第10話 聖女ラプユス

 これからもシャーレと共に旅を続ける。ギルドに情報を集めに行く。

 そう話はまとまり、ギルドの場所を通りかかりの人に尋ねようとしたところで大声が響き渡る。


「誰かそいつを捕まえてくれ! ドロボーだ!!」


 俺たちの視線が声へ向かう。

 一人の青年がバッグを脇に抱えて、俺たちとは反対側の通りを走り抜けていく。

 その後ろから、ふとっちょのおじさんが頬を赤く腫らして口から血を流し、息を切らせて走っている。

 どうやらおじさんが青年に殴られてバッグを盗まれてしまったようだ


 青年は息を切らすおじさんをせせら笑い、足の速度を速めていく。

 そこに、水よりも透き通る清涼な少女の声が広がった。



――聖都グラヌスで悪事を働くなど身の程知らずですね――



 青年は少女を前にして足を止めた。

 俺たちは青年の先にいる少女を見るために首を伸ばす。



 そこには、絹糸のように細く長い金の髪を揺らす美しい少女を中心に置いた、真っ白なローブを纏う集団がいた。


 少女の髪の左右には青の髪飾り。

 背格好は150cmにも届かない程度だったが、伝わる雰囲気に僅かな大人の色香が混ざっており、おそらく年は十五歳前後。

 彼女もまた純白の服装であったが、集団の単純なローブとは違い、足首まで届くスカートの膝・太もも・腰の部分にフリルがあり、その服の上に絢爛な刺繍がほどこされた桜色のローブを纏っている。


 誰かが少女の名を呼ぶ。


「ラプユス様だ! 聖女ラプユス様がお越しになられたぞ!」


 

 俺はその名前に聞き覚えがあった。

「ラプユスと言うと、モチウォン教の聖女……彼女があの噂の聖女なのか」

「何者じゃ、あやつは?」

「俺も詳しくはないんだ。癒しの聖女として名高いというくらいかな。シャーレは?」

「ごめんなさい。私もフォルスと同じで具体的には」

「そっか。それにしても、いきなり聖都の象徴に会えるなんてラッキーだったかも。泥棒の方は運が悪かったんだろうけど」



 俺たちは瞳を聖女ラプユスへ寄せる。

 ラプユスは柳眉りゅうびを逆立て、緑の虹彩に包まれた黄金の瞳で青年を射抜く。


「何やら不穏な気配を感じ取り、急遽、巡回の予定を組みましたが功を奏したようですね……他者を傷つけ、財を奪うなど言語道断。聖女ラプユスの名にいて裁きを与えましょう」



 どこまでも精白な彼女の声に民衆はどよめきを返す。

 俺は聖都の象徴たる聖女の裁きに興味を示しているんだろうなと思ったが、どよめきの内容は思っていたものとは違った。


「おいおいおい、ラプユス様の裁きだとよ」

「ああ、やべぇことになりそうだ」

「あの泥棒も運がないよな。よりによってラプユス様の巡回中に盗みを働くなんて」

「とりあえず、子どもは家の中へ。とてもじゃないが見せられないからな」


 

 何故かやじ馬たちに怯えが見える。

 それは聖女ラプユスを取り囲んでいた白いローブのお付きの人たちも同じ。


「ラ、ラプユス様! 何も御自おみずから裁きなど!」

「ふふふ、お気遣いは無用ですよ」

「いえいえ、お気遣いではなく聖女としてのイメージが悪くなりますので」


「はい? 闇に落ちた哀れな青年へ愛を伝えることが悪いと?」

「そういうわけじゃありませんが……ともかく我らが処理しますのでラプユス様は巡回の続きを」

「そうは参りません。巡回は町と民を見て回るもの。そうだというのに、目の前で起きた惨事を見過ごしては意味がありませんでしょう?」


「惨事と言うほどではないでしょう。盗みですし」

「あなたは罪に貴賤をつけるつもりですかっ?」


 ラプユスの声の高さが一つ上がり、金の瞳に冷たさが宿る。

 それに怯えたお付きは声を上擦らせた。

「そ、そ、そのようなつもりでは」

「ならば、良いのです。では、断罪を」


  

 ラプユスが右手を掲げると、ササっと別のお付きが錫杖を渡した。

 いや、錫杖と呼べるのかは甚だ疑問だ。

 地面を突く杖の端は針のように鋭く、掲げる先端部分には楕円の形をしたやいば

 それはちょうど人の首を刎ねるに適した形。

 


 ラプユスは怯える青年へ暖かな微笑みを浮かべ優しく諭していく。

「なぜ、二つ神は悪を人ヘ与えたもうたのか? それは、私たちが無知であるため蒙昧もうまいであるため。悪を知らずに善を知り得ない愚かな存在であるため」


 彼女は太陽の光を反射させるやいばの先端を青年へ向ける。

「何故、あなたが他者の財を奪い、傷つけることができるのか? それは愛を知らぬため痛みを知らぬため。愛と痛みは表裏。故に、あなたに痛みを授け、愛へのかいとしましょう」



 一歩踏み込むラプユス。それに対して青年は盗んだバッグを投げ捨てて懐からナイフを取り出す。

「クソッたれ! や、やれるもんならやってみやがれ!! 返り討ちにしてやらぁあ!!」


 青年はラプユスへ飛び掛かった。

 それに合わせて、やじ馬の皆さんとお付きの人たちは目を背けた。

 俺たちだけが次に起きた出来事をはっきりと目にする。


 ラプユスは錫杖で足払いをする。

 その動きは、修行のおかげで多少なりとも成長した俺でも目で追うのがやっとの速さ。

 青年にとっては神業と言えるものだっただろう。



 彼の足首が宙を舞い、勢いづいていた彼は地面へ転がるように倒れ込む。

 舞った足首が青年の目先にぼたっと落ちると、彼は恐怖と痛みに悲鳴を上げた。


「ひぃぃいいいいぃいい! 足が、俺の足がぁぁぁ!! いてぇええぇえ、いてぇええよぉぉぉ!!」


 痛みに傷を抱えようとするが、その動作で痛みが走り、のたうち回ることしかできない。

 正視するには耐え難い惨状。

 しかし、ラプユスは暖かな微笑みを見せたまま。


「痛いでしょう。傷を負うというのは、これほどまでに痛いのですよ。えいっ」

「ひぎゃぁぁあぁ!」


 ラプユスは針のように鋭い先端で彼の肩を突き刺す。

「痛いですか? この痛みをしかと覚えておくことです。あなたがあちらのおじさまへ拳を振り下ろした時も、おじさまは痛かったのですよ」

「は、はい、はい! だから、もう!」


「許しを乞う相手は私ではありません。違いますか?」

「え? はい、はいそうです!!」


 青年は痛みに耐えながら、脂汗と唾液に塗れた顔を被害者のおじさんへ向ける。

「ごめんなさい。俺のせいで怪我をさせて。バッグを盗んで。だから許してください!!」

「あ、ああ、俺としてはバッグが戻ってくればいいし。そういうわけでラプユス様。もうこれ以上は……」

「ふふふ、寛容な方ですね。では、あなたの暖かな愛に応え、断罪を終えるとしましょう」



 杖先を肩から引き抜く。

 そこから零れ落ちる多量の血。

 青年は再び痛みに呻き声を上げるが――それを聖女ラプユスが優しく抱きしめた。


「頑張りましたね。とても痛かったでしょう」

「え、え?」

「愛と痛みは表裏。痛みを知ったあなたへ、愛を授けましょう」


 そう唱えた途端、ラプユスの全身から激しい緑光が溢れ出す。

 光は青年を温かく包み、肩の傷が瞬く間に塞がる。

 お付きが足首を拾い、青年の傷口へ添える。

 

 ラプユスが傷へ手を添えると、緑光が彼女の手と傷の部分を包み、足首は傷一つなく元通りとなった。


 ラプユスは青年から離れる。

 青年は彼女のぬくもりが残る傷跡に触れて、虚ろな瞳でラプユスを見上げた。

 青年へラプユスは微笑む。


「痛みを知ったあなたは愛の大切さを知った。これからは愛を大切にすること。いいですね」

「はい……」

「もし、生活が苦しいのであれば教会を頼りなさい。必ずや力になってあげますから」

「はい」

「あなたの罪はおじさまの愛とモチウォン様の愛によって許されました。神に感謝を。おじさまに感謝を。多くへ感謝を」

「はい、ラプユス様!」



 青年はキラキラとした瞳でラプユスを見つめ続ける。

 お付きは頭を抱えながらぶつぶつと呟く。

「ああ~、だから巡回は嫌なんですよ。ラプユス様は加減を知らないから」


 どうやら、今の異常とも思えるやり取りは、この町にとって日常のようだ。

 これら一連の流れを見ていた俺たちの背筋にはぞっとするものが走った。



「え、なに、あれ? 怖いんだけど」

「一種の洗脳じゃな。恐怖を味わわせ、追い詰めて、極限状態で救いの手を差し伸べる。そうして、心を支配する」

「しかもあの女、それを意図してやっていない。心底、愛と痛みは表裏と思い行っている。危険な存在よ」


 このシャーレの言葉に、俺とアスカは眉を折りつつ視線を彼女へ向ける。

(危険ってシャーレの言うセリフじゃないよなぁ)

(おぬしが言うセリフか?)


「ん、どうしたの、二人とも?」


「いや、なんでもないっす」

「なんでもないのじゃ。それよりも一刻も早くここから離れた方がいいのじゃ」

 

 このアスカの言葉に俺は疑問を纏う。

「どうして?」

「魔王がおるんじゃぞ。あのような女に正体が知れてみろ。どうなることやら……」

「そっか。面倒なことになりそうだもんな。シャーレ、ごめんな。嫌な思いをさせることになる」

「ううん、気にしてない。フォルスが優しくしてくれからむしろ嬉しい」


 こうして、この場から離れることにした……のだが、こちらへ大声が飛んでくる。



「待ちなさい、あなたたち!!」


 声の主は聖女ラプユス。

 彼女は青年の血が滴り落ちる錫杖を手にしたまま、こちらへ向かってくる。


「あなた方の中に邪悪な波動を持つ存在がいますね!」

「クッ、見つかった!」

「これはいかんの」


 無駄だとわかっているが、俺とアスカはシャーレの姿を隠すように前に立った。

 当然、その程度じゃ誤魔化しきれず、ラプユスはやいばの付いた錫杖の先端をこちらへ向けて、こう言い放った。


「そこの桃色の髪の少女! あなたからとてもよこしまなる気配を感じます!! 聖都グラヌスを罪過ざいかに包もうとする悪! そのようなことは決して、この聖女ラプユスが許しません!!」


 錫杖の先端を向けられたのは――アスカ!?

 アスカもまた自分自身を指で差す。


「邪悪って――ワ、ワシのことなのかぁぁぁあぁ!?」

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