 俺がいなくなってしまったら……。


「モネさんやロゼちゃんにも、そう思っている人がいればいいのですが……」

 腕の中で、ぽつりとシトエンが言葉を漏らす。


「ん? モネとロゼ?」


 なんか予想外の名前が出て、腕を緩めた。 

 シトエンが俺から少し離れ、こくんと頷く。


「あのふたり……。とても気になるんです。またどこかで出会えればいいんですが……」


 シトエンはこの時そんなことを言ったけど。

 再会は、実はすぐだった。


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