第5話 語らい①
湯の中で詰め寄るリタに対し、シオンは食事をしながら話すことを提案した。
「『腹が減っては戦ができぬ』、私の故郷の言い回しよ」
入浴に続き、賞金首と食事を共にするなど
「この洞窟のことは、旅の途中で先住民から聞いたの」
鉄製の小鍋をレードルでかき混ぜながらシオンが話し始めた。ホムラはシオンの膝の上で丸まっている。
「かつては彼らの聖地だったそうよ。確か『ことほぎの間』とか呼んでいたわね。あの水中の隠し通路のことも、その時に聞いたの」
「そんな大事なことを、そう簡単に異国の人間に話すものなのか?」
火を挟んだ向かい側で、リタがもっともな疑問を口にする。
「異国の人間だからこそ、話したんじゃないかしら。既に打ち捨てられた場所だとも言っていたし」
シオンが香辛料をパラパラと鍋の中に振り入れた。食欲をそそる匂いがリタの鼻孔を刺激する。
「それに、あの距離と深さを魔法を一切使わずに泳ぎ切る人間がいるなんてこと、考えもしなかったのだと思うわ。この国には潜水の技術って無いのかしら」
「そもそも必要ねえからな。というか、魔法を全く使わずに水中を何十メートルも移動したなんて、未だに信じられねえよ」
リタがぶるりと身体を震わせる。意識を失っていたから良いようなものを、想像をするだけで身の毛もよだつ。
対するシオンは、片頬に手を当てて照れたようにうふふと笑い声を零した。
「久し振りに温泉に浸かれるかもしれないと思うと、居ても立ってもいられなくなって。どうせ1人と1匹の気ままな旅路だし、ふらりと立ち寄ってみたのよ」
「つまり、この場所に来ることがそもそもの目的だったってことか?」
「ええ、そうよ。所謂『観光』ってやつね」
シオンがあっさりと肯定した。
「それじゃあ、ウォルター・ザ・ウォーターの屋敷に侵入したのは?」
「ああ、あれ?ついでに盗みに入らせてもらおうと思っただけよ」
「盗みを『ついで』呼ばわりかよ」
リタが軽くため息をついた。もはや予測不能かつ常識外れなシオンの言動には驚かなくなっている。
「もともと、故郷でも泥棒をしていたし。この国に入る前にも、手頃なお屋敷があればちょくちょく盗みに入って路銀の足しにしていたわ」
シオンが湯気の向こう側からリタを見た。
「そういえば、私も聞こうと思っていたの。あの夜のことだけど、何故私が盗みに入ることが分かったの?」
リタは少し逡巡した後、シオンに事の経緯を説明した。フロストの《千里眼》のことを今更隠しても、あまり意味があるとは思えない。
リタの話をひと通り聞いたシオンは、ふむと顎に手を当てて考え込んだ。
「魔力妨害、ね…」
シオンはぐるりとレードルで鍋の中身を軽く混ぜて手を放した。小鍋がコトコトと小気味の良い音を立てている。
「せっかくだから、リタに妖術符号のことを教えてあげるわ」
「妖術符号?」
「言ってみれば、道具に魔法を刻み込む技術ね」
シオンはたき火から少し身体をずらしてリタを手招きした。リタもシオンの前ににじり寄る。
「まずは魔力妨害のことだけど、おそらくこれのせいだと思う」
シオンは腰に提げていた反りのある棒を差し出した。
「木刀というものよ。荒事が苦手な私のために師匠が作ってくれたの。刀の形をしてはいるけれど、実質的には護符のようなものね」
「あの夜、俺の炎を弾いたやつだな」
リタはシオンから木刀を受け取って全体をしげしげと眺め回す。
シオンの言うとおり、それは武器を模した装飾品のような代物だった。刃の部分には蔦に似たような不思議な模様が刻み込まれ、柄の部分は何かの動物の形をとっている。
「これは、龍という伝説上の生き物」
シオンが顔を寄せて説明する。
「それで、刃の部分に刻まれているのが『妖術符号』」
スッと人差し指で刃の表面を撫でた。シオンの吐息がリタの前髪にかかる。
「さっき言った通り、魔法ー故郷では妖術と呼んでいたけどーを符号という名の一種の言語に変換して道具に刻み込むの。これは、魔法による攻撃を無効化する妖術符号ね」
シオンが身体を離した。リタは密かにホッと息を吐く。
「ただ、《千里眼》のような遠隔からの魔法の効果を弱める力もあるとは知らなかったわ。私ったら、知らず知らずのうちに護られていたのね…」
シオンはふっと遠い目つきをした。そのまま物思いにふけるかのように黙りこくる。
「…おい」
「あらやだっ、ごめんなさい」
シオンはハッと我に返ると、いそいそと背嚢を探り出した。
「次は、マキモノも見せてあげる。師匠の最高傑作よ」
「ああ、うん…」
リタは、シオンの会話の中に当たり前のように出てくる「師匠」なる人物について、そろそろ聞くべきかどうか迷っていた。あまりにも当然のようにその名を口にするため、却って質問しづらい雰囲気がある。
そうこうしているうちに、シオンが背嚢から細長い筒状の物と折り畳んだ布を取り出してきた。
シオンが細い紐を解いて筒状のものを広げてみせる。
「これは…妖術符号か?」
「その通り!」
そこには、縦方向に記述された十余りの妖術符号が等間隔で並べられていた。
「そういえば、これで服を乾かしたとか何とか言ってたな」
「ええ。でも、それだけじゃないの」
シオンはフフンと笑ってみせると、呪文のような言葉を唱えた。
「!!」
唱え終わると同時にマキモノの表面がぐにゃりと歪んで、白と黒が渦巻く。気がつくと、大部分が余白だったマキモノの表面が、曲線と直線、それに大小の黒丸が不可思議に混じり合うことで構成された妖術符号によって満たされていた。
「これは浮遊の妖術符号よ」
シオンはマキモノを更に引き出してフワリと背後に纏うように両手で持つと、トンと軽く地面を蹴った。
シオンの身体が洞窟の天井付近まで軽やかに跳ね上がる。
「凄いでしょ?他にも、旅に役立つ色んな妖術符号がこのマキモノの中に収められているのよ」
何度かその場で跳ねて見せてからマキモノを元通りに収めると、今度は折り畳んだ布に手を伸ばした。
「ついでだから《隠れ蓑》も見せてあげる」
そう言って広げて見せたのは、いわばフード付きのケープだった。丈はシオンの太もも辺りまでで、濃い紺色をした布地に金糸で妖術符号が縫いつけられている。
「見てて」
シオンが《隠れ蓑》を羽織ると、すうっとその姿が消えた。
「…なるほどな」
リタが唸るように呟く。これさえあれば、誰にも気づかれることなく、容易に盗みに入ることができるだろう。
「妖術符号ってやつは、どのくらい効果が保たれるんだ?」
「破損さえしなければ半永久的に使えるわよ」
シオンがケープの前を広げて姿を見せてニコリと笑う。
「リタも羽織ってみる?」
「いや、いいよ」
リタは手を振って断った。
(まるで、子供みたいだな)
見たところ、シオンはリタより5、6歳は年上に見える。それに身長も恐らく10cm以上は高い。しかし、魔法がかかった貴重な持ち物を無邪気に見せびらかすその姿は、むしろリタよりも年下に思える。
「あの時も、これを使ってすぐそばで見ていたのよ」
《隠れ蓑》を折り畳みながらシオンが思い出したように話す。
「マキモノを使って池の中に大きな石を落として、それからー」
シオンが言葉を切った。片手を口に当てて沈黙する。
「なんだよ」
「……」
「俺が、マイクに刺されたときの話か?」
シオンはリタから視線を逸らしたまま黙っている。
(何かを見たんだな)
リタは目を瞑り、束の間逡巡する。
(マイク…)
慕っていた男の姿が浮かび上がる。何も知りたくないという気持ちは残っているが、いつまでもクヨクヨしているのはリタの性には合わない。
リタは目を開けて一度だけ大きく深呼吸すると、意を決して呼びかけた。
「シオン」
初めてシオンの名を口にする。
「聞かせてくれ」
シオンは躊躇するように口を二、三度開いて閉じた後、一言だけ言った。
「『せいせいした』って…」
「…そっか」
リタはそれだけをポツリと返した。胸の中に寒々とした寂しさが広がっていく。
「ごめんなさい」
沈黙を破ってシオンが言葉を発した。
「なんでお前が謝るんだよ」
「だって…すぐ横で見ていたのに、あの男を止められなかった」
「でも、助けてくれただろ」
リタは居住まいを正してシオンを見つめた。
「シオン。命を助けてくれて、ありがとう」
シオンは一瞬、驚いたような顔をして、それから柔らかな笑みを浮かべた。
「どういたしまして」
今度は心地の良い沈黙が、ふたりの間に流れる。 シオンが小鍋の中身をレードルでかき混ぜた。
「ちょうど出来上がったわ。食べましょう」
小鍋の中身は牛肉と豆のシチューだった。シオンは予め用意しておいた深皿にシチューを取り分け、スプーンと一緒にリタに手渡した。
「ん、ありがと」
スプーンで掬ってふうふうと息を吹きかけてから、そっとひと口啜る。
「ん?」
リタが小さく顔をしかめた。
「どうしたの?もしかして美味しくなかった?」 不安そうにシオンが訊ねる。
「うーん、不味くはないけど、味が薄い」
リタは正直に感想を述べる。
「あら、ごめんなさい。薄味が好きだから、ついいつも通りに作っちゃった。それに、ホムラにも食べさせてるから」
そう弁解して、小皿に取り分けられた豆と牛肉を一心不乱に食べるホムラに目を向ける。
「まあ、ちょっと物足りないけど、整った味だと思うぜ」
リタが二口目をゴクリと飲み込む。
「それは、お褒めの言葉と受け取っても良いのかしら」
「ちゃんと褒めてるじゃねえか」
和やかに談笑しながらスプーンを口に運び、味の染みた肉を奥歯で噛み締める。
(変なことになっちまったな)
いつの間にか、賞金首とふたりきりで風呂に入って食事をすることに、全く違和感を感じなくなってしまった。これが
(いくら俺だって、命の恩人に仇なそうなんて思わねえさ)
だから、他に理由なんて無いと、たき火の向こうで穏やかに笑うシオンを見つめながら、リタは暖かいシチューを口いっぱいに頬張った。
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