第33話 魔法薬学教師ローレア

 校長室を出ると、受付の女性に魔法理科室までの道のりを案内してもらった。

 もう授業は始まっているようで、先程まで騒がしかった校舎は静まり返っている。

 外観や内装は随分異なるが、廊下から授業を受ける生徒を眺めていると、やっぱり学校だなぁという実感が持てる。

 ただ学生生活としての青春を送りたかったなら、この学校に入学してしまうのはどうだろうか、と一瞬考えなかった事はない。

 ただ、この学校は全寮制であるし、別に俺達は魔法を学びたいわけではない。少なくとも今の俺達にとっては、あの糞つまらなかった数学や化学、物理に国語に古文に英語といった高校の授業の方が価値があるし、学びたいと思わせられるものだった。


「どうぞ」


 魔法理科室の準備室の方をノックすると、ローレアと思しき女性の声が中から聞こえてきた。


「失礼します」


 扉を開けると、準備室の中には教員用の黒いローブを羽織った、紫髪の妙齢の女性がいた。俺よりは年上だろうが、随分と若い。二十代半ばから後半の美しい女性だった。

 準備室は、俺の知る理科準備室より更にわけのわからないものが並んでいた。何だか変な生き物らしきものがたくさんホルマリン漬けにされているが、見ない様にしよう。目が合うと呪われそうだ。


「あなたは……?」

「ああ、えっと……こういう者です」


 背中の剣と紹介状を見せると、ローレアはやや驚いた様に「あら」と口を手で隠した。

 勇者が自分を尋ねてくるとは思わなかったのだろう。


「それで、勇者様が私に一体どんなご用なのかしら?」

「実は、ちょっと作りたいものがあって……ローレア先生にご協力いただけないかと」


 俺はそう切り出してから、先程校長に行った説明と同じものを繰り返した。


「バスボム……変わったものが異世界にはあるのね。面白いわ」


 俺の説明を聞いて、ローレアは顎に手を当て、神妙そうに頷いていた。


「それで、クエン酸、というものが必要なのね?」

「はい。レモンとかに入っているクエン酸という酸味成分と、この重炭酸を混ぜて作るんですけど、何分あっちの世界にあるものがこっちになくて、抽出できなくて……」


 重曹とたくさん買い込んだレモンをテーブルに並べて説明した。


「勇者様の世界では、どうやって抽出するの?」

「えっと……」


 俺はそれから、記憶にうっすらとあるクエン酸の抽出方法を説明した。

 まずはレモンを絞って果汁を別の入れ物に取る。それから果汁を加熱してからろ過をして、更に加熱。その後に炭酸カルシウムを加えて、白色の沈殿物を生成する。

 ろ液の温度が下がらないうちに吸引ろ過し、沈殿を熱湯で洗浄し、沈殿と硫酸を混ぜて加熱した後に冷却。あとはこの混合物を吸引ろ過し、これを放冷するとクエン酸が結晶化するはずである。

 ただ、炭酸カルシウムと硫酸だけは町では手に入らなかった。


「炭酸カルシウムって何?」

「石灰岩とか大理石に入ってる、水に溶けない無色の結晶なんですけど……」

「ああ、それって──」


 ローレアはとことこと棚の前まで移動して引き出しの中から石灰岩らしきものを取り出すと、何やら魔法を掛けた。

 すると、すぐにその石灰岩は無色の結晶と化した。


「……これの事?」

「それ!」


 凄い、さすが魔法薬学の教師。

 きっと石灰岩から炭酸カルシウムを取り出すのって大変な作業のはずなのに、一瞬でやってしまった。


「硫酸は確か……あったあった」


 ローレアは別の薬品棚の前まで歩くと、棚から一つの瓶を手に取った。


「これとこれがあれば、クエン酸というのは抽出できるんじゃないかしら?」

「たぶん!」


 記憶が曖昧なので、自信はない。が、できそうな気はする。


「ここで作っていく? 私、今日はもう授業がないから暇なのよ。面白そうだし、手伝うわ」

「めちゃくちゃ助かります」


 俺は素直に頭を下げ、ローレアの助力を乞う。

 それから魔法薬学教師の協力のもと、クエン酸を抽出した。魔法によっていくつか方法を短絡化させる事ができて、俺の考えていたより簡単にクエン酸が抽出できてしまった。

 更に、クエン酸がどういったものかを理解すると、ローレアは魔法で直接レモンからクエン酸を抽出できるようになってしまった。


 ──化学の力、魔法の前に簡単に負けすぎじゃない?


 そうは思うものの、これは魔法薬学。ただの薬学ではないのだから、これくらいの事では驚いてはいけない。

 ただ、ローレアの助力は大きい。

 思っていたよりも簡単にクエン酸まで辿り着けてしまったし、何ならレモンさえあればいくつでも抽出できてしまう。


「このクエン酸という成分、面白いわね。今度じっくり調べてみようかしら」

「健康に良いらしいですよ。あとは、俺達の世界だと掃除にも使われています」

「へえ……色々活用できそうね。それで、重炭酸とクエン酸があれば、それだけでバスボムは作れるの?」


 どうやら、このままバスボムの製作まで手伝ってくれるそうだ。有り難い。


「いえ、後は片栗粉と精油が必要です」

「片栗粉と精油ね。片栗粉は食堂から貰ってくるとしてて……精油は私の私物で大丈夫かしら? 多分、ここにはないわ」


 植物園の事務室に行けば他にも種類はあると思うけど、とローレアは付け足して、自身の作業机の引き出しから瓶を取り出した。

 その瓶を手に取って匂いを嗅ぐと、花の香りがした。

 この匂いは俺も知ってる。ラベンダーだ。


「良い匂いですね。使ってしまって良いんですか?」

「ずっとここにいると、薬品臭くなっちゃうからね。一応はそれを誤魔化す為に香水でも作ろうかと思って用意してたんだけど、結局面倒になってつけるの忘れるのよね」


 確かに、部屋全体に薬品臭さと何かよくわからないものの香りで充満している。

 あまり使う機会がないというローレアの精油を有り難く頂戴し、バスボムの製造に入ったのだった。

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