せめて、大事だと思える人とは―――

 病室まで辿り着いたルカは、力任せにキリハをベッドに投げつけた。



「わっ…。もう、乱暴だなぁ。」



 全く懲りていない様子のキリハは、枕を胸元に引き寄せて唇を尖らせている。



 普段フールの自由奔放さに振り回されて癇癪かんしゃくを起こしているキリハだが、これはある意味フールに匹敵するのではないだろうか。



 ルカは、キリハの頭を叩きたくなる衝動をぐっとこらえる。



 とりあえず、キリハはまだ安静が必要と言われている身だ。

 病人に手を上げるのは、できる限り我慢せねばなるまい。



 だが……



「………おい。」



 ルカは険しい目つきでキリハを睨む。



「何笑ってんだ。」



 キリハは枕に半分顔をうずめたまま、にやにやと笑っていたのだ。



 ルカの中で、〝我慢〟という言葉がぐらりと揺れる。

 そんなことなど露知らず、キリハは上機嫌で口を開いた。



「えへへ。なんか嬉しくて。」

「何がだ?」



「ルカが、みんなと仲良くなってるから。」

「――― ああ?」



 それを聞いたルカの声のトーンが、一気に下がる。



「お前の目は腐ってんのか? どこを見たらそうなる。医者の指示も聞かずに、ふらふらしやがって。おかげで、変な設定がついただろうが。」



 何が悲しくて、キリハの保護者扱いをされなければいけないのだ。

 仲良くなったのではなく、ただからかわれているだけじゃないか。

 少しは、こちらが感じている不満に気づけってんだ。



「えー、いいじゃん。乗っかちゃえば。今度から、お兄ちゃんって呼ぼうか?」

「しばき倒すぞ。」



 頭が痛くなってきた。

 ルカは表情をひきつらせる。



 だめだこれは。

 ただでさえ能天気で脳内がお花畑なのに、色々と開き直ってからというもの、脳内の花が倍増している。



 ぐだぐだと悩んでいた時の方がよっぽどまともだったと、なかば本気で思った。



「お前……迷惑かけてるっていう自覚はないのか?」

「んー?」



 わざとらしく首をひねるキリハ。



「だって、ルカにはうんと迷惑かけていいって言われたもん。」

「は!?」



 想定外の言葉に、ルカは目を剥いた。



「誰に!?」

「エリクさんとミゲルー♪」



 キリハの自由さを助長している犯人が分かり、ルカは思わず額に手をやった。



 いかにも言いそうな面子メンツだ。

 宮殿の連中がからかってくるようになったのも、裏でミゲルが煽っているからに違いない。



「~~~っ。あんの馬鹿兄貴とクソヒゲ親父が……」



 低く暴言を吐き捨てる。

 すると、そんなルカを見ていたキリハがまた口を開いた。



「ルカってさ……」

「あ?」



「ただでさえ口悪いのに、気を許すともっと口悪くなるタイプなんだね。」

「誰のせいだ、この馬鹿猿!! 今のお前が絶対安静じゃなきゃ、タコ殴りにしてるところだぞ!?」



「もー。そうやってすぐに熱くなるから、みんな面白がるんだよー?」

「なっ……はあ……」



 怒りも度を超えると、疲労にしかならない。

 ルカは重たげな溜め息をつき、ベッドの脇に置かれた椅子に腰を落とす。



「ルーカ。」

「……なんだよ。」



 気疲れで重さを増した頭を上げるルカ。



「ありがと。なんだかんだで、いつも捜しに来てくれて。」



 出迎えてきたのは、キリハの満面の笑みだ。



「………」



 得な奴だ。

 心底そう思う。



 これは、天然に見せかけた確信犯なのではないだろうか。

 そう疑いたくなるほどに、キリハの笑顔は全てを洗い流してしまう。



 恐怖も怒りも――― 些細な不安ですらも。



「……分かった。オレの負けだ。」



 呟いて、ルカは肩の力を抜く。



「とにかく、頼むから大人しく寝てろ。これ以上心配させるな。」

「心配してくれてたの?」

「当たり前だ。」



 当然のことを言ったつもりだったのだが、それを聞いたキリハは大きく目を見開いて固まってしまった。



「……ルカ? 大丈夫? 変なものでも食べた? 熱でもある?」

「………っ」



 ルカは湧き上がった衝動を腹の奥で押し殺す。



 どうやらキリハは、怒りを忘れさせる天才であると同時に、怒りを思い出させる天才でもあるらしい。

 まあこれも、大半は自分のこれまでの行いのせいであることは承知しているが。



 ルカは大きく息を吸い込み、怒鳴り声の代わりに盛大な溜め息を吐き出した。



「……オレが変わったら、嫌になるのか?」



 小さく。

 本当に小さく、その口腔から零れる言葉。



「え…?」



 キリハがきょとんとして首を傾げる。

 意外そうに目をしばたたかせているのを見ると、言葉の内容自体は伝わっているのだろう。



 ルカはそっぽを向き、ぶっきらぼうに口を開く。



「お前が暢気のんきに寝てる間に、色々あったんだよ。で、気付いちまった。周りを見返してやるって、そう躍起になりながら……オレは結局、理不尽な今にしがみついてた。あの怒りがないと、何も変えられないと思ってた。でも、お前がオレに見せた現実は違った。……それを、受け入れてみてもいいかと思っただけだ。」



「ルカ……」

「かっ、勘違いするなよ!!」



 恥ずかしくなってきて、ルカはキリハを遮るように慌てて言葉を重ねる。



「竜使い以外の人間なんて、大っ嫌いだ! それは変わらない。……でも、お前がこれから何をどう変えていくのか、それには少しだけ興味がある。だから……ちょっとだけ、ちょっとだけ流されてやるだけだ。本当に、ただそれだけなんだからな!!」



 強がった口調で言い捨てたところで、火を噴く羞恥は変わらない。

 でもこれは、嘘偽りのない本心だった。



 周囲のことは理不尽だと思うし、都合がいいとも思う。

 それでも、自分が実は過去にすがって動こうとしていなかったのだと知った今、確実に前進しているキリハが創り上げていく今と、これから紡がれる未来を見てみたいと思ったのだ。



 そこで、自分が納得できる答えを見つけ出せるかは分からない。

 しかし少なくとも、自分のことを変えていけるような気はした。





 せめて――― 大事だと思える人とは、素直な気持ちで向き合えるように。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る