第2話 キスと告白と

 俺が魔王と言葉を飛ばすと、少女は呟きを繰り返し、次に雄叫びを上げた。



「魔王? 魔王? 魔王!? 私は魔王! そう、魔王なのにぃぃぃぃ! あいつらぁぁあぁぁあ!」


 少女は体全身から闇の色をした魔力を暴風のように生み出す。

 風は鋭利な刃物となり、周囲にある木々や岩を細かく切り裂き、地面さえも切りつけていく。

 あの風から一撫でされようものなら、駆け出しの勇者である俺など細切れも残らないだろう。


 俺は必死に魔力の風を避けながら、たとえ無駄であっても彼女へ言葉を渡す。

「う、うそだろ? なんで魔王がこんなド田舎に現れるんだよ!? 魔王シャーレ! お願いだ、静まってくれ!」

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! どうして私を裏切ったの!! そんな気配すらなかったのに! どうしてぇぇぇぇ!?」

「クッ! 頼むからっ!! 俺の話を聞いてくれぇぇぇえ!!」



 俺はありったけの思いを込めて言葉をぶつけた!

 すると、あれほどまでにたけっていた魔王シャーレは不意に淡々と言葉を発する。

「ねぇ、私はうるさいと言っているでしょう? なんでわかってくれないの……消えろ」

「へ?」


 彼女はこちらへ右手を向けて、手のひらに馬鹿げた魔力を集め始めた。

 それは俺を消し去り、後ろにある村を消失させてもなお、有り余るもの……。



「そ、そんな……俺は、ここで死ぬのか?」

「のうのう」

「ようやく、十八になり大人と認められて、冒険に出ようとしたその日に……」

「のうのう」

「俺だけじゃない。親父もお袋も村のみんなも……」

「のうのう、のうのう」

「こんなことって、こんなことってあってたま――」

「のうのう、のうのうのう」


「って、さっきから誰だ!? 能天気な声を出してる奴は!?」

「ほぅ、この状況下でツッコミを入れてくるとはなかなかじゃな」



 視線を声が聞こえてきた下へ向ける。

 すると真下に、先ほど村の入口で出会った頭に二本の山羊角さんようかくを乗せた桃色の長い髪を持つ少女がいた。

 彼女は現状を理解できていないのか、煌めく無垢な黄金の瞳をこちらに向け、俺の左ひじに手を回して甘えるようにぶら下がり引っ張る。


「何やら~、大変じゃの~? どうじゃ、ワシと契約を結べばあの程度の敵、大したもんじゃないぞ」


 俺はわけのわからないことを言っている少女を抱きしめて謝罪を述べた。

「ごめんな、助けてやれなくて! 俺が盾になるから、何とか君が生き残る奇跡を願ってる!!」

「おお、若い肉の熱い抱擁なのじゃ。ぐっと来るの~。それに清い心の持ち主じゃ。気に入った! ワシと契約せよ。さすれば、全てを救える」

「そうだね。全てを救える契約があるなら、今すぐにも結びたい。いや、是非とも結んでほしい! だけど……」


 魔王シャーレの力の高まりが跳ね上がった。

 次の瞬間には、それが俺と村と桃色の髪の少女を蹂躙するだろう。


 それでも、あらがう!

 少しでも少女が助かることを願って、俺は壁となり、強く強く抱きしめた。


 少女は俺の耳元で囁く――

「フフ、契約成立じゃな」



「みんな、きえてしまぇえぇぇえ!」



 魔王の咆哮!

 暴虐な嵐が俺たちを包み込む――俺は目を閉じ、叫んだ。


「うおぉぉぉぉぉぉ! おおおぉぉっぉぉ! おぉぉぉぉ! おぉぉ! おお? お?」


 どういうわけか、いつまで経っても痛みや衝撃といったものをまったく感じない。いや、それどころか、抱きしめていたはずの少女の感覚すらない。

(もしかして、死んだ? 即死ってやつ? 死んで、死後の世界とかに行った?)

 俺は恐る恐る閉じた目を開いた。



「――え!?」



 瞳を開き、飛び込んできた光景は、桃色の長い髪の少女が真っ白なワンピースを風に揺らして俺の前に立ち、暴虐に耐え得る結界を生み続ける姿。

 それも、俺たちだけではなく、村をも包み込む巨大な結界。


 俺は彼女の背中に問いかける。

「き、きみは一体?」

「ワシか? ワシはこの世界とは別の世界からやってきた神の名を冠する龍ぞ」

「別の世界? 龍?」

「名はアスカ! 契約により、貴様のあるじとなったものじゃ!」

あるじ……え、君が俺のあるじ?」


 

 理解が追いつかない俺を置いて、アスカと名乗った少女は何とも癖のある笑い声。

「ククク、魔王とやらはなかなかやるのぅ。体力が万全ならばこの程度だが……力の回復がまともにできぬ状況では、あまり無駄遣いをしたくはない。というわけで、フォルス! こいつを受け取れ!! 契約特典じゃ!」



 アスカは背を向けたまま言葉を発し、俺の目の前に青い球体を生んだ。

 その球体から一本の剣が姿を現す。


 形状は両刃剣。持ち手の模様は歯車が組み合わさったもの。鍔の中心には時計、といった不思議な造形。


「それは時滅剣クロールン・ナストハ。時を滅ぼす剣じゃ! そいつを使えば、この危機を乗り越えられる」

「えっと、何が起こって?」

「ぼさっとするな。ワシの力が枯渇する前に、剣を取れ!!」

「え、ああっ」


 アスカの言葉に気圧けおされて、俺は剣を握り締める。

 その瞬間、剣の柄部分から膨大な魔力が俺の体に流れ込む。


「こ、これは……」


 それだけじゃない!

 剣から戦い方が脳へ流れてくる。

 流れ込んできた力と知恵は俺の魂と交わり、奥底からまだ見ぬ力たちを引き出している。


 引き出された力に心が酔い、歓喜する――。


「すごい、これなら!」

「ほら、行け! 魔王とやらの首級を上げよ」

「わかった!」


 俺は魔力を刃先に伝わせて、剣を振るった。

 ただそれだけで、あれほど暴力的だった風は霧散し、消え去る。

 

 魔王シャーレはほうけた様子で小さく声を上げる。

「へ……私の力が、かき消された?」


 隙だらけの魔王――好機!


 一気に踏み込み、彼女の懐へ入り込む。

 その動作は自身の影すら置き去りにするもの。

 魔王は驚きながらも魔力の塊を俺にぶつけようとした。

 だが、それを瞬時に躱し、足払いを食らわせる。


 緑の広がる地面へ身体を落とす魔王――俺は剣を握り締めて、彼女の首へやいばを突き立てた。

 



 暴虐が荒れ狂う場だった場所には、音もなく、風もない。

「…………」

 俺は無音でピクリともしない魔王を見下ろす。

 その無音が揺らぎを見せて、揺らぎがそよ風に変ろうとしたところで、アスカが声を生んだ。


「なぜ……殺さぬ?」


 そう――俺は魔王を殺せなかった。

 突き立てたはずのやいばは彼女の首横にあり、彼女は今もなお、小さな呼吸を行っている。

 俺はアスカへ答えを返す。


「いや、だって……いきなり殺しはちょっと」

「そやつはおぬしを殺そうとしたのじゃぞ?」

「わかっている。でも……」

「そやつは魔王なのだろう? 人であるおぬしの敵ではないのか?」

「ああ、敵だ。だけど……」



 俺は地面へ仰向けとなり、空虚な漆黒の瞳に俺の姿を映す少女を若菜色の瞳で見つめ返す。

「彼女は女の子だ。俺には彼女を殺すことなんてできない」

「なんちゅう甘いことを! 戦場いくさばに立てば男も女もない! むしろ情け心など非礼じゃぞ! 見よ! 魔王も怒りに震えておるわ!」


 彼女の言うとおり、魔王は顔を真っ赤に染めて、身体全身を震わせていた。

 魔王シャーレ――人如きに情けをかけられ、怒りに身を包む。

 その申し訳なさに、俺は視線を彼女から背けてしまった。



 そこにアスカの声が飛ぶ!


「馬鹿者! 隙を見せるな!!」

「へ? あっ!?」


 魔王シャーレが突如起き上がり、俺の握っていた時滅剣クロールン・ナストハを弾く。そして、倒れ込むようにし掛かってきた。

 今度は俺が地面に仰向けとなり、彼女から両肩を強く押さえつけられる。

 すぐに立ち上がろうとしたが、剣を手放して力を失った俺ではあらがえない。

 

 魔王シャーレは俺の瞳を覗き込む。

 そして、俺の顔にゆっくりと自身の顔を近づけてきて…………俺の唇を奪った!?

 濡れた舌が俺の乾いた唇を潤いに満たし、さらに唇をこじ開けて激しく口内で暴れまわる。

「むむむんんんん!?」

「んくんく……ん。はぁ」


 

 唇は離れ、唾液の線がたらりと輝く。

 俺は彼女の柔らかな唇の感触と、歯茎を舌先で撫でられ、舌同士が絡み合った感触に混乱状態。

 まどう瞳を何とか魔王シャーレに合わせ、言葉を震わせて、問う。

「な、な、な、なんで?」


 問いに、魔王シャーレは少しうつむき頬を染めて、俺にこう言った。

「……好きです」

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