閑話

お嬢様がいないなら ある騎士のため息①

「お嬢様が消えただって?」


「ああ。なんでも領主様が、聖女様を連れて戻ってきたらしい。それで、その聖女様を妻にするんだとか、なんとか。ショックだったんじゃないかなぁ」


 おいおいおい。そんな馬鹿なことってあるわけ?

 この領地をずっと守ってきたのは。ユリウス様を支えてきたのは。

 

 他の誰もない、お嬢様だったじゃないか。


     *


 レオン・アスターはクロムウェル騎士団の団員だ。

 クロムウェル騎士団は、ユリウス・クロムウェル伯爵が独自に持つ兵力であり、主に領地を魔物たちから守護することがその使命となっている。

 

 彼らは領主であるユリウスに忠誠を誓っているが、幾らかの団員は、メリーアンに忠誠を誓っていた。レオンもその一人だ。


「信じられんな。あれほど仲がよかったのに、ユリウス様が別の女性を妻にするなんて」


「なんでも、聖女様に子どもができたらしい。それで責任を取るとか」


「聖女様には感謝しているが、複雑な気分だな……。これじゃあ誰も素直に喜べないだろう。何よりメリーアン様が哀れすぎる」


 クロムウェル騎士団の詰所では、騎士たちが各々、自分たちが仕える領主と、領主が連れてきた聖女ララについて、噂話をしていた。

 好奇の目を向けると言うよりは、ユリウスを批難するような雰囲気だ。


 ユリウスが聖女ララを妻にすると宣言し、メリーアンが出奔したらしいという報告を受け、騎士たちの士気も一気に下がっていた。

 聖女のおかげで、この地上にある全てのミアズマは払拭された……と言われている。魔物の被害もなくなり、ここ最近騎士たちの仕事は大きく削減されていたせいもあるだろう。緊張の糸が切れたのかもしれない。


 そんな騎士たちを、レオンはとうもろこしの入ったズタ袋の上で寝そべりながら、ぼんやりと見ていた。


(まあ、俺はお嬢様に誓いを立ててるからなー)


 大欠伸をしたところで、団長であるガイ・バートレットが詰所に入ってきた。騎士たちは大慌ててでそれぞれの仕事をしているふりをする。


「おい、お前たち、緩んでいるぞ! さっきから書類仕事の一つも終わらせずに、何をしているんだ!」


 厳しく叱責され、騎士たちは慌てて謝罪する。

 そんな中でも相変わらずボケッとしているレオンに、ガイは不機嫌そうな目を向けた。


「レオン。お前も緩みすぎじゃないのか。いつまで寝ている気なんだ?」


「おおっと! ついに団長が認めなすったぞ。俺がいつもシャッキリした大真面目で誠実な働き者だってことを!」


 レオンがそう言うと、神妙な顔つきをしていた騎士たちが堪えきれないといったようにクスクス笑い出す。


「馬鹿者! 普段から弛んどるだろうがお前は!」


「あははっ」


 ガイが振り下ろしたゲンコツをかわして、レオンは腹を抱えて笑った。

 ガイはため息をついて、呆れたような目でレオンを見た。


「しかし、メリーアン様がいなくなってから一気に士気が落ちたな、お前らは。自分たちがユリウス様に忠誠を誓った騎士だと言うことを忘れたのか?」


「だからこそでしょ? あんな下半身ゆるゆるな領主サマ、忠誠を誓うに値しないよ」


「こら、レオン!」


 もう一発ゲンコツが飛んできたところで、レオンはヒョイっと避けて、神妙な顔をした。


「俺はメリーアン様に忠誠を誓ってる。だからこそ、もうこの土地に俺がいる意味はないのかもしれない」


(俺は別に、この土地や領主を愛してるってわけでもないからなー)


 ただ自分を拾ってくれたメリーアンに、深く感謝していたから、ここにいただけだ。レオンはへらへらと笑っているが、メリーアンがいなくなったことで、相当なストレスを抱え込んでいた。


(ああ、お嬢様に会いたい)


 レオンは出会った頃の、小さな女の子メリーアンのことを思い出した。


     *


 レオンは十歳の頃に、自分以外の家族を全て亡くした。

 魔物に食い殺されたのだ。

 剣を手に取って戦ったレオンだけが生き残った。

 皮肉なことに、自分の才能に気づいた瞬間だった。


 幼いレオンは、家族がもういないなら、いっそ自分も死んでしまおうかと考えていた。だから毎日、剣を持って魔獣に立ち向かったのだ。そうすればいつか死ねるかと思ったから。


「もう行かないで」


 けれどそれを止めたのは、自分と同じ、どこかぼうっとした瞳の女の子だった。正直ムカついた。何も知らないぼけっとした女の子が──当時のメリーアンは、まだ心が回復しきっていなかった──、自分の絶望に口を出そうと言うのだ。

 けれどメリーアンははっきりと言った。


「見捨てない」


「……は?」


「あなたたちがそうしてくれたから。私、誰も見捨てない」


 ──彼女は自分と同じ目をしていた。全てを失ったものの目だ。

 それでも彼女の魂の最も奥底には、強い光があるような気がした。

 自分と同じような境遇にいたのに、真っ黒に塗りつぶされてはいない。

 絶望の中にいても、いつか光は湧き上がってくるものなのだろうか?

 

「それでも行くって言うなら、縄で縛る」


「はあ?」


 シュピーン、と縄を伸ばしたメリーアンに、レオンはあまりにも馬鹿馬鹿しくなって久しぶりに笑ってしまった。


「……冗談じゃないわ。縛って領主様のところに連れて行くから」


「お、おい、おま……いや力強すぎだろ!」


 本当に縄でぐるぐる巻きにされて、レオンは領主一家の元へ引っ張られていったのだった。


 それからだ。

 メリーアンとユリウスと仲良くなったのは。


 クロムウェル夫妻は、行き場を無くしたレオンをずっと心配していたらしく、子供でもできる仕事を与え、多すぎる賃金を渡して、レオンの面倒を見てくれた。


 そしてスクールから帰ってきたメリーアンとユリウスとも、よく遊んだものだ。三人の関係は、幼馴染、と言うものなのだろう。

 レオンと同じように、少しずつ明るさを取り戻していくメリーアンに、気づけばレオンは惹かれていた。


 メリーアンはアストリア人にしては、全体的に色素が薄い。

 自分では地味だと笑っていたが、どちらかと言えば儚い、という言葉の方が似合う気がした。おそらくだが、別の大陸人種の血が入っているかもしれない。

 そんな儚い容姿ではあるが、中身はド根性の塊だった。

 そういうギャップも含めて、レオンはメリーアンのことが大好きなのだった。


 けれどその恋が叶うはずもない。

 自分は平民で、二人は貴族で。

 ……いいや、問題なのは身分ではない。

 

 手が届かないと思ったのは、ユリウスの隣にいたメリーアンが、いつも満たされた幸せそうな表情をしていたからだ。


 レオンの記憶の中にいるメリーアンは、いつだってユリウスの隣にいた。

 二人で見つめ合って、幸せそうに笑っている。

 そんな二人だから、レオンは自分の気持ちにケジメをつけられたのだ。


     *


(ユリウス様。あんたがお嬢様をいらないって言うなら、俺は……)


 レオンがぼうっとしていると、今度こそガイのゲンコツが頭上にヒットした。


「いってぇーっ!」


 レオンは涙目になってガイを見上げる。


「ヒキョーだぞ! 人が物思いに耽ってる時に!」


「仕事中だ愚か者」


 ガイがにやりと笑った。

 やり返してやろうかと思っていると、不意に詰所のドアがあいた。


「すみません」


 やってきたのは、小さな子どもをつれた女性だった。


「おや、マージじゃないか。どうかしたのか?」


「それが……」


 マージと呼ばれた女性が、不安そうに子どもと視線を合わせた。

 

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