先輩とわたしの一週間

新高

第1話 日付が変わって土曜日、午前0時をすぎましたー1




 目覚めると見知らぬ天井だった。



 ゆっくりと身を起こしながらはたしてここはどこだろうかと日吉晴香は首を捻る。しかし何一つ思い当たる場所が浮かばない。寝ていたベッドは一般的なサイズの物であるし、部屋の造りからしてもホテル、というわけではない。個人宅、であるのはほぼ間違いないだろうが、そうなるとここは誰の家なのかという最大の疑問が浮かぶ。


 待て待てこういう時は朝からの行動をじっくりと振り返ろう、何事も慌ててはいけない特にお前は落ち着きあるように見えてテンパりやすいからなって先輩にいつも、となった所で思い出した。


「……せんぱい」


 ここ最近仕事がとにかく忙しかった。軽くデスマーチかと思う中どうにか乗り切った週末金曜日、よくぞ今日まで頑張った、ということで入社してからずっと補佐として就いている先輩――葛城親弘と居酒屋に入り盛り上がっていた、はずだ。

 瞳を閉じなんとか記憶を探るがしかしそこまでしか浮かばない。アルコールに強いわけではないが、かといって弱いという程でもない。それでも普段よりかは量を飲んでいたような気がする。寝起きの今もまだ若干ふわふわとした感じが抜けないのだから、きっと居酒屋にいた時点ではかなり泥酔していたのだろう。それこそ、記憶がなくなるまでに。

 となればここはかなりの確率で先輩の家か、と結論付けた所で晴香は周囲を見回す。人の気配が感じられない。


「……先輩?」


 自分でも驚くくらいに声が不安げで、それがさらに晴香の気持ちをざわつかせた。先輩の家だと思っていたけれどももしかしたら違うのかもしれない。泥酔した相手を放置して帰るような人ではないけれど、その気遣いを振り切って帰るくらいの無謀さを自分が発揮していないとも言えない。あ、やばいかも、と晴香はとりあえず立ち上がろうとしてそこでようやく異変に気付いた。

 服が自分の物ではない。かなり大きめのTシャツ一枚だけという格好。下は何も穿いておらず素足だ。しかしそれよりももっと何かが大きく違うのだけれども、酔いと不安に襲われている身としてはそれが何なのかが分からない。


「先輩……」

「起きたか?」


 突如聞こえた良く知る声に晴香は弾かれた様に顔を上げた。暗い室内からでは明かりを背に立つ人の顔は逆光で、思わず瞳を閉じるが声の主を間違える事はない。


「先輩!」

「どした?」

「……いや、あの、ここ……う、わっ!?」

「だからどうした?」


 ナンデモアリマセン、と晴香はつい、と視線を反らした。目が慣れれば相手の姿もはっきりと分かる。どうやら風呂に入っていたらしい。首からタオルを掛け、髪は濡れている。当然、と言うべきか上半身は裸で、スウェットのズボンを穿いているのがとにもかくにもありがたかった。これで下着だけ、もしくは全裸であったならば自分は夜中にも関わらず大声を上げていただろう。


「気分はどうだ?」

「あ、はい、概ね良好です……で、ですね先輩」


 ここは? と口を開きかければ先んじて答えが返る。


「俺の家」

「あ、ですよねなんかすごい先輩の家って感じです」

「どんな感じだよ」

「え? 殺風け……さっぱりしてるなって! 余計な物がない感じ-」

「日吉ぃ……」

「でもってあの先輩わたしはですよ」

「見事に寝落ちってくれたんだよ。放置して帰るわけにいかねえし、かといってお前の家知らねえから」

「ご……ご迷惑を」

「ホントにな。で、お前覚えてんのか?」

「……なにを?」

「店での会話」

「あー……なんと、なく?」


 居酒屋での記憶はあるかと問われ晴香は今度は視線をさ迷わせた。一緒に飲んでいたのは当然覚えている。仕事の愚痴がほとんどであったけれども、会話自体はとても楽しかった。


 が、しかし。


 その具体的な中身が思い出せないでいる。特に後半ともなれば壊滅的だ。きっとそこでおそらく絶対に間違いなくとんでもない事を口走っていたに違いない。だって目の前に立つ葛城の顔が職場で見せる「お前ほんとになあ」という呆れたものであるからだ。

 ガシガシとタオルで髪を拭きながら葛城が軽く腕を動かした。飛んできた物は紺色のタオルで、晴香はそれと葛城を交互に見比べる。


「ひとまず顔でも洗ってこい。そしたら少しは頭も動くようになるだろ」


 それともシャワーでも浴びるか? と問われたが時間も時間だしと晴香はそれは辞退した。ベッドから降りてそそくさと葛城の脇を通り過ぎる。

 とりあえず言われた通りに顔を洗いたい、あとトイレ、と思った所で「風呂はそこ、トイレは突き当たり」と背中に声がかけられた。さすが先輩ガラが悪くて言葉は荒いけどお気遣い紳士、とやっぱりこの人の下に就けて良かったなあと思いながら晴香は洗面所へと向かった。

 顔を洗い軽く口も濯いで目の前の鏡を見る。まだ顔の赤みは抜けないが、それでもかなり素面に戻ったと思う。そしてそのままトイレへ、と入った晴香は危うく叫びかけた。ここで、ようやく、体に纏わり付いていた異変に気付いたというか見せつけられたというか。


 なんで、どうして、嘘でしょう!? と軽くパニックを起こす。こんな状態で葛城の前に出られるわけがない。しかしトイレに立て篭もった所で問題は何も解決しない。そうよそもそもこれは先輩が、となった所でボン、と顔から火が吹き出た。ぐおおおお、と地を這う様な低音が他でもない自分自身の口から漏れ出る。


 死ぬ、羞恥で死ぬ、と悶絶することしばし――




 覚悟を決めて晴香は籠城していたトイレから出た。

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