第13話 瞬殺

 男たちの怒号、女たちの悲鳴、子どもたちの泣き声。

 取る物も取り敢えず逃げ出す者。築き上げてきた財を諦めきれず荷馬車へ載せている者。心を失い立ち竦む者

 恐怖と混乱に心は蝕まれ、顔は歪み、涙と唾液の化粧で彩る。


 これを愚かと言えるだろうか? 醜いと思えるだろうか?

 俺には、そうは言えない。思えない。

 突然訪れた災禍さいか――前触れもなく砕けた日常に対して、冷静という小さなやいばで立ち向かえる者などまずいない。


 だからこそ、聖女ラプユスが彼らの前に立つ。

 わずかでも時間を稼ぎ、逃げるという選択肢を思い出させるために。

 教徒たちもまた彼らに正解を思い出させるために、混乱を静め、避難を呼びかけている。

 

 だが、それらは間に合わない――。


 巨なる悪魔ナグライダは無数の顔が張り付く不気味な拳を振り上げた。

 次には振り下ろされ、ラプユスの加護は崩潰ほうかいし、町は消し飛ぶ。


 

――そんな結末、俺が許さない!



 嘆声たんせいに飲み込まれた町を駆け抜け、可能性を喰らう剣へ手を掛ける。

時滅剣クロールンナストハよ! 俺に、この町を救い、ナグライダを滅ぼす力を!!」



 剣は引き抜かれ、つかから脳へ知恵が宿り、肉体に精気が伝わる。

 その力は魔王シャーレを組み伏せた時の比ではない!


 俺は大きく空へと飛び上がり、ナグライダの恐ろしくも魁偉かいいな拳を左手のみで受け止める!!

 ぶつかり合うこぶしてのひら。同時に弾ける爆裂音

 音は周囲に怯えと痺れを撒いたが、俺の心と体は全く動じない。

 

 大岩の如き拳が小さき人の手のひらで止められた事実に、ナグライダは驚きに一歩足を後ろに引き、人々は逃げ出す足を止めて空に佇む俺へ衆目しゅうもくを集める。


 俺は右手に持つナストハへ笑みを浮かべた。

「へへ、なんて剣だ。ナグライダを前にしても恐怖を感じない……これが俺の可能性の一つなのか?」

 


 シャーレに習い始めたばかりの魔法。まだまだ初歩の魔法しか使えない。

 だがいま俺は、高位の魔法である浮遊魔法を使い空へ足を降ろしている。

 さらに――!


「このまま退治したら町に被害が出るな。ナグライダ、舞台を空へ変えよう」

「ガ……?」


 ナグライダが人如きの言葉に疑問を纏う。そこには恐怖も混じっていた。

 巨なる悪魔ナグライダ――しかし、俺の前では小さき存在。


「さぁ、空へ。重力反転魔法グシソ・フライジャナ!」

「ウガァァァアァアァァアァ!?」


 人々の視線を高きに上げる巨大な存在は、さらに高い場所へと向かい、視線がかすむ場所まで飛ばされる。

 俺は巨体によって巻き上がった土煙の軌跡を辿り、彼と目線を等しくした。



 彼の黒く澱む瞳にはこれから訪れる死への恐怖が宿る。

 そこに僅かばかりの同情を禁じ得ぬが、彼の存在はあまりに危険すぎる。


「さらばだ、ナグライダ――無極むきょく千万ちよろず!」


 風の音を越えて、光すら後塵こうじんはいする速度で無数の剣線を走らせた。

 この技は俺が得られるはずだった可能性の一つ。

 剣線により、塵よりも細かく刻まれたナグライダの肉体からは血煙が立ち昇る。だが、それもまた刻まれ、霧散し、消えた。



 俺は空の青のみが残る場所から足を降ろし、聖都グラヌスに昼夜を伝える時計台の屋根へ足を置く。

「ふぅ~……あんなのに楽勝で勝っちゃうなんてな。でも、その代償は……」


 ナストハのつばの部分へ瞳を寄せる――時計の針が一時間も進んでいる。

「シャーレの時は一秒だった。あれは彼女を止めるため程度のもの。だけど今回は、ナグライダを瞬殺できるレベルの力を引き出した……これだけの可能性が必要であり、喰われ消えたのか。でも――」


 町へ瞳を降ろす。

 壊れた場所はなく、人々も無事。

 シャーレやアスカにも怪我はない。

 俺はそれに満足して、安堵した。




――地上


 ナグライダの拳を受け止め、山のような巨躯を空へ舞い上がらせ、塵も残さず消し去った事象に、人々は心と体の動きを止めていた。


 その中でアスカは小さく声を漏らす。

「先ほど使用した可能性はおそらく複合の可能性。いくつかの可能性を同時に使用しておる。それほどの敵であったか……時計の針は如何ほど進んだのか?」


 龍の少女は、現実を夢想と感じて無音に包まれる人々へ黄金の瞳を振った。

(良い機会じゃ。せめて、フォルスの名を売っておくか。これが吉と出るか凶と出るかはわからぬが)



 アスカは大きく一歩踏み出して、瞳を空へ掲げる。

 誰もが空白に身を委ねる中、アスカの動きに気づいた聖女ラプユスが物問ものとう。

「今のは? 彼は一体?」

「あやつの名はフォルス――勇者フォルス=ヴェル! 巨なる悪魔から聖都を救いし勇者、フォルス=ヴェルじゃ!!」


 アスカの言葉は空白の合間を波打ち、波紋を広げていく。

 波紋に触れた誰かが彼の名を口にする。そしてその音は、口々に伝播する。

「勇者……フォルス=ヴェル?」

「町を救ってくれた勇者フォルス?」

「化け物から俺たちを助けてくれた――勇者フォルス!!」


 彼らは瞳を勇者フォルスに捧げて、手を伸ばし、名を呼ぶことで謝儀しゃぎと祈りとする。



――フォルス! フォルス! フォルス! フォルス! フォルス! フォルス!――



 恐怖から解き放たれた民衆は安寧に酔い狂う。

 狂騒とも呼べる声々がフォルスの名を唱え続ける。

 その酔いの中でアスカはこっそりシャーレへ声を掛けた。


「ワシはちょいと時計塔のところに行って来るから後は頼んだぞ」

「え?」

「剣の力を振るわぬフォルスではあそこから降りられまい。かといって、降りるだけのために剣の力を使うのは難があるじゃろうて」

「あっ」


「ま、適当にぶん投げて落とすから、おぬしの魔法で格好良く着地させてくれ。せっかく格好良くまとまっておるのに、降りられません、着地は下手ですじゃ締まらんじゃろうて。というわけで、おぬしが格好良く決めてやれ」

「わかった」

「それにの――」


 ここでアスカの唇が嫌らしく歪む。

「大勢の目が集まる場。最高のアピールの場となるぞ。照れなどに屈するな」

「っ!? わかった! 頑張る!」




 シャーレは瞳に愛という名の欲望を宿し、ふんすと鼻から大きく息を飛ばす。

 しかし、すぐに不安の色を声に表す。その態度にアスカは眉を跳ねた。

「だけど、フォルスは大丈夫なの?」 

「ほ~、ここでフォルスを想うか」

「え、当然でしょう? 私の大切な人なんだから」

「ふむ」

(てっきり、自分の欲望しか見えずにいるかと思いきや、ワシが想像するよりもフォルスをしっかり見ておるようじゃな。それでもまだ、縋っている部分は否めんが)


「アスカ、どうしたの?」


「いや、大したことではない。そのようなことよりも……おぬしの懸念は剣のことか?」

「ええ。さっきの力はかなりの……」

「あやつの可能性は深い。とても深い。今回、かなりの可能性を喰らわせたとはいえ、まだまだ安全圏内じゃろ」


 この言葉に、シャーレはうつむき、沈む。

「フォルスの可能性――奥深くに眠る才は本物。それでも――」

「そうじゃな。今後はあまり使用せんように、ワシやおぬしが頑張らんとな」


 アスカは散ったナグライダへ顔を向ける。

「今後、あのような化け物が立ちはだかることがないように祈りつつな……」




――聖女ラプユス


 アスカとシャーレが会話を重ねる中、ラプユスもまたお付きと会話を重ねていた。

「巨なる悪魔ナグライダを滅することができる人間が存在するなんて……」

「ええ、まったくもって驚きです。ですが、ナグライダの問題はまだ終わったわけではありません」


「そうですね。ナグライダが復活したということは封印の要石となっていた存在も解放されたということ……恨んでいるでしょうね。我々を」

「すでに力を失い、全てを失っているやも」

「その可能性もあるでしょうが、調査は必要でしょう。そのためには……」


 ラプユスはアスカとシャーレへ視線を投げ、そして時計塔の屋根に佇むフォルスを見つめる。

「彼らに力を貸してもらう必要があるでしょう……それに、フォルス=ヴェル。彼には愛を司る聖女として、愛について教えを乞いたい」

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