変わっていく世界

「皆さん、盛り上がっているようですね。」



 パーティー開始が間近となったところで、りんと澄んだ声が皆の輪に入ってきた。



「ターニャ、久しぶり!!」



 キリハが笑顔で言い、多くの人々が彼女に一礼をする。



「改めてだけど、出産おめでとう。体調はどう?」



「ええ。皆さんのお力添えもあって、とてもよくなりましたよ。」



「よかった。そういえば、ノアは?」



「一緒に来ないかと訊いたのですが、今会場に行ったら挨拶なんかできなくなりそうだから、それが終わるまでは我慢すると言われまして。」



「あー…」



 それで全てを察した顔をしたのは、キリハとシアノの二人。



「ノア、結構テンション高かったでしょ?」

「ええ。いつもながら、本当にエネルギーに満ちあふれた方ですね。」



 ターニャは赤い双眸をなごやかにして、楽しげに笑う。



 ドラゴンとの和平や交流を円滑に行うためには、統治者として直接話さないと意味がない。



 そう考えたターニャがリュドルフリアの血を受け入れるのは、ドラゴン討伐の処理が落ち着いてからすぐのことだった。



 それからの彼女は通常の政務のかたわら、ドラゴンとの交流にも積極的に取り組んだ。

 そんな彼女の姿勢は、国民の支持をより強固なものとした。



 彼女の夫であるディアラントも、自分の影響力を利用して大々的に竜使いたちと交流を行ったり、竜使いを織り交ぜた剣術教室を開催した。



 さらにはミゲルも、企業として竜使いの積極的な雇用を発表。

 店舗の従業員だけではなく、重要なポストに竜使いを採用したことは、当時ちょっとした話題になった。



 その仕上げと言わんばかりに起こったのが、アルシードの爆弾的な論文発表だ。



 完全な問題解決はまだ先の話だろうが、世間の竜使い蔑視べつしは、ここ数年でかなりやわらいだと言えよう。



「キリハ。いきなり業務的な話で申し訳ないのですが、来週分のレポートは大丈夫そうでしょうか?」

「ああ、うん。問題ないと思うよ。下書きはできてるから、パーティーが終わったら見せようか?」

「お願いします。」



 ターニャの言うレポートとは、自分とドラゴンの間に起こった出来事を書いた、写真付きの日記のようなものだ。



 ターニャが大統領に就いてから依頼されて、月に二回、四年以上にわたって、宮殿の公式ホームページで掲載され続けているのである。



「いつも訊いちゃって申し訳ないんだけど、反響はあるの?」



「とてもありますよ。キリハの話題選びがいいからでしょうね。先月出版された本も、子供向け大人向け共に重版がかかったそうです。」



「そっかぁ。映像や本では、ドラゴンがそこまで怖がられなくなったってことだよね。なんか、嬉しいな。」



「そうですね。」



 よりよくなった人間とドラゴンの関係性を、次に繋いでいけたら。

 そんな夢に少しでも近づけているようで、キリハとターニャは二人で微笑み合う。



「そういえば、リュードさんやレティシアさんはお元気でしたか?」

「うん。元気元気。」



 そういえば、育児休暇の真っ只中であるターニャは、しばらく彼らに会っていないのか。

 それに思い至って、キリハは今日見てきた彼らの様子を伝えることにした。



「リュードもレティシアも、ターニャとキャメルは元気なのかって気にしてたよ。ユアンが定期的に様子を教えてあげてるみたいだけど、実際に会わないことには安心できないみたいだね。」



「そうでしたか…。どこかのタイミングで、会いに行った方がよさそうですね。レティシアさんには特に、妊娠中にたくさん相談に乗ってもらいましたし。」



「そうそう。レティシアってば、未だに俺に母さんって呼んでほしいみたいでさー。〝まだお母さんには足りないのー?〟って訊かれて、びっくりしちゃったよ。」



「あらあら……」



 ターニャは面白そうに笑い声を零す。

 数年前と比べたら、本当に表情が豊かになったと思う。



「それで、どうするんですか?」



「んー…。まさか、こんなに粘るくらい本気だとは思ってなかったからなぁ。とはいえ、別に嫌なわけじゃないから、呼んであげることにしたよ。〝じゃあ、レイ母さんでいい?〟って訊いたら、本当に嬉しそうにしてた。」



「そうなんですね。でしたら、私もそう呼んであげた方がいいのでしょうか…?」



「ああ、いいんじゃない? あんなに気にしてるくらいだもん。俺と同じくらい、ターニャのことも好きだと思うし。ちなみに、キャメルにはリュードのことを〝おじいちゃん〟って呼ばせたら? 多分、心の中で踊り出すと思うよ。」



「ふふふ…っ」



 おどけて話すキリハに、ターニャはさらに笑うしかない。

 そんな彼女の後ろにディアラントが立って、自然な仕草で彼女の腰に手を添えた。



「なんかその話を聞くと、人間もドラゴンも変わらないよなー。ナスカちゃんもさ、〝ナスカ先生〟って呼ばれるよりも〝ナスカ姉ちゃん〟って呼ばれる方が嬉しそうだし。」



 何気ないディアラントの言葉。

 それでひらめいた。



「あ、次のレポートネタはこれにしようか? 〝こう呼ばれたいあるある〟みたいな感じで、レポートを読んだ人が盛り上がるかもよ。」



「いいですね。ぜひそうしましょう!」



 ナイスアイデアだと。

 両手を叩いて同意したターニャが、表情をキラキラとさせる。



「あはは。今のターニャって、本当に楽しそうだね。」



 自分はどうせ、役目が終われば捨てられるお人形だと。

 彼女が涙ぐみながら語ったのは、いつのことだっただろう。



 そんな彼女が、自分がいるべき場所を自分で掴んで、そこで楽しく笑っている。

 それが本当に嬉しい。



「ええ…。私も、まさかこんな風に喜びを噛み締めて生きられる日が来るなんて、思ってもいませんでした。」



 そう語るターニャの瞳が、回顧で揺れる。



「ランドルフさんが父を選び、私を導いてくれたこと。一番心が折れそうだった時に、ディアに出会えたこと。私が抱えきれない汚い部分を、アルシードさんが肩代わりしてくれたこと。誰も正解が分からないドラゴン討伐に、たくさんの方が協力してくれたこと……今思うと、私はとても恵まれていました。そして……キリハ。」



 伏せていた目を上げたターニャは、キリハをまっすぐに見つめる。



「あなたに出会えたことも、私にとってはかけがえのない幸運です。経緯はどうであれ、皆が自分で決めてここにいるのだから、ここからは自己責任だと……あなたにそう言ってもらえた時、私は本当に救われたんです。私一人で背負わずに、そう決めた皆で背負っていい。背中を預けていいと……そう言ってもらえたようで。」



 そういえば、そんなことを言ったこともあったっけ。



 自分としては思ったままのことを伝えただけだけど、それが彼女の支えになっていたのなら、こんなに誇らしいことはない。



 キリハは嬉しそうに笑って、ターニャに手を差し出した。



「今も、その気持ちは変わってないよ。だから、もっと頼ってね。俺にできることなら、いくらでも協力する。」



「はい。よろしくお願いします。」



 差し出した手を、躊躇ためらわずに握り返してくれたターニャ。

 この笑顔が末永く続きますようにと、そう願わずにはいられなかった。


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