第3章 さまよう心

戦線離脱

 キリハを捉えた一撃は、ドラゴンの最期の足掻きだった。

 キリハが倒れた後にドラゴンはまた甲高い絶叫をとどろかせ、《焔乱舞》の炎によって消滅した。



「………」



 広い応接室の中で、ミゲル、ルカ、カレン、サーシャの四人は、一言も発せずに椅子に座っていた。

 四人の表情からはかなりの疲労が見て取れたが、それ以上に深刻そうな色がそこには広がっている。



 ここは、ストー町に一番近い総合病院。

 キリハがここに運び込まれてから、もう数時間以上が経つ。



 日はすでに高く昇っているが、ブラインドが下がったこの応接室は薄暗い。

 まるで、皆の心情を表現しているかのように。



 室内には、時計の音だけが響く。

 淡々と時を刻む無機質な音が、四人の不安をより一層煽っていた。



 ただただ、時間は無為に過ぎていく。

 応接室のドアが開いた時には、時刻はすでに昼を回っていた。



 ふと聞こえた、応接室の引き戸が引かれる小さな音。

 それに、四人は弾かれたように顔を上げる。



「先生、キリハは…っ」



 白衣に身を包んだ男性に、今にも泣き出してしまいそうな顔でサーシャが駆け寄る。

 その様子を見ながら、ミゲルが机に置いていたノートパソコンを操作し始めた。



「幸いにも、ドラゴンの爪の先がかすっただけのようですので、心臓や肺の損傷はありませんでした。ですが、やはり人の体には大きな傷です。容態は……かんばしくはありません。」



 医者の表情は険しい。



「応急処置が適切で輸血も間に合いましたので、なんとか一命は取り留めましたが……今キリハさんは、昏睡状態に陥っています。目覚めるかどうかは、私どもにも分かりません。」



「そんな……」



 サーシャが口元を覆う。

 他の皆も、彼の発言に大きく動揺しているようだった。



「キリハへの面会は可能ですか?」



 新たな声が応接室に響く。

 ミゲルが操作していたノートパソコンは宮殿本部との通信用だったらしく、その画面にはターニャとフールの姿が映っていた。



 男性は静かに首を横に振る。



「いえ。キリハさんは、集中治療室で二十四時間の監視体制に置かれています。容態も先ほどようやく落ち着いたところですので、できれば面会はご遠慮いただきたいと思います。」



「そうですか。では、キリハをフィロアへ搬送するとなると、どれだけの時間が必要ですか?」



「可能なら、目が覚めるまではこちらでお預かりしていたいところです。どうしてもと言うなら、最低でも三日。搬送に際しては三人以上の医師、看護師がつき添いの元、重篤患者用の救急車が必要でしょう。」



「分かりました。全てこちらで手配します。」



 ターニャは迷う素振りもなく頷いた。



「では後ほど、こちらの医師から連絡させます。詳しい話は、そこでお願いできますか?」

「はい。」



 ターニャの言葉に男性は頷く。

 その後いくつかのやり取りをして、彼はまた仕事に戻っていった。



 途端に応接室は、全身に重くのしかかるような沈黙で満たされる。



「ここで、キリハの戦線離脱は痛いね。どうしたもんか……」



 画面の向こうでフールが呟く。



 ドラゴン討伐はまだ始まったばかりだ。

 戦いはこれからも続くし、その中には今回以上の苦戦になる戦いもあるだろう。

 ここでキリハと《焔乱舞》が動けなくなることは、あまりにも甚大な痛手だった。



「ちくしょう、戦況を見誤ったか…。キー坊を送り出すんじゃなかった。」



 ミゲルが悔しげに眉を寄せて奥歯を噛み締める。



 現場の具体的な指揮は、ミゲルに委ねられている。

 特に今回のキリハの動きは、ミゲルとキリハの間でのみ計画されていたこともあり、ミゲルが責任を感じるのも仕方ないことだった。



「いや……」



 誰もが口を閉ざす中、フールはゆっくりと首を横に振った。



「多分今回は、これが最小の被害だったんだ。キリハがあそこでみんなの所に駆けつけなかったら、今頃みんなで仲良く病院のベッドの上さ。空撮映像を見返したけど、今回の子は建物を壊すことでみんなの動きを止めて、そこを一網打尽にする気だったんじゃないかな。壊れている割に、賢い子だったんだね。」



 おそらくキリハは、どこかでドラゴンの魂胆に気づいたのだろう。

 加えて、キリハが《焔乱舞》の力を過信していなかったことも幸運だったといえる。



 《焔乱舞》で攻撃を与えただけで満足はせずに次の行動に移ったからこそ、ドラゴンの狙いからのがれられた人間は多い。

 キリハがあの場に駆けつけなかったら、瓦礫がれきのせいで身動きが取れなくなっていた最前線の人間が全滅していた可能性だってあった。



 かなりの痛手だとしても、今回はこれが最小の被害だったのだ。



「その……こんな時に訊くのもなんですが、その〝壊れてる〟ってのは、どういうことなんですか?」



 ふと、ミゲルがノートパソコンに向かって問いかけたのはその時。



 皆も気になっていたことなのだろう。

 その疑問が放たれた瞬間、全員の視線がフールへと集中した。


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