謎の少年2
「ねえ、定期入れ見せて」
少年が突然口にした言葉は、遠夜を少なからず戸惑わせた。初対面の相手に、定期入れを見せろと言われるとは、誰が予期できるだろう。少年は至って正気といった顔で、笑顔を浮かべている。遠夜は、少年を奇妙なものでも見るかのように、まじまじと眺めた。
灰色の少し毛羽立ったダッフルコートに、先程雪を払い除けた紺色のマフラー。顔はほんのりと上気し、湿った髪の間からは控えめな眼差しが覗いている。おかしなことを言った点を除けば、至って普通の学生にしか見えない。遠夜は真意が掴めず、少年が次に口を開くまで待った。
「君は持っていないの?」
「……何を」
「定期入れだよ」
またしても少年は、同じことを訊いてくる。彼にとって、定期入れとはよほど気になる物であるらしい。だが、遠夜は素直に自分の定期入れを見せるつもりはなく、反対に少年へ尋ねてみた。
「君のは、どんなふうなんだい?」
「……僕の?」
「そうだよ。見せて欲しいなら、まず君から見せるべきだと思うけど」
「僕のは、その……」
少年は急に言葉に詰まって、遠夜から視線をはずす。あんなに他人の定期入れを見たがっていたのに、いざ自分のとなると困るような反応を示した。
バスは学校のある通りに入る。遠夜はすかさず降車ボタンを押した。少年は押し黙ったまま、そのくせ何か言いたげな表情をして遠夜を見ている。バスは構わず、徒歩で通学する生徒たちを次々に追い越してゆく。
雪に囲まれた平屋の建物が右手に迫り、遠夜は降りる支度を始めた。ステンカラーコートのポケットに仕舞った整理券を確認し、足もとのボストンバックを太股にのせる。定期券を取ろうとして、遠夜は鞄の外ポケットに差し入れた手を止めた。横に目を遣ると、少年は悲しい顔つきになって俯いている。
バスは校門の手前で停車し、数人の生徒が立ち上がって乗降口へ向かう。遠夜も降りようとしたが、少年が邪魔になって通路に出ることができない。先頭の女子学生は既に外を歩いており、遅れをとっているのは明らかだった。
遠夜の気持ちを察したのか、少年はふいに顔を上げた。相変わらず悲しげな面持ちでいたが、急に笑顔になって道を開ける。ドアが閉まりかかり、遠夜は急いで乗降口へ走った。
「また今度、会ったときに見せてね」
背中に投げかけられた言葉は、耳の側で話されたのではないかという錯覚を与えた。乗降口から後方の席を窺うと、不思議なことに少年の姿はどこにも見当たらなかった。
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