2-4 騎士団長クローデット・アンドレの煩慮

 ……"騎士"とは?

 二年前、白騎士として黒魔女と対面した女騎士クローデットは、幾度となく自問した命題を、この日も頭に巡らせていた。


「失礼します。貴族会議からの討伐依頼が来ました。黒の森で魔獣討伐、地下水道の害獣駆除――」

「分かった。書類は、そこに置いて行ってくれ」

「ではそのように。……体調が優れませんか」

「大丈夫。昔を思い出しただけだ」


 仮面ヘルムを被った女将校が一礼して部屋を去ると、辺りはしんと静かになった。


 騎士団長室。

 王国アルダブルの治安維持、そして「魔女」との戦いに備える騎士たちを束ねる団長が、そのすべてを決定する場所。昼の柔らかな光を背に受けて、女騎士クローデット・アンドレの白い髪が輝いた。

 厳かな装飾の施された背もたれに腰掛けながら、クローデットは目の前の執務台に残された書類を翠眼に映す。


(今の王国に魔女の脅威はない)

(騎士団の仕事は、王族と貴族の課した雑務か……)


 外から、騎士団の日常である訓練のかけ声が聞こえてくる。それを懐かしむように聞きながら、鉄の鎧で守られた膝へそっと触れた。

 首を左右に傾けて筋を伸ばした後、羽ペンを取って先程の書類にサインを残す。そうしてゆっくり立ち上がる。鈍重とさえ思わせる程にゆっくり立ち上がり、小さな歩幅で部屋を出た。


 廊下で見張りを担う槍兵らに挨拶をして訓練場へ向かうと、黒髪を肩で切り揃えた女騎士が監督に当たっている。彼女はクローデットの姿に気が付くとすぐさま早足で歩み寄った。


「クローデット様」

「すまないな、ベアトリス。邪魔をしてしまった」


 騎士団の女将校ベアトリス。団長のクローデットが何かと不在な日が多い分、それを補うために彼女が寮内の監督を担っている。騎士団の内外を繋ぐ連絡役も兼ねており、先程クローデットの元へ書類を持ってきたのも彼女だった。

 ベアトリスは敬愛する騎士団長の気遣いへ頭を下げ、それ以上の謙遜を示す。


「我々のことは構いません。……外へ出られるのですね」

「ああ。ジラード家に用事があってな。明日の仕事の話をしてくる」

「申し訳ありません、クローデット様にそのような煩わしいことを」

「気に病むことはない。私が行くのはオーレリアン公直々の要望があってだ……政治は私に任せてくれ。ベアトリスは皆と共に"いつか来る戦い"へ備えるんだ」

「はっ」


 騎士団寮を覆うようにして建つ石造りの壁から黒い鳥が羽ばたいていった。やや遅れて壁の向こうから衛兵の長槍が伸び、高く飛んでいったものを恨むように何もない場所を突いた。

 クローデットは槍の先が沈んでいく様子を見てから、晴れやかな青空を仰ぐ。


「そうだ、ベアトリス。さっきの書類にサインをしておいた、届けてくれ」

「承知しました。お気を付けて!」


 門番に扉を開けてもらい、クローデットはゆっくりとした足取りで外へ出る。目的地であるジラード家の邸宅へ向かいながら、腹の底に溜まった複雑な思いを頭の中で巡らせていた。






 アルダブルの政治決定を担う機関「貴族会議」では、ひと月に一度、王の権威によってお墨付きを得た四大貴族の代表が一名ずつ集まって、町で行う政策を決定する。


 その四大貴族と呼ばれる名家の一つに、ジラード家があった。

 クローデットが門を潜ると庭先で掃き掃除に勤しんでいた使用人たちが物陰へ隠れ、数々の花が咲き乱れた色とりどりの庭園だけが残った。

 玄関の扉が開く。腹に肉の付いた金髪の中年男性が、目に優しくない緑の上着を纏って現れた。彼はクローデットの姿を見つけるや瞳を大きくして笑った。


「おお、クローデット殿! 噂はかねがね聞かせてもらっているよ」

「光栄です、オーレリアン公」


 オーレリアン・ジラード。

 黒魔女との戦いが起きた際、反魔女派の旗振り役となり、その時の功績から今現在もっとも力を持つ上流貴族の男。彼のおかげでジラード家は絶大な影響力と発言力を持ち、貴族会議の現状は「ジラード家とそれ以外」とまで言われていた。

 騎士団と同じ、魔女と戦う側の人間ではあったが――案内を受けて館へ入ったクローデットの表情は穏やかではない。笑顔を見せてこそいるものの、それは外交の世界における鎧のようなもの。決して彼女の本心ではない。


 金色のシャンデリアの下を通り、豪華絢爛な応接室の赤いソファへ腰掛ける。硝子のテーブルを間に、クローデットはオーレリアンと向かい合った。


「オーレリアン公、本日は挨拶として伺わせていただきました」

「そうかしこまらずとも良い。君のためなら、私はいくらでも力を貸そう」

「……心遣い、ありがとうございます。では早速、明日の件について話を。城下町視察の護衛任務についてですが」

「おお、そうだったな。明日のことだが、町を回る時の護衛を君に頼みたい。以前はベアトリス君が付いてくれていたがな。……知っての通り、黒魔女の一件は既に昔のことになりつつあるが、それでも一部の国民は未だ不安に感じている。クローデット殿の美しく気品ある姿はきっと、多くの者を勇気づけるだろう」

「当時より、ジラード家は魔女との戦いに多大なる貢献をされてきた。黒魔女の件が一区切り付いたのもオーレリアン公の功績、騎士団を代表して感謝します」


 話が弾んできた辺りで、ジラード家の使用人メイドが紅茶を盆に乗せながら入ってきた。彼女がティーカップを置いた後に一礼をすると、オーレリアンはその労をねぎらうように手を伸ばして頭をさわさわ撫で回した。……再び二人きりになるまで、クローデットは透き通るような赤透明の水面を覗いていた。

 鉄仮面の如き笑みが映っている。

 それは、かつて若き女騎士が思い描いた「騎士」と随分かけ離れた顔だった。


「異国から取り寄せた茶葉だ、ここアルダブルでも嗅いだことない香りだろう。あのメイドは腕は確かでね、きっと気に入っていただけるはずだ」

「ふむ」


 目の前に座っている脂ぎった男が何かを期待するような目でクローデットの顔をじっと見つめている。まるで舐め回すような目つきだ。あからさまに要求はされないが"そういった気配"は否が応でも感じ取れてしまう。

 差し出されたそれを飲む……冗談じゃない。慎重深い性格の彼女なら尚更だ。

 適当な話題を見繕いながら、どうにか話の矛先を逸らそうと頭を回す。


「うん、とても品のある香りだ……。ジラード家は四大貴族の中でも頭一つ抜けている名家、本当に多くの使用人を抱えていると聞く。きっと実力のある者が揃っているに違いない」

「今のアルダブルに、我が一族に匹敵する者はいないからな。最も高貴な立場である故に、下に働かせる者も私が直々に選んでいるのだ」

「流石の慧眼だ、人の容姿だけでなく、中身まで見てものを考えておられる。私も、騎士団を導く者として、貴方を模範とすべきみたいだ」


 クローデットは穏やかな笑みのままティーカップに手を伸ばし――その途中で、はたと何か思い出した素振りを演じて手を止めた。間髪入れず話を切り替えるように座り直し、二度と話題を戻せないよう真剣な顔でオーレリアンを覗く。


「失礼、大事な話を忘れておりました。先日の貴族会議で決まった、黒の森での魔獣討伐依頼についてです。ジラード家の提案で議題に挙がったと聞いていますが、折角なので詳しい話を聞かせて頂けますか」

「ああ……それはだな……」


 オーレリアンはほんの少し目を泳がせて、ぽつぽつ質問に答え始めた。

 どうにか躱せたようだ……





 クローデットが騎士団寮に戻っても訓練は続けられていた。彼女が帰った話が回ってすぐ駆けつけたのは、心配そうな顔の女将校、ベアトリスだった。


「ああ、クローデット様、ご無事で……何事もありませんでしたか」

「大丈夫、よ」

「良かった。実は心配しておりました。失礼なことではありますが、オーレリアン公はその、あまりいい話を聞かないので」

「彼の評判については私も知っている、安心してくれ、ベアトリス。そうだ、少し休んだら剣の相手を頼んでも良いだろうか」

「はい、喜んで!」


 寮内の自室に戻ったクローデットは、鍵のかかった棚から水筒を取ると、ベッドに座ってからぬるくなった中身を全て飲み干した。次いで、同じくしまわれていた干し肉とパン――既に何日も時間が経ってガサガサに乾いていたもの――を無理矢理引き千切って飲み込む。

 腹の底から溜め息が出た。生きたまま死んだように座り姿勢で僅かに眠った。


 ……これが、かつて英雄"白騎士"と呼ばれた女騎士の「第二の人生」である。

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