わだかまる疑念

 まだ日も昇り切っていない早朝。

 キリハは静かに目を開けた。



 最近、やたらと早く目が覚めてしまう。

 どれだけ夜更かしをしようが、どれだけ疲れていようがこうなので、最近は体が重く感じて仕方ない。

 とはいえ、もう一度寝るには中途半端な時間だし、二度寝はしない方なので結局起きるしかない。



 洗面所で顔を洗い、歯ブラシをくわえたまま部屋に戻る。

 そして特に目的があるわけでもなくテレビのチャンネルを回し、すぐに消した。



 見なければよかった。

 心底後悔する。



 この時間帯は、ニュース番組くらいしかやっていない。

 タイミングが悪かったのか、ほとんどの番組が昨日のドラゴン討伐について報道していた。

 一体どこから撮影していたのかは知らないが、様々なアングルから撮られた古代遺跡と、そこに舞う炎の映像がくどいほどに流れていたのだ。



 昨日は麻酔が効いたせいで、ドラゴン殲滅部隊はほとんど動いていない。

 だから結果として、取り上げる部分が《焔乱舞》の威力に絞られるのは仕方ないことなのだろう。



 でもとにかく今は、《焔乱舞》と自分を褒め称える声など聞きたくないのだ。



 朝一番に嫌なものを見てしまい、もやもやした気分のまま部屋を出る。

 最近いつもそうしているように、階段を上がって屋上へと向かった。



 こちらの気分などつゆ知らず、屋上を包むのは爽やかな青空だ。

 それに複雑な気持ちになる一方で、自分に構わず変わることのない空にほっとする。

 そんな朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、肺が空になるまでゆっくりと息を吐き出す。



 静かに目を開いて見下ろした街の風景は、いつも下から見上げることが多いせいか、少しだけ見慣れないものを見るようで新鮮だ。

 ガラス張りのビルの窓に朝日が反射して輝き、道を行く人や車の姿は小さくて、まるでおもちゃのようだ。



 でも不思議なことに、この景色を綺麗だとは思わなかった。



「………」



 キリハは思わず目を伏せる。



 自分の心が嫌な方向へ傾いていると、それを自覚するしかない。

 周囲に対する感覚が鈍麻しているのがいい証拠だ。



 昨日に至っては八つ当たりまでしてしまっているし、ここ最近の自分は自分じゃないように思える。

 それだけ、自分の心が追い詰められているのだろうか。



 腰に下がる《焔乱舞》に手をかけ、ゆっくりと抜いて天にかざしてみる。

 日の光を浴びてきらめくあかい剣は、その刀身から小さな炎を舞わせている。



 使用者を選ぶと言われていた《焔乱舞》。

 それがどういう意味なのかは、《焔乱舞》を手にしてから実体験を元に知った。



 自分以外の誰も、《焔乱舞》に触れることができなかったのである。

 さやに触れる分には特に問題もないらしいのだが、誰もそのつかを握ることはできなかった。



 皆口を揃えて、熱くてさわれないと言うのだ。



 科学的な分析もされたが組成は至って普通の剣であり、《焔乱舞》が発熱しているというデータも取れなかったらしい。

 しかし、《焔乱舞》が自分以外の人間に熱さを感じさせている事実もあり、宮殿の研究者たちは頭を悩ませているそうだ。



 ただ確かにある現実は、《焔乱舞》が自分にしか扱えない剣であること。

 それだけだ。



「なんだかな……」



 じっと、炎を宿した剣を見つめる。



 自分のことを絶対に認めさせると大口を叩きはしたものの、実際に《焔乱舞》が手元に来たのは、奇跡的な確率だったと思っている。



 あの時は精神的にも肉体的にも限界が近かったし、何よりレイミヤが現場だったこともあって、とにかく必死だった。

 自分も周囲もかなり疲弊していて、それはドラゴンも同じことで、双方のためにも早くこの戦いを終わらせたかった。

 《焔乱舞》の声に引きずられた時も、売り言葉に買い言葉の勢いで、がむしゃらに手を伸ばしただけだ。



 そうして掴んだこの剣。

 それによってもたらされた変化。



 その変化の大きさは、自分の想像を大きく超え過ぎていた。



 テレビや新聞の世界など、所詮は画面や紙面を挟んだ別世界でしかない。

 そこに自分が取り込まれることになるなんて、頭の片隅ですら思ったことはなかった。

 画面の向こうに自分が映る違和感が気持ち悪くて、苛立ちすら覚える時もある。



 ドラゴン討伐の終わりと共に過去も清算され、竜使いを差別する風潮もなくなるだろう。



 飽きるほど見た《焔乱舞》の特集番組で、そう語るまれな評論家もいる。

 もし本当にそうなるなら、これだけ自分が目立っていることにも意味があるのだろう。



 しかし結局のところ、それは夢物語でしかない。

 現実はあまりにも厳しく、無慈悲だ。





 ――― 本当に、正しかった?





 現実を見つめ続けてきた心が問いかけてくる。

 この剣を手にして得られた恩恵は大きいが、何か違う気がするのだ。



 本当に自分は、《焔乱舞》を手にするべきだったのだろうか。



 ドラゴン大戦時は、《焔乱舞》なしで戦っていたらしい。

 それならば今だって、苦労するのは最初だけで、経験を積んで慣れていくうちに《焔乱舞》がなくとも効率よく戦うことができるようになるはず。



 じゃあ、《焔乱舞》がここにある意味はあまり大きくないのでは…?



「もう……分かんないや。」



 楽観的だった頭で必死に考えたが、結局何が正しくて、何がいけないのか分からない。

 自分と周囲に生まれてしまった歪みは大きくきしむだけで、その改善策も全く思いつかない。

 もう、考えること自体に疲れてしまいそうだ。





 ピ――――――ッ





 その時、宮殿中に耳を塞ぎたくなるほどの警告音が鳴り響いた。

 最近は聞く度に憂鬱ゆううつになる、ドラゴン出現警報だ。



「……行かないと。」



 自らに言い聞かせ、動きたがらない足をドアの方へ向ける。

 一つ深呼吸をして腹に力を込める。



 それで気持ちを切り替え、次にキリハは思い切り走り出した。



 そうすることで、沈む心を振り払うように。


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