終幕

第12話「森を去る」

△△▽


「すげぇな」

「これ、テンちゃんかな?」

「たぶん」

 リツと僕とイズミの三人は、同じ光景を前に唖然となっていた。

 エナちゃんの様子を確かめにやってきた滝裏の洞窟。そこで発見したのは、壁一面に描かれた壮大な絵だった。

 蒼白の空の中、陰りと純白を併せ持つ雲の上で、太陽を抱える幼い天使。僅かに発光している事もあってその姿は神々しく、けれどもその容貌は、どこか馴染みある少女の面影があった。

 そして、薄っすらと瞳を開きこちらへ笑いかける様が、より目を惹きつける。

 美しさに圧倒されていた僕達は、遅れてその絵の作者がもういない事に気が付いた。

 洞窟に残っていたのは役目を終えた絵筆だけ。恐らくもう、女の子は帰ったのだろう。

「二人とも、いなくなっちゃったね」

「まあ、帰れたみたいならいいだろ」

 思いの外リツはそっけなかった。イズミもあまり気にした様子はない。

 それから僕ら三人は拠点に戻った。静かになった大木の下に。

 二人以外にもいなくなった者がいる。

 森の精達は、テンちゃんが去ってからしばらくしてその姿を消した。時折声は聞こえるような気がするのだけれど、どこを見渡しても見つかりはしなかった。

 彼らがいないと物作りに苦労するが、作業はほとんど終わっているからあまり困りはしなかった。ただ、イズミが進めていたイカダ二号だけはまだ中途半端な出来で、リツにも手伝ってもらってどうにか完成した。

 その頃にはもう日が暮れていて。

 晩ご飯を食べ、川辺に並んで手製の食器を洗う。

 一通りの家事を終えた時、不意にリツが立ち上がり言った。

「んじゃ、俺も行くかな」

「そっか」

 大木とはまるで違う方角を向く横顔を、僕は見なかった。なんとなく、彼も早い内にいなくなるのは予感していた事だ。

「お前らが帰り道見つけるまではいようと思ったけど、あんま必要ないみたいだし、なら変に居座ってもだしな。イカダも完成して、俺はもう十分だろ?」

「手伝ってくれてありがと」

 残ってくれた理由にイズミが感謝を告げると、リツは気にするなとはにかんだ。

 そうして片手を挙げ、彼もまた歩き出す。

「じゃーな。元気でやれよ」

 気軽な別れの挨拶にこちらも湿っぽい空気には出来ず、ただ手を振り返す。

「やっぱ口調直した方がいいよな……」

 何やら呟きながら川下へと進んでいくその姿は、じっと見送っていたはずなのに途端に消えて、あまりにも呆気ない別れに僕はしばらくそのまま虚空を眺めていた。

 それから、隣のイズミを見る。

 彼女はリツを見送ってすぐ、一人遅れていた食器洗いの続きを行っていた。今濯いでいる皿で洗い物は全て完了だ。

 ふと僕は、それを終えたら彼女もいなくなるのではと考えてしまい、思わず問いかける。

「イズミも、もう行くの?」

 皿の水気を切って足元に置き、洗うべき食器がなくなる。

 一呼吸空けて、彼女の瞳は僕に向いた。

「モリ君が残ってるなら、一緒にいる」

 言い草から、彼女ももう帰り道が分かっているのだろう。それなのに、僕がまだ見つけられないでいるから留まってくれると言う。

 その理由が優しさなのかどうかは不明だが、どちらにせよ僕は、最後尾にいるような気分で情けなさを味わった。

 ……やっぱり、分からないな。

 自分の胸の内を覗いてみても、皆と同じような答えは出てこない。

 テンちゃんの言葉で、この森に来たのは何かで迷っているからだと判明した。そしてその迷いを消し去れば帰れるのだとも。

 けれど僕は、そもそも何に迷っているのかすら見つけられないでいた。

「まだ、時間がかかりそうだけど大丈夫?」

「問題ない。見つかるまで探そう」

 申し訳ない気持ちで伝えるも、イズミは気にした様子を見せない。それを嬉しくも思い、僕はそれじゃあと成り行き任せでその場を発つ事にした。

 すると言葉の通り、イズミはついてきてくれる。

 空は晴れていて、月明かりが降っている。洗った食器はそのまま。暗闇は、辺りの静けさをより一層深めさせているようで。

 僕達は二人きり。

 並んで、当てもないまま森をさまよった。



「そう言えばさ、予備の制服なくなってたね」

「初めて知った」

「干してたのが全部消えてたんだ。物干し竿はそのままだったし、風で飛ばされたとかじゃないとは思うけど」

 他愛無い会話をしながら、僕達は夜の森を歩いていた。

 暗くて足元は危険だが、慣れれば枝葉を潜り抜けた僅かな月明かりでも案外何とかなる。とは言えイズミはやはりよく躓いて、僕は変わらず彼女の左に立って支えた。

「やっぱり夜の森は歩き辛いよね。戻る?」

「いや進む」

 気を遣っても彼女は引き返す提案に頷かなかった。考えなしに歩き出した自分に反省しながらも、注意すれば大丈夫かなと楽観する。

 森は変わらない。いつも通りそこにあるだけで、僕達に脅威はもたらさない。

 以前から感じている居心地の良さは、人が減っていくにつれて薄くなったように思えたが、それでもまだ僕は、この場所に何か恩返しをしたいという責任感を覚えていた。

 ……これは、正しく自分の考えだ。

 僕にとって森が何なのか、と言うのを理解してから、不思議な感覚は自分の物と認識出来るようになった。これこそが迷いをなくすきっかけと考えていたが、どうやら違うらしい。

 そんな風に思考を働かせつつ歩いていると、不意に周辺の空気が変わった。

 足場はいつの間にか斜面になっていて、岩が顔を出し始める。どことなく酸素が薄く気温も低くなっているように感じ、気付かぬ内に高所へと登ってきたようだった。

 そして目の前、木々が開けた先には以前にも見た光景があった。

「山」

「……二回目って、この事かな」

 イズミは見たままを呟き、僕は前回の記憶を思い出していた。

 峰の形は思い出す限りあの時と一緒だ。それに、地続きで似たような場所が他にあるとも考えにくい。なら、ヤマさんと遭遇した『山』に違いないだろう。

 また会う、とあの人は言っていた。とすれば今がその『また』なのだ。

 山は急峻。けれど経験があるならさほど恐怖はない。

 一度は登ったルートをなぞって、僕はイズミの手を引っ張った。

 空が近い。星の光はより強く、暗闇の中にも青が潜んでいるのを見て取れる。

 そんな頭上に心奪われないよう気を付けながら進んでいると、次第に焚火が弾ける音が聞こえてきた。

 それから三歩で、音の出所であろう洞窟が見つかる。

 内側から照らされるその入口に、僕達は躊躇う理由もなく覗き込んだ。

「誰じゃ?」

 こちらから何かを言う前に、洞窟の住人が振り向く。

 灰色のつなぎを着こむガタイの良い男性。記憶と変わっているのは、髭が少し短くなっている程度で、間違えようもなくヤマさんだった。

 食事時だったみたいで、焼き上がった鹿肉を頬張っている。その警戒心の薄い姿に安堵を覚え、僕は横目で空の色を確認してから挨拶の言葉を投げた。

「こんばんは。以前は鹿の毛皮、ありがとうございました」

「鹿の毛皮? 何の事じゃ」

 わざとらしく言えば当然、ヤマさんは不審そうに首を傾げる。どうやら僕に対しても見覚えはなさそうで、やはり彼にとっては一回目なのだとハッキリした。

 不思議な現象にももう慣れてきたな、と苦笑しつつ簡潔に事情を説明する。

「僕ら、ヤマさんに会うのこれで二回目なんです」

「あーまあ一応理解したわ」

 もう少し言葉を付け足そうと思ったら、想定以上にすんなりと受け入れられた。未来の来訪者がやってくる状況は事前知識として持ち合わせているようだ。

 そうして僕達は、ヤマさんに招かれ洞窟の中に足を踏み入れる。すると以前同様、頼んでもいないのに鹿肉を振舞われた。

 三人で焚火を囲み、恐れる事なく提供された肉を食べていると、ヤマさんの方から質問を投げられる。

「この森では、楽しく過ごせたか?」

 脈絡なくも感じる問いかけに、僕は不思議と素直に応えていた。

「大変ではありましたけど、皆がいたおかげでなんだかんだ楽しかったですね」

「んっ」

 僕に続いて、肉を頬張っていて口を開けないイズミも頷く。するとヤマさんは笑みを深めていて、その優しげな表情に思わず父性を感じた。

 だからか、僕は抱える不安要素を自然と口にしていた。

「ただ、僕だけがまだ、帰り道が分かっていないんですよね。どうやったら、見つけられますかね?」

 イズミのためにも早く迷いは消し去ってしまいたい。

 そんな僕の悩みを聞くと、ヤマさんは少し考えてから言う。

「……そういやお前さんらには、変な力があったじゃろ?」

「『お仕事』ですね」

「それじゃそれ」

 他人事のような言いぶりから、ヤマさんには『お仕事』が与えられていない事は察せた。けれども話題に出すという事は、迷いとの繋がりは知っているのだろう。

「その『お仕事』について、お前はどう考えとるんじゃ?」

 僕の悩みに向き合って、一つ一つ確認するように尋ねる。それに僕は、自分の考えを整理して応えた。

「僕の物には『森を守る』と書いてあったんですが、その森と言うのは多分、僕にとって、居場所とかって意味なんだろうなとは思っています」

 これまでに抱いた自分の物ではない使命感はいつも、皆といる場所を守らないと、と思う度に起こっていた。スポットを見つける力も、皆がバラバラになってしまわないように、新しい場所を与える、という僕が見出した一つの策なのだろう。

 そして、この森に対する安心感。それこそが一番の根拠だった。

「かと言って、これが迷いと繋がるのかと言うのが分からないんですよね。多分皆は、与えられた『お仕事』をやるべきかどうかで迷っていたとは思うんですけど、僕は森が居場所と分かってから、答えはとっくに出しているんです」

 迷いなんてない。

 居場所を守る事に、何を躊躇う理由があるのだろうか。

 僕が出した答えは、間違いなく正しいはずなのだ。

 そう告げると、ヤマさんは腕を組んで目を閉じた。それから少しして、何かに反応したように顔を上げると、洞窟の外へと出ていく。

「お前さんもこっちきぃ」

 ヤマさんは入り口を出てすぐの場所で立ち止まっていた。その視線は、果てなく続いている森を眺めている。

 手招きされて隣に並び横顔を見ていると、不意にたくましい人差し指が動いた。

「あそこを見てみぃ」

 言われて指の差す方を向く、その時だった。


 ——————っ!


 人の叫び声が聞こえた。

 かなり遠く、言葉の意味までは聞き取れない。けれど声の出所に目を凝らせば、そこには人が数人集まっているのが見えた気がした。

「見ての通り、この森に迷い込んだのはお前さんらだけじゃない。今までにもここにやって来たのは何人もおるしの。そしてその全員が『お仕事』を与えられているみたいじゃな」

「はあ……」

 他に迷子がいるというのは、ヤマさんが僕達の登場に驚いた様子を見せなかったからなんとなくは察していた。

 それが僕の悩みにどう関わるのだろう、と言葉を待っていると、ヤマさんは望みに応えるよう僕の目を見返した。

「それで果たして、全員が同じ答えになると思うか?」

「え?」

「与えられた仕事をやるべきだと分かったらやるべきじゃろう。じゃが、やるべきではない、向いていないと思ったら辞めてしまうのもありじゃ。あるいは、自分の望む方に仕事を変えてしまうのもある」

 そう言われて少しずつ、僕は理解する。

 少なくともテンちゃんとエナちゃんは、『お仕事』をやるべきと判断して帰ったはずだ。リツに関してはよく分からなかったが、とは言え迷子は皆、同じような結論を出すものだと決めつけていた。

 けれど確かに、選択が一つなわけもない。選ぶ人間が多くいれば尚更。

『お仕事』はあくまでもアドバイスで、道を決めるのは己なのだ。

 それに、向いていない、と言う結論に、なんとなくしっくり来る自分がいた。

 僕はもう一度、森の中に目を凝らす。

 ハッキリと見えるはずもないのに、視線の先では四人の少年少女が右往左往しているのが見て取れた。

 その様子は、僕達がここに迷い込んできた時と重なるようで。

 しかし、全く同じ訳ではない。

「迷ってるっちゅー事は、お前さんには仕事よりも優先したい物があるって事じゃろ。お前さんはあれだの、自分の本心をいつの間にか無視してしまったんじゃろうな」

 心を見透かされた気分になって、でもどこか清々しい気分だった。

 僕はもう森を見下ろす事は止めて、洞窟の方へと振り向く。未だに鹿肉を頬張っているイズミを見て、明確に答えが出ているのを感じていた。

 僕は最後にとヤマさんに問いかける。

「この森って、一体何なんですか?」

「儂も知らん。じゃが、悩むお前さんらに色々してくれるなんて、相当なお節介婆なんじゃろうなっ」

 カカッとヤマさんが笑うと、森の心を映したかのように、強い風が吹きつけた。



 山から下りてまた森の中をさまよう。でも僕の足はもう、迷ってはいなかった。

「イズミの左目って、どれくらい悪いの?」

 唐突にも思われるタイミングで尋ねれば、彼女は得心したような瞳で僕を見た。

「やっぱり、気づいてたんだ」

「うん。前から知ってたのかな」

 彼女はよく躓く。なのに行動的だから、僕は目を離せなくて。

 その意識は、初めてイズミを目にした時から胸の内に存在していたような気がする。彼女が転んでも支えられるよう、僕は無意識に左側に立ってもいた。

 イズミは右目を覆うと、僕の問いに答えてくれる。

「ほとんど見えない。端っこは若干分かる」

 それが後天的だと言うのも知っていて。経緯を聞かなくとも共感していた記憶があった。

 迷いがなくなると、色々と気付けるものだと僕は思い知る。

「じゃあ、歩く時は気をつけないとね」

 僕はそう微笑んで、イズミの左手を握った。

「……急に積極的」

「あはは」

 僅かに硬くなる彼女の様子が面白くてついつい笑みが零れる。

 そうして歩いていると、次第に空が明るくなっていた。辺りは木陰でまだ暗いが、日が昇り始めているようだ。

「そう言えば、イカダ作ったのに乗ってない。乗っていい?」

 イズミも僕が迷いをなくした事は察しているのだろう。最後にとおねだりする彼女だったが、僕は自分の心を優先した。

「危険だからやめて欲しいかな」

「……………分かった」

 イズミは不服そうにしながらも反抗はしない。その代わりにとばかりに握る手にはより力が込められて、僕の決心は一層強くなった。

 それからすぐ、もう一度訪れておきたいと思っていた場所に着く。

 密と並んでいた樹木がぽっかりと開き、岩がちの地面に守られた透き通った水面。開かれた上部から差し込む光が、幻想的に空間を映す。

 隣に並ぶ彼女の守る対象でもある泉だ。

「モリ君も、帰り道分かったんだよね?」

「うん」

 頷きながら、僕は泉の前にしゃがみ込む。

 透明度の高い水質ながら覗き込むとそっくりな自分が見返してくる。それでありながら底は暗く深く、その全貌を見せようとはしない。

 そして、手を差し出す者に無性に恵みを与えて。

 だけど以前は、僕にだけ魚は寄ってこなかった。その理由はなんとなく分かる。

 だからこそ今は違う結果になるのだろうなと確信して、僕は空いた左手を水の中へとゆっくり入れた。

 すると、泳いでいる中で一番大きな個体が掌の上へとやってくる。さっさと持ち上げろとばかりに、その場で体を回転させていた。

 それで充分満足して、僕は魚を捕まえる事なく左手を水面から引き上げた。

「この泉は、イズミの大切な物なんだよね?」

「ん」

「なら、喜んでいいのかな」

「……ん」

 イズミは恥ずかしそうに、ゆっくりと頷く。

 そのふとした時の子供っぽさは昔から変わらないなと懐かしくなるも、それ以上に、過去とは変わった彼女への感情に、自分も若干のむず痒さを感じていた。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」

「帰る」

 泉の側から立ち上がり、踵を返す。僕が言うと、彼女はやはりついてきてくれる。

 進む先には明瞭に道があった。

 もう霧のように立ち込める迷いはない。

 森に感謝はあれど、僕には握るこの手の方が大切で。

 だから、去ると決めた。

 守るべきものを、決めたのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る