第3話 追跡《※一部暴力描写あり》

「ちくしょう!!」

 もう何度目になるか分からない悪態が部屋の中に響いた。

 あの夜から5日後の昼、バッタ亭の2階にある、メアリーから間借りしている小さな部屋。ベッドと小さな戸棚、洋服掛けがあるだけの殺風景な部屋だったが、リタは特に気にしていない。

 ブーツを履いたままベッドの上でゴロゴロしながら、リタは苦々しく5日前のことを思い返していた。

 あの後、応接室で眠りこけているところを、異変を察知して駆けつけたフロストによって発見された。

『恐らく、ネムリゲシを使った煙玉だろう』

 リタを責めるでもなく、かといって励ますというわけでもないフロストの声が脳裏に甦る。

『この花は、異国の山岳地帯に生える貴重な植物で、薬の材料として高額で取引されるものだ。それをこんな使い方をするとは…』

(ちくしょう!)

 今度は心の中で叫んで、ダンッと拳をベッドに打ちつける。

『賞金稼ぎ、それも女のガキなんぞに任せるからこうなるのだ』

 スミス氏の侮蔑が脳裏に響く。

(お前みたいなふんぞり返ってるだけのデブに何が分かる…!)

 とはいえ、自分の不手際で女を逃がした以上、反論の余地は無い。

 そして、異国の女のことを思い出す。

(…おっぱい、大きかったな)

 顔を胸に押しつけられたときに嗅いだ花の香りと、透き通った水のように澄んだ声。

『おやすみなさい、お嬢さん』

「馬鹿にしやがって!」

 ガバッと枕から顔を離して叫んだところで、窓際に飾られたフレイムポピーが目に留まった。

(花は、嫌いじゃない)

 細長い素焼きの花瓶に刺さったフレイムポピーを眺めながらリタは考える。

 フレイムポピーは、荒野の各地に群生する乾燥に強い花である。花びらが炎のようなグラデーションと形をしていること、そして、夜になると灯火のように花びらが光ることからその名がついている。

 比較的どこでも見られるため、あまり道標としての役割は果たさない。ただ、先住民の言い伝えによると、夜に光り輝くフレイムポピーは死者をあの世に導くという。そんな話を本気にする人間はほとんどいなかったが、この花に対するイメージが若干悪くなっていることは否めない。

 しかし、リタは自分の魔法と同じ炎の形をしたこの花を気に入っていた。メアリーもそれを知っているから、時々フレイムポピーをリタの部屋に飾ってくれる。

(なんの花の香りなんだろうな)

 リタは再び思い出す。町の女達が使っているような、これでもかと存在感を主張する強い香水とはまるっきり違う、そこはかとなくふんわりと漂う自然な香り。まるで、女自身を表しているような。

「そんなこと、どうでも良いだろ火竜サラマンデル!あの女はただの賞金首じゃねえか!」

 リタは慌てて頭の中から女の顔を打ち消した。ベッドから降りてナイフホルダーを装着し、洋服掛けのつば広帽子とダスターコートを身に着ける。

(うだうだ考えるのは性に合わねえ)

 馬でひとっ走りしようと扉を開けて廊下に出ると、メアリーが階段を上りきったところに鉢合わせた。

「ああ、ちょうど良かった」

 メアリーがパッと破顔する。

「フロストとかいう警官があんたに用だって」

 階段を駆け降りて店内に出ると、警官服姿のフロストがスイングドアの脇でリタを待ちかまえていた。

「フロストのおっちゃん!」

 リタがフロストの元に駆け寄った。

「もしかして何か分かったのか?」

 フロストは無言でスイングドアを押して店の外に出るよう促した。リタは素直にフロストに続く。

 店から数歩離れたところでフロストが話し始めた。

「目撃証言があった。どうやら《大坑道》に潜伏しているらしい」

「《大坑道》だって?そんなところにいたのか」

 リタが意外そうな声をあげた。

 フロストが顎髭を撫でながら小さく唸る。

「あそこは外部の人間に知られるほどの大した場所ではないはずなんだが」

「そんなことは捕まえたときに聞いてみればいいさ」

 リタは拳をパシッともう片方の手に打ちつけた。新たな情報が入ったことにより俄然やる気が湧き上がる。

「それで、何か『視え』たりした?」

 期待のこもったリタの質問に、フロストはゆっくりと首を振った。

「あれから何度か試してみたが、相変わらずじゃな。それでも、《大坑道》かその近辺にいることは間違いない」

 フロストは立ち止まってリタを見た。

「独りで行くのか?」

「いいや」

 今度はリタが首を振った。

「その前にマイクに声をかけてみる。今度は手伝ってくれるかもしれないからな」

「そうか。気をつけろ」

「ん、ありがと」

 リタは軽く手を挙げて礼を言うと、心当たりの酒場にマイクを探しに向かった。


***


 夕闇が空を覆い尽くす頃、リタとマイクは《大坑道》の入口に到着した。

 フロストと別れた後、昼間から賞金稼ぎ仲間と飲んでいたマイクに会いに行き、女の捕縛を手伝ってくれるようにダメ元で頼んでみた。

『話は聞いてるぜ。異国の技術で盗みを働くらしいな』

 予想に反し、リタの頼みをマイクはあっさりと快諾した。

『リタを出す抜くほどの女だ、俺がいた方が安心だろ』

(やっぱり、マイクがいると心強いな)

 リタは馬から降りると、つば広帽子とダスターコートを鞍に括り付けた荷物の隙間に突っ込み、ロープを腰に提げた。

 ふたりで《大坑道》の入口に近づく。

「まだこの中にいるのかな」

「さあな。それでも、今はここを探すしかねえよ」

「そうだな。まずはどこを探す?」

 歪な円形をした入り口を眺めながらリタが訊ねる。

「ひとまず一番奥に行ってみるか」

「だな」

 素早く方針を決めてしまうと、火の玉を浮かべたリタが先頭に立って内部に進入した。

 《大坑道》は、岩山の中に広がる人工的な洞窟である。その昔、先住民が魔法を使って掘削したものだという話であるが、坑道とは名ばかりで鉱石などの資源が採れるわけではなく、曲がりくねったトンネルと何もない部屋のような空間がいくつか存在するというだけだった。

 また、最奥の開けた空間は湧水地となっているが、この水は何故か生ぬるく、しかも濁っていて飲用には適さない。時折、賞金稼ぎや通りかかった商人が砂嵐をやり過ごすのに利用するか、それこそ追い詰められた賞金首が考え無しに逃げ込むくらいだった。

「あの女、どこから《大坑道》のことを聞いたんだろうな」

「分からんが、誰かから聞いたというのなら、ここにめぼしいものなんか何も無いことも知ってるはずだぞ」

 言葉を交わしながらも、光が届く範囲を油断のない目つきで確認しながら注意深く進む。

「ほとぼりが冷めるまでここに潜むつもりだったのかも」

「そうだとすると詰めが甘いな。現に、こうして俺らに嗅ぎつけられたわけだし」

 薄暗い洞窟内に2人分の足音が反響する。洞窟の床は、硬い岩の上に砂が薄く積もっているだけのもので、足跡を見つけることはほぼ不可能となっている。

 最奥の空間にたどり着くまでには、いくつかの分岐点が存在する。リタもマイクも何度かここを訪れたことがあるため、特に迷うことはない。

 何事もなく2つ目の分岐に差しかかったときだった。

「!!」

 炎の玉で照らした先に、女が立っていた。

 頭巾を外していること以外は、あの夜と全く同じ格好をしている。

「……」

 女は何も言わない。

 リタもマイクも、あまりにもあっさりと賞金首を発見したため、ほんの数瞬、言葉を失って女を見つめる。

 女が身を翻して駆け出した。ハッと我に返ったリタもすぐさま後を追う。

「待ちやがれ!」

 トンネル内にリタの走る音が反響する。何故か女の足音は聞こえてこない。

(完全にこっちが不利じゃねえか)

 リタは走る女の後ろ姿を睨んだ。光と闇の境目で、女の姿がちらちらと見え隠れする。高く結った黒く長い髪がリタを誘うようにバサバサと揺れている。

馬の尻尾ポニーテールとはよく言ったものだな)

 ほんの束の間、どうでも良い思考が浮かんで消える。

 女との距離が縮まらないまま、いくつかの分岐点を過ぎた。

(くそっ、逃がすものか…!)

 大きく息を吸い込んで浅くなりがちな呼吸を整える。

 そろそろ最後の分岐に至るというところで、後ろ手に女が何かを投げ捨てた。

「うおっと!?」

 思わずもんどり打って足を止める。

 瞬間、もくもくと大量の白煙がリタを包み込んだ。

(二度、同じ手を食らうものか!)

 リタは瞬時に息を止めて白煙を潜り抜けると、呼吸を整えるのもそこそこに追跡を再開した。

 坑道内に独り、リタの足音だけが反響する。

(あれ、マイクは…?)

 ざばああん…

 疑問に思ったその時、激しい水音が前方から聞こえてきた。

「…おい、まさか」

 リタは迷わず最奥への道を選ぶと、力の限りを振り絞って最後の道のりを駆け抜けた。

「ハア…ハア…ハア…」

 汗だくの状態で膝に手をついて呼吸を整えながら、周囲の状況を確認する。

 《大坑道》の最奥は広い円筒形の空間だった。リタの立つ位置から天井は約5m上方、約15m下方は池のようになっている。天井と水面付近の壁にはいくつかの蛍光石が埋め込まれており、ここだけは篝火が無しでも内部を見て取ることが可能となっていた。

 壁沿いにはかつて、水面へと降る階段が螺旋状に付いていたらしいが、そのほとんどが見る影もなく崩壊し、僅かにリタの左側と水面付近に数段残っているだけである。

 リタは恐る恐る身を乗り出して水面を覗き込んだ。

 動くものは何も見あたらない。

 蛍光石のぼんやりとした白い光が、ちゃぷり、ちゃぷりと静かにたゆたう水面を浮かび上がらせている。

「おい、嘘だろ…」

 リタは信じられない思いで首を振った。

 確かに、追い詰められた賞金首がここから飛び降りたという話は、古株の賞金稼ぎバウンティハンターから何度か耳にしたことがある。しかし、まさかあの女がそんなことをしでかすとは、微塵も想像していなかった。

 頭巾を剥ぎ取ったときに間近で見た女の顔を思い出す。

 捕まりそうになっているというのに、緊張感の欠片もみられないキョトンとした表情。

 ふいに、リタの中に猛烈な恐怖が沸き上がってきた。冷たい汗が首筋を伝い、収まりかけていた呼吸が再び荒く乱れる。

(俺は、一体…)

 その時、背後から足音が近づいてきた。リタはホッとして振り向こうとする。

「マイ…」

 リタの背中に衝撃が走った。

(え?)

 リタは首を捻って背中を見る。

 ナイフが根元までのめり込んでいる。

(は…?)

 ゆっくりと視線を上に移す。

 マイクが表情の無い目でリタを見下ろしていた。

「マ…」

 ごぷっ

 リタの口と鼻から大量の血が溢れる。

 ドンと身体が突き飛ばされた。

 落下する。

 濁った水面が目の前に迫る。

 何かを思う間もなく全身が水面に叩きつけられ、リタの意識は暗闇に引きずり込まれた。

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