第32話 フォルスの想い、癒える心、仲間たち

――フォルス、シャーレ



「ゴホゴホ、海って塩辛ぇ。こんなに海がでかいなら塩取り放題だな。そういや、ラプユスの授業で習ったな。たしか塩田だっけ? 俺の田舎だと塩は貴重品だから羨ましいなぁ」

「フォルス、大丈夫?」

「ああ、だいじょ――!?」


 波打ち際に佇む少女・シャーレ。

 彼女もまた俺と同じく、黒のドレスと履き物を濡らさないように素足になり、スカートの裾を上げて片方に結んでいる。

 そこからは白い砂浜よりも美しい白色の太ももが露出していた。


 俺はそれを直視できず、顔を真っ赤にして瞳を足元を攫う波間に向ける。

「えっと、大丈夫だよ、シャーレ」

「ん? そう、ならいいんだけど……」


 俺のおかしな様子にシャーレは首を子リスのように傾けた。

 そんな小さな動作がどうしてか妙に可愛く見えて戸惑ってしまう。


(まったく、太もも見たくらいでなんで俺は? 自分で思っているよりも俺はスケベなんだろうか? いやいや、そんなはず。あれだ、シャーレと二人になるのって何気に初めてだから――二人!? 考えてみれば、シャーレと二人っきりになるのって初めてじゃんっ)



 そう意識した途端、体の熱が上がるのをはっきりと感じた。

 これは何だろうか? 緊張?


(なんで緊張なんか? 二人きりじゃなくても夜には隣で寝てるのにいまさらこんなことくらいで――)

 頭を振る。だけど、視線は無意識に太ももへ。

(こら!? おれ!? やっぱりスケベなのか、俺は? 太ももじゃなくてしっかりシャーレの顔を見ないとっ)


 俺は立ち上がり、シャーレへ瞳を合わせた。

 光沢のある黒の瞳が儚く揺れて俺を見つめている。

 潮風に揺れる艶やかな黒髪。潮騒が俺たちを包み、他に音はない――。


 互いに見つめ合う時間はとても短いものだったはず。

 しかし、シャーレの頬は見る見るうちに赤く染まり、俺もまた自身の顔が赤くなっていることを感じた。


 ただ、瞳に姿を映し合っていただけの時間のはずなのに、心臓の音が早鐘のように鳴り響き、耳に木霊する。

(なんだろう、この感情? もしかして、知らず知らずのうちにシャーレを意識してるのか? 彼女はたしかに可愛い。だけど、仲間としての距離感はともかく、男女としての距離感はこれほど近くなかったはず。それが急に縮まることなんてあるのか?)


 

 誰かに惚れたことも誰かを愛したこともない俺には、そういった感情がどのようなものかわからない。

 二人っきりになっただけでそんな感情が沸き立つものなのか?

 それとも、太もも見てスケベ心が騒いでるだけ?

 わからない……。


 俺は無防備に立ち尽くす。

 すると、不意に悪戯な引き潮が俺の足を引っ張った。

 しおは俺のかかとの砂を巻き込み海へと帰る。

 それによりバランスを失い、後ろへ倒れそうになった。

 すかさずシャーレが手を伸ばす。


「フォルス、危ない!」

「シャーレ!?」


 俺もとっさにシャーレの手を握った。

 しかし、崩れたバランスは取り戻せず、シャーレと一緒に波間に倒れてしまった、


「うわっ!?」

「キャッ!?」


 重なり合うように二人して砂浜へ倒れこみ、俺は揺れては返す波に体を預け……シャーレは俺に体を預けた。


 冷たい海の水にひたり体は震えるが、彼女と密着している部分からは心地よい暖かさと柔らかさを感じる。

 その柔らかさとは裏腹に体は硬直。

 濡れたシャーレの肌に張り付くドレスに瞳を奪われる。

 水に濡れたドレスは下着のラインを見せて、彼女の肉感的な胸を浮かび上がらせる。


 ごくりと、小さく喉が鳴る。

(す、すぐに離れないと!)

 そう思っているのに、なぜか俺もシャーレも合わさった体を離すことなく、波間に揺れ続ける。

 だけど……。


「くしゅんっ」


 シャーレの小さなくしゃみ――これに固まった体が柔らかさを思い出す。


「いけないっ。早く立たないと風邪を引く!」


 俺はシャーレを支えるように立ち上がり、彼女へ声を掛ける。


「大丈夫? ケガはない?」

「うん、大丈夫。フォルスこそ大丈夫?」

「ああ、俺も問題……おお、寒っ」



 緊張がほどけた瞬間、体が寒さを訴え始めた。

 冷たい海の水に濡れた肌と衣服へ海風が容赦なく吹きつける。


「おお~、寒寒っ。シャ、シャーレも寒いだろ? 早く服を乾かさないと」

「う、うん。さすがにこれは寒いかも」

「ほんと、ごめん。巻き込んじゃって」

「ううん、全然気にしてないから。それよりも服を乾かさないと。えいっ!」


 シャーレは指をパチリと弾いた。

 すると、温もりのある水が俺たちを包んでべたついた海水を洗い流したかと思うと、次に暖かな風に包まれ、濡れた衣服と肌をあっという間に乾かした。


「おお、すげっ。さすがはシャーレ。旅の間も洗濯やお風呂関連はシャーレとアスカの魔法にお世話になってるしなぁ」

「ふふふ、近いうちにフォルスもこれくらいできるようになるよ」

「そっかな? いや、そうだよな。シャーレみたいな優秀な先生がいるんだしな」

「クスッ、それじゃあ、フォルスのために心を鬼にしてビシバシ鍛えないとねっ」

「そこはお手柔らかに頼むよ、あはは」



 先ほどの緊張が嘘のように海風に流れ消えて、いつものようなやり取りを行う。

 いや、いつもよりも自然で、シャーレとの距離がぐっと縮まった感じがする。

 ごく自然に会話をして、ごく自然に接することのできる……仲間。友達。

 シャーレは友達のはず……だよな?


 俺は笑いを収めて、瞳をシャーレから遠くへ移す。




――防波堤近く


 フォルスとシャーレがイチャコラしていた頃、海岸近くの防波堤に身を隠したアスカたちが二人の様子を覗き見していた。


「なんじゃなんじゃあれはっ!? しょうもない甘酸あまずっぺぇ空間を作りおってからに。キスくらいせんか! シャーレの奴は出会ったときの方が大胆じゃったぞ! いきなりぶちゅ~の好きですの告白コンボじゃったのに!!」

「ええ、そうなんですか!? それは大胆ですねぇ」

「お二人とも、覗きは……」


 三人は乗船手続きを手早く終えて戻ってきていた。

 そして、こっそりフォルスとシャーレの逢瀬おうせを覗き見していたのだ。


 しかし、フォルスはこれに気づいていた。

 視線を遠くに移したのはこれが理由。


「あいつら、いつから。シャーレ……」

「うん、わかってる」



 シャーレは黒き風を纏い、黒のやいばを産み出す。

「あなたたち、死ね!」


「いかん、バレとる! しかも、殺気の籠りようが尋常ではない。あれはマジじゃ!」

「シャーレさん、落ち着いてください! 私はお二人から愛を学びたくて仕方なく!」

「私は、一応、止めたのですが……」


「問答無用! 消えちゃえ!!」


「ぷぎゃぁ!」

「きゃあ!」

「がはぁ!」


 放たれた黒の刃は見事三人に命中し吹き飛んだ。

 しかし、悲鳴は出したものの怪我は無い模様。

 三人は慌てて逃げだして、それをシャーレが追い回している。

 四人のコミカルな様子にフォルスは笑い声を上げる。

 

「あはは、一気に仲間っぽくなったなぁ。うん、今ぐらいの距離感がいいや。さっき抱いた感情がなんだったのかは、ゆっくり考えよう」



――――――

 砂浜での騒動が一段落して、乗船の時間まで町を見て回ることに。

 アスカとラプユスは出店という出店の食べ物を食い荒らして、レムは食べ過ぎないように注意を促している。

 俺とシャーレはその様子を少し離れた場所から見守っていた。


「二人とも底なしかよ……」

「ふふ、レムは大変そうね」


 潮風に流れる髪を押さえてシャーレは微笑んだ。

 初めて出会ったときよりも彼女の心に余裕が生まれているように感じる。

 出会った当初の彼女の瞳には俺しか映っていなかったが、今は旅をする仲間たちを宿している。


「なんだか、楽しそうだね。アスカたちを見てるのが」

「え? ええ、そうね。私は対等な誰かと一緒にいる、そんな生活を送ったことがないから。こうやって気兼ねなく会話を行ったり食事を行ったりすることがとても新鮮で……そう、うん……楽しく感じている」



 彼女は自分の心の中にある感情を確かめるように、胸に手を置いて言葉を発した。

 魔王としてのシャーレに配下は居ても、友は居なかったのかもしれない。

 家族も幼いころに亡くなっているようだし、自分と同じ目線で一緒に居られる誰かが存在しなかったのかもしれない。

 だから、今を新鮮に感じて、初めてできた友達と一緒にいることが楽しいと感じているのだろう。



 やっぱり、彼女は変化してきている。良い方向に。

 裏切りによってできた彼女の心の傷。

 それはこの旅を通して、着実に痛みを消し去っている。


「これからも、一緒に旅を続けられるといいな」

「そうね。少なくともあの二人を見てると飽きないし」


 シャーレは人差し指を跳ねるようにピッと前へ突き出す。

 指先の向こうでは食べ物をのどに詰まらせて死にかけているアスカとラプユス。

 その二人の背中をバンバンと叩いているレムの姿。


「あの二人は何やってんだよ、本当に……」

「レムに任せっぱなしじゃ大変でしょうね」

「そうだな、俺たちも行こう。それに、そろそろ乗船の時間だしな」

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