4.魔王 - 後
それから何日かが過ぎて。ひっきりなしに、黒い数字がわたしの視界を蠅のように飛び回っていました。あれ以来、あなたの姿は見えません。ずっと前から、わたしはあなたを見ることをやめていましたから。
その夜、教会の門を叩く音が響きました。
物々しい武装に、身を包んだ精強なる兵士たち。
やっと来たんですね。
「行方不明になっている、勇者ディオス様の件で、お伺いに参りました」
対魔王連合のものでしょう。
事情聴取に来たようですが、兵士たちの視線が雄弁に冷たく刺さります。容疑者第一候補を見る目でした。
「うっ!」
礼拝室はそのまま尋問室へと変わり、わたしは拘束されて祭壇に身体を押し付けられました。祭壇にばらまかられるのは、宝石や魔法のアイテム、あなたが持っていた価値ある品々の数々。はい、証拠品ですね。私があなたの行方不明に関わっていることはあっさりとバレました。ほらぁ、言ったじゃないですか。すぐ露見するって。
大事な大事な勇者さまを陥れた犯人を射る視線は鋭く、いまにも剣を抜いて斬りかかってきそうなものもいるほど。
「魔女め。勇者ディオスをどこに隠した。言えっ!」
「どこに……」
あっははははっ。
わたしは笑いました。あっははははと。
怪訝な顔つきになる兵士たち。それもおかしくってたまらない。
「わからないんですか」
「ええい、笑うな……!」
わたしを取り押さえる屈強な兵士を、腕一本の力ではねのけ。たじろぐ兵士の一人の首根っこを掴んで、わたしのお腹に、耳をあてさせます。
パチリパチリ、チカチカチカチカチカ。
「聴こえるでしょう?」
にっこりと、微笑んで。
知っていますか? 経験値が鳴らす音を。命の弾ける音を。パチリパチリ、チカチカチカチカチカ、ちいさな星がひとつひとつ潰れていくような心地よい音がするのです。
「ここですよ」
その意味を、理解した兵士たちの表情が、みんな、同じように凍りつきました。
──殺せ!
誰かが叫びました。
誰かがそうしたので、全員がそうしました。
そんなことをしても、なんにもならないのに。
「あはは。あははは」
「何が……おかしいッ!」
どうやら、全身から鉄と刃を生えさせて、血まみれになった女が笑う理由は、兵士たちにはわからないようです。わたしは、急にわかってしまった。
「みんな、怖いんだ。
怖いから、傷つけずにはいられない」
優しい気持ちになるには、少し、遅すぎた気がします。
小鬼も。勇者も。わたしも。みんな同じ。
みんな小さくて、弱くて、かなしい生き物。
それがわかったからか。
剣もてわたしを囲む、兵士たちが、小さくなったように見えました。斬られ貫かれて血に濡れ、半ば脱げていた私服のワンピースが、あちこち引っ張られ、びりびりと引き裂かれています。
「う、うわっ、うわああああああ」
「か、神様っ」
赤ちゃんのような大きさになった兵士たちが、抵抗もできず、わたしと礼拝室の壁の間に挟まれて、ぺきぺきと壊れていくのを感じました。天井に、頭がぶつかります。ここまでこじんまりとはしていなかったはずです。とても窮屈です。
部屋が小さくなっているわけではないのは明白でした。みちみちという不快な音を立てて、私の身体が大きく、膨らんでいきます。
あたりは夜でした。それは、つい先程まで教会の中にいたときからわかっていたことです。おかしいのは、夜だというのにすっかり明るいということです。闇が昼のようなのです。わたしの心の孔に、暗闇が全て吸い込まれてしまったかのような。
足元では小指ほどのサイズの犬がキャンキャンと吠えたてていました。わたしが暮らしていた教会のチャペルがすでに胸元までの高さしか有りません。周囲の家々は両手で抱えて持ち上げられそうです。教会の外に控えていたらしい兵士たちが、どよめいて、わたしを見上げます。事態に気づいた村の人々が、そのちっぽけな箱から飛び出してきました。とても愛らしいです。当然ながらわたしは一糸まとわぬ裸身でしたが、なぜか恥ずかしいとは思いませんでした。
頭に違和感を覚え、手をやると何か硬質のものが生えていました。瘤? いいえ。触って確かめてみると、固く、ざらざらとして、曲がりくねり、先細った――角だということがわかりました。
お尻からも何か生えていました。身体をひねってそれを見ると、それはやはりしっぽでした。蜥蜴の尾から触手が生えたような、不気味なものでした。私の胴体ぐらい太く、私の身長以上ありそうな鈍重そうなものでした。
いつのまにか、崩壊した教会はわたしの膝位の高さになっていました。それだけわたしが巨大になってしまったということでしょう。手足もなんだか硬質で黒ずんだもので覆われていて、ちょっと強そうです。
ええ、そう。ご存知でしょう?
魔王は何度でも、よみがえるのです。
ひとのこころに、
兵士たちが、いっせいに私に襲いかかってきたので、うっとおしいなあと思いながら、しっぽを一周振り回してみました。そうすると、周囲の兵士どころか、周囲の握りこぶしほどの大きさしかなかった家々はすべて消滅していました。しっぽを腰に巻きつけてみると、触手がちいさな家と木と人を絡めとっていたのでした。紙を丸めるようなささやかな音とともにそれらはしっぽへと取り込まれていきます。完全に食べつくしたとき、わたしは飢えが収まるのを感じました。かわりに、胸の中が灼けるように熱い。息を大きく吸い込んで、その熱を逃がすように、大きく息を吐き出してみると、それは炎の舌になって、村を一瞬で舐め尽くしました。
燃えていく。
草が。花が。野が。人が。家が。
すべてが消えていく。
あなたとの大事な誓いと祈りの場だった、教会が。
わたしとアルテイアが、勇者ごっこをした井戸の前の広場が。
優しかったあの人も。
意地悪だったあの人も。
帰るところも。
愛する人も。
信じられるものも。
そうして、わたしの名前を呼ぶ人は、誰もいなくなる。
たくさんの人を殺めてしまったことも、わたしにとっては大して重要なことではありませんでした。漆黒の闇に隠されていた夜のほんとうの姿を見ることができた感動が、あらゆる全てに優っていました。この世に必要なものは、なにもありませんでした。光がすべての闇を覆い隠しているという間違いだけがありました。
パチリパチリ、チカチカチカチカ。
とても楽しい夜が始まった。それをみんなにも伝えなければいけない。都に行こう。わたしが産まれたことを教えよう。世界は秘された希望に溢れていることも。狂ったようなラッパの音に共鳴するように、再び飢えが始まっていました。
「やっとわたしたち、一つになれた」
お腹を、そっとさする。まるで母親がそうするかのように。
あなたはわたしの底で、穏やかに眠っているのかな。
それともあえぎ苦しみ、詫び続けているのかな。
そうだ、あなたとわたしのこどもを産もう。
そして、世界の半分をあげよう。
出会えた子に、わたしのすべてをあげる価値があると信じて。
出会えなかったあなたのかわりになると願って。
魔王山のかなたでは、祝福するように七色の星が愉快な踊りを見せていました。
…………
……
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