3.村人アルテイア(Lv1)

「その……わざわざ旅立たなければ、いけないんですか?」


 教会から出立しようとする勇者さまの背に向けて。そう尋ねたのは、何度目のことだったでしょうか。


「どういうことだい?」

「その……死ねば、レベルが下がるんですよね。なら……もっと、手っ取り早い方法が、あるのでは」


 さすがに具体的に言及することはできませんでした。


「ああ。……それでは駄目なんだ。それは“勇者”の死に方では、ないから」


 つまるところ、あくまで“勇者”として、死ななければ『不死の願い』は発動しない、ということのようです。


 何度も死んでは戻ってくる勇者さまを介抱しているうち、気づいたことがあります。五度目で疑念に、七度目でそれは確信に変わりました。


「あの」


 薄暗がりの中、教会の談話室のソファで隣に座る勇者様に、恐る恐る切り出しました。


「……ちょっと……小さくなってますよね」

「ああ。正確に言うと、若返ってるらしいね。こうなるとは、思わなかった」


 落ち着いた様子で、勇者さまは答えました。


 そのとき勇者さまはレベル15だったのですが、筋肉が落ちているのみならず背丈まで、わずかにですが小さくなっていました。といっても相変わらずわたしより頭一つ高い程度あったので、まだ誤差に過ぎないのでしょうが。


 鍛錬不足でレベルが下がる……ということはなくはないのですが、別に若返ったりはしません。勇者さまの場合、命の代わりに経験を奪われるという特殊な事例のためこうなっているのでしょう。ここまで頻繁に死に、レベルが何度も下がった勇者など過去にいないので憶測に過ぎませんけれど。


「レベル1になったら、赤ちゃんになってしまうのかもしれないな」

「……笑えませんよっ」

「そうなったら、きみが育て直してくれる?」

 

 勇者さまが、わたしの肩に腕を回してささやきました。冗談のつもりで言っているんでしょうか……。


「レベル1になったら、どうするの?」

「なってから考えるよ。なんだって出来るさ」


 指さした先には、勇者さまが置いていった荷物があります。

 少しずつ何も出来ない身体に近づいていっているのに、なんだって出来るとは、おかしな話です。


「今は、何もしなくていい時間を楽しませてくれよ」


 わたしはそれに頷いてしまいました。

 どんな過程の上にあったとしても、それは勇者さまと過ごす、わたしだけの時間だったから。


 パチリパチリ。チカチカチカチカ。


 十度目の帰還でレベルが10を割り込んだ頃には、勇者様の外見年齢は二十歳ぐらいになり、そして二十一度を数えたとき――勇者さまは成人したての十五歳の身体になってました。

 レベルは……1、です。


「ゆうしゃディオスよ あなたが つぎのレベルになるには10のけいけんちがひつようでしょう」


 レベル1の勇者さまは、驚くべきことに私より背が低くなっていました。わたしは特に長身というわけではないので、少年のころの勇者さまは小柄だったのでしょう。筋肉で美しく引き締まった身体はすっかり面影もなく、女の子のような体つきになっていました。中性的な美少年です。わたしを除けば誰も彼をあの勇者と同一人物だとは思わないでしょう。


「これで満足ですか、勇者さま」

「……ああ。君も共犯だね」


 勇者さまはもう、聖剣を持ってはいませんでした。

 気がつけば、恐ろしいことに加担してしまいました。なし崩し的に、対魔王連合への裏切り行為の片棒を担いでしまったのもそうですし……勇者さまが何度も何度も死ぬ手伝いをしてしまったのもそう。

 勇者さまに直接手を下したわけではないからでしょうか、どうしても実感がついてきません。


「これから、どうなさるおつもりなんですか?」


 幾度目かの問い。


「しばらく身体を休めようかな。それから考える」


 答えになってない答えも、それでも良いか、と考えてしまう。

 わたしは、結論を先延ばしにしたがっていたから。


 勇者さまは、もう旅に出る必要がありません。少なくとも、彼の中では、そういうことになっているようです。

 小さな村です。いつまでも匿い続けるのには無理があるでしょう。すぐに噂になってしまいます。

 しげしげと、勇者さまの今の姿を眺めます。小さく華奢になった身体。黒い髪。


 ちょっと待っていてください。

 そう告げて、タンスを漁ると、クリーム色のチュニックが出てきました。かつてアルテイアが着ていたものです。


「じゃあ、その間はわたしの妹──アルテイアのふりをしてもらいましょう。

 幸いにも背格好が、似ていますし……

 村の人達に深く突っ込まれたら、バレてしまうかもしれませんけど」

「…………」


 きょとん、とした様子で目を瞬かせる勇者さま。少しして、差し出されたチュニックを手に取ると、わずかな躊躇いのあと着替え始めました。


「似合う? ……おねえちゃん」

「……はい。さすが勇者さまです。完璧ですよ」


 実際、今の勇者さまはアルテイアによく似た、可憐な少女です。アルテイアが、中性的な容姿だったことも手伝って。


「ははは……。よしてくれ。いまの私は、アルテイアだろう」


 はにかんで笑う勇者さまは、愛らしいな、と思ってしまいました。

 ほんとうにアルテイアが帰ってきた、そんな気がしてしまいます。

 

「失われた、青春だな」


 それから、つかの間の偽りの平和な日々が続きました。

 二人で小川に繰り出して、魚を捕まえたり。果実を集めたり。花畑に行って、花かんむりを作ったり。多くのものが失われてしまったことを、忘れたがっているように。わたしとあなたは笑いあいました。


 突如として戻ってきたアルテイアは村の噂にはなりましたが、さほど不審に思われることはなかったようです。疑う人もいましたが、勇者さまはレベル1でも使える神聖な回復の呪文を覚えていたので、けが人の治療を率先して手伝っているうちに、そういった疑いの目も薄れていったようでした。


「いつまで、ここにいるんですか?」


 対魔王連合は、行方不明になった勇者さまを探しているはずです。聖剣を失い、姿が変わってしまったとは言え、やがてはここにたどり着いてしまうのではないでしょうか。その時、どうするつもりなのでしょう。


「私がここにいたら、いやかい?」

「そうでは、なくて」

「大丈夫だよ。私にまかせておいて」


 ベッドに腰掛けるわたしの頭を、傍に立つあなたの手が撫でました。あたたかい。姿が変わってしまっても、撫でる手は優しいまま。


「オール」


 あなたの手が、肩に回されます。


「繰り返すけど、君は共犯なんだよ」


 わたしは、ずっとあなたのために祈り続けていました。

 することは、祈るだけでした。

 死に戻り続けるあなたを、本気で止めようとは、しませんでした。


 それは、あなたに会えることが、嬉しかったから。

 どのような姿になっても。

 どのような目に遭っていても。


「……もう、あなたには、死んでほしくない」


 目を硬く瞑る。

 わたしはあなたを殺し続けた。


「オール」


 もういちどわたしの名を呼ぶ声。

 体重がかけられて、わたしはベッドの上にやわらかく倒される。


「好きだよ。ずっといっしょにいたいと思っていた」


 父と母が失われ。

 アルテイアはいなくなり。

 あなただけが帰ってきた。

 勇者さま。

 わたしには、

 あなたしか、

 いないの。


「ずっとこうしたかった」


「ずっと最初から、こうしたかった。

 けど許されなかった」



 



 ある日、わたしはあなたを伴って村の周囲を見回ることになりました。


「このあたりは、小鬼の巣穴があるんです。最近は人里に出てくることはなくなったんですけど……油断しないでくださいね。

 見回りは本当は男の人しかやらないんですけど、人手が足りなくて。……勇者さまがいれば、安心ですよね」

「おねえちゃん。わたしはレベル1だよ~。ちゃんと守ってよ~」


 くすくす、と笑い合いました。なんだかんだ言って、今のわたしは並の男の人よりは強いです。小鬼の一匹程度には、遅れを取らないでしょう。

 村からしばらくの距離、木立の中、さわさわと、梢が鳴る中を二人して歩いていきます。空気が澄み渡っていて、過ごしやすい日でした。

 高台へと進めば、見えるのは魔王山。

 恐ろしい地のはずなのに、どうしてだか今日は美しく、荘厳に見えて。

 横に立つのは、恋い焦がれたあなた。

 ああ、このまま時間が止まってしまえばいいのに。


「旅に出よう、オール」


 あなたが最初の死を迎えた場所。あなたと最初の別れを経験したときと同じ景色。そこで、あなたはそう切り出しました。


「君に預けていた荷物の中に、きれいな宝石や装飾品がいくつかあっただろう。これまでの旅で手に入れたものだ。あれを売れば路銀になるどころか、屋敷だって建てられる」


 その一つだよ、と指輪を取り出してみせます。

 宝石の嵌った、きれいな装飾の指輪。


「わ」


 わたしの手をとって、その指に嵌める。

 絵物語の中の、一ページのような。


「わたしと、勇者さまが、旅を?」


 わずかに、上ずった声。


「ああ。君だってほんとうは、こんな村で一生を過ごしたいだなんて思っていないだろう?」


 微笑むあなた。


「この世界がどうなるかなんて知らない。

 きみと私、二人、だれも知らないところに行って、安住の地を、見つけよう」


 この日を、ずっと待っていた。


 夢想の日々を思い出します。

 わたしが、あなたと旅をする夢。

 喜びと苦難の中で、絆を深め合うという美しい物語。


 でも、わたしは。


「ねえ、勇者さま、お聞きしたいことがあるんです」

「なに?」


 こちらを微笑んで見上げるあなたに、問いかけます。


「いつ、アルテイアと会ったんですか?」

「どうして、そんなことを訊くんだい」


「村の人と話した時、あなたは妙にアルテイアについて詳しいようでした。あまり疑われてなかったというのもあるんでしょうけど、ボロを出しませんでしたよね。だから、あなたはアルテイアと親しい関係にあったんじゃないか、って思ったんです」


「カマかけもいいところだな。最初に村に逗留していたときに、話したぐらいだよ」

「アルテイアは、今どうしているんですか?」

「だから、知らないって」


 なるほど。

 そう頷いて、わたしはあなたを思いっきり突き飛ばしました。


「ぎゃっ」


 ──ねえ。オールねえ。あたし、やっぱり行くよ。

 ──勇者さまのことが、好きだから。


「あ、あ」


 突き飛ばした先は斜面になっていて、あなたの小さな身体はころころと転がり落ちていきます。かつてなら考えられない、冗談みたいな光景。


 あなたが最初に旅立ったすぐのこと。

 アルテイアはそう言い残して、姿を消した。

 それからずっと戻ってこなかった。

 盗賊か小鬼か。どちらかに襲われたものだと思っていた。


 あなたの荷物を漁ったとき、治癒の水薬と一緒に出てきたのは、

 わたしが送りそこねたはずの手紙だった。


「ぐ、う」


 小さな悲鳴が何度か上がりましたが、聴いている人間はわたしだけです。


「何をする、オールっ」

「あなたが、殺したんじゃないですか。アルテイアは」


 斜面の底であなたがうずくまっているのが見えます。受け身は取れたようですが、衝撃と痛みでしばらくは立ち上がって歩けないでしょう。しょせんレベル1ですから。


「証拠、は」

「いいえ、でも」


 アルテイアを名乗らされることに、疑問を抱く様子はなかったのは。

 アルテイア本人が、絶対に戻ってこないと知っているから。


 がさがさ、と草を揺らす下品な音と、息遣いがします。それが、あなたに近づいてきます。そう、この近くには、小鬼の巣穴があるんです。


「わたしと同じように、アルテイアにも、キスをしたんですよね」


 美しいあなたの顔が、恐怖と焦燥に満たされます。おい。助けてくれ。などと。わたしの憧れた強さと美しさを捨て去って、あなたに残るのは弱さと醜さだけ。それとも本当は最初から、そんなものはなかった? わたしは、幻を見ていたの? 魔王と勇者の物語を、無垢なこどもとして、信じたように? あなたにとって、聖剣はそんなにも重いものだった?


「勇者など、はじめから、いは、しなかった?」


 勇者さま。

 あなたがやってきたから。

 父と母が失われ。

 アルテイアはいなくなり。

 わたしには、

 あなたしか、

 いなくなった。


「わたしはどこまでも、あなたにお付き合いいたしますよ。勇者ではない、あなたに。お望み通り、赤ちゃんになったって、お世話してさしあげます。

 共犯者、ですから」


 日が沈んだ頃にあなたは教会へと帰ってきました。

 


 パチリパチリ。チカチカチカチカ。

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