変化は崩壊か、あるいは―――

「………なんで?」



 振り向かないまま、なんとか声を絞り出す。

 照明のスイッチに添えられた手は、微かに震えていた。



 見たくなかった。

 背後にいるフールの、静謐せいひつで何もかもを見透かしたような目を。



「だって、キリハらしくないよ。今の戦い方。」



 フールが口を開く。



「キリハなら、もうとっくに気づいてると思ったけどな。今のやり方じゃ、みんな潰れるだけだって。」



 指摘するフールの声に、もういつものおちゃらけた雰囲気はない。

 空気を震わせて鼓膜を叩くその音は、静穏ながらも圧倒的な密度を伴って脳内を揺さぶってくる。



 油断した。

 最初の軽い口調に気を抜いていたせいで、なんの前触れもなく変わったこの声を拒絶することができない。

 拒絶しようと思うよりも、彼の声が心にみ渡っていく方が速かった。



 フールの言葉はまだ続く。



「あれだけほむらと馴染んでたキリハなら、分かるはずだよ。もっと効率的な使い方があるって。頭じゃなくて、体が知ってる。そうじゃないの?」



(やめて……)



 心が、ひび割れた悲鳴をあげている。



 これ以上は言わないでほしいと、額を地につけて懇願したい気分だった。

 あるいは、今すぐにこのドアを開けて逃げ出してもいい。



 でも、できなかった。

 まるで自分のものではなくなってしまったかのように、体が動かないのだ。



「キリハの扱い次第では、焔の炎が人を傷つけることはない。それをどこかで分かっていながら、キリハは必ずみんなを退避させてから焔を使ってるよね。」



 お願いだから、もう何も言わないで。

 これ以上は聞きたくない。



 心臓の音が、どんどん聴覚を圧迫する。



「自分が焔を使うところを、周りに見られるのが嫌?」

「―――っ」



 本能的に、次に来る言葉が分かってしまった。



 嫌だ。



 全身が、本格的に拒絶反応を示し始める。

 乱れそうになる呼吸をなけなしの理性で抑えるも、大きく鳴り響く心臓に勢いよく血液は押し出され、耳ざわりなノイズとなって理性をむしばむ。



 だめだ……

 次の言葉を聞いたら、もう―――





「それとも、他の子に悪いと思ってる?」

「逆にフールは、なんとも思わないの!?」





 気づけば、上ずってかすれた叫びが口をついていた。



「別に俺は…っ、俺自身がどう思われてるとか、そんなのはどうでもいいよ!! でも……でも…っ」



 切なさを増していく声は、自分で止められる域を飛び越えてしまっていた。



 表面張力のようにぎりぎりを保っていた感情は、あっという間に心からあふれ出して、どろどろと粘度の高い異物となって喉を上がっていく。

 そして口腔内に不快感だけを残して、空気を掻き乱すのだ。



「みんなして焔が、俺がって……なんで、なんで他の人たちがいないみたいに…。頑張ってるのは、俺だけじゃないのにさ。」



 ルカやカレンも、サーシャも同じ。

 ミゲルやジョーだって同じ。



 皆が同じ地に立って一緒に戦っているのに、評価されるのは《焔乱舞》を持つ自分だけ。

 それがいたたまれなくて、苛立ってたまらないのだ。



「キリハ……」

「怖いんだ……」



 その一言を零した瞬間、とうとう膝が折れた。

 ドアにぶつかり、キリハはずるずるとその場に座り込む。



「今の状況に、違和感を持ってる人がたくさんいる。何かが変だって、そう言うんだ。縮んだはずの距離だって、どんどん広がってく。俺が焔を取らなきゃ、この〝変〟っていうのは生まれなかった。焔を使えば使うほど、何かが変わって歪んでいくんだ。それが……怖い。俺が……みんなを壊してるんじゃないかって、そう思えて……」



 この歪みが大きくなっていった先に、何が待っているのか。

 それを思うと、剣を握る手が震える。



 このまま時間が流れていけば、いずれはその結末を見ることもできよう。

 もしかしたら、案外悪くない未来が待っているのかもしれない。



 でも今は、時間の経過を待つことすら怖い。

 いっそ、時が止まってほしいと願うほどに。



「キリハ…。そうだね。変わるのは難しく感じるけれど、実はとても簡単だったりする。それを怖いと思うのは、しょうがないのかもしれない。」



 フールは穏やかに語り始める。





「でもね――― 変わらないことっていうのは、変わること以上に難しいことなんだよ。」





 その言葉を聞いて、キリハはのろのろと頭を巡らせた。



 フールの目は真剣そのもので、引き込まれるような不思議な引力を感じる。



 胸中にわだかまる気持ちを吐き出したことで、逃走願望はもろく崩れ去ってしまっていた。

 ただただ黙して、フールの言葉を待つしかない。



「ある意味、この世界は変化で成り立っていると言えるんだ。見るだけ、聞くだけ、触れるだけで、人はいくらでも変わる。その変化を止めることなんて、それこそ不可能なんだよ。君も僕も、これからどんどん変わっていく。その中で、キリハが言うように壊れてしまうものもあると思う。」



 フールは静かに続ける。



「でもね、崩壊の先にあるのは、新しい何かの誕生なんじゃないかな。それをいいものにするか悪いものにするかは、人それぞれの選択だ。僕たちはどんな変化でも、否応なしに受け入れて歩いていくしかないんだよ。――― それが、生きるってことなんだ。」



 そこまで言って、フールは宙を滑ってキリハへと近づいた。

 キリハの髪の中に己の体をうずめた彼は、優しくその頭を叩く。



「今はつらいかもしれない。でも……大事なものを失ってからじゃ遅いんだよ。」



 囁くような声は、静かに消えていくだけだった。


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