第7話「天気を守る」
▽▽△△
それはしんしんと。
森を凍えさせる雪は、ゆっくりと地面を染め上げていた。
「はっはっはっ」
走ると白い息が漏れる。周囲はすっかり冬景色で、足跡はくっきりと残っていた。
……寒い。
これは、自分の心が生み出す震えだ。
あたしがこの森に迷い込んだ理由は、場所を求めたからだった。
誰にも見つからないのは最低条件で、出来るならずっと見ていたいと思える風景を前に。
選りすぐっていたのは、きっとまだ、決めきれなかったからなんだろう。
見上げた空に自分を見つけ、衝撃で雷を落としたあの瞬間。
よぎったのは過去のあたしだった。
皆に甘やかされて育ったあたし。代替品でもれっきとした愛は、あたしを我儘にした。
気に食わないと文句を言って、気分をコロコロ変えては周囲を振り回す。
それでもみんなは、あたしが可愛そうだと知っているから見放さないでいてくれた。そのおかげで心無い否定を受けたことは一度もなかった。
けれども環境をガラッと変えた途端、あたしの性格は他人にとって迷惑なんだって知った。
避けられて、のけ者にされて。
それだけで終わるはずだったのに、無知なあたしは間抜けに踏み込んで。
汚い言葉と、人でなしな扱い。
それは恐怖と嫌悪を生み、体に教え込まれた。
それまでの自分には絶対的な自信があった。いつも褒めたり応援したりしてくれる人ばかりで、勘違いしていたのは間違いない。
それがそのまま調子に乗らせて、みんながいなくても大丈夫だと息巻いたけれど、あたしは本当に馬鹿だった。
そしてなにより、弱かった。
だから、この森で、と決めたんだ。
思い出したのは自分のことだけ。具体的な会話や、大好きな人たちの名前はまだ思い出せない。
それでもやるべきことはもう分かっていた。
「……出来るだけ、遠くにっ」
ここにも、見つかりたくない人が出来たから。
三人の顔を浮かべて、動かす足に力をこめる。
雪の積もった森。あたしがまた、周囲を巻き込み変えてしまった結果。
不思議にはまだ慣れないけれど、あたしが迷惑をかけた後悔はもう慣れた感覚だ。
意思が揺らがないよう自分の短所を見つける。せめて決めたことは曲げずにいたいから。
どれだけ走ったんだろう。景色はまるで変わらない。
……そういえば、この森には出口がないんだった。
どこまで行ってもずっと同じで。しかもどれだけ離れたと思っても、実際にはそんなに進んでいなかったりするらしい。
あたしも理屈はよく分からない。難しいことは苦手だ。考えようとしないのもまた、あたしの嫌な部分。
なにはともあれ、走って場所を探すのは意味がない。
「じゃあ、ここでいっか……」
あたしはゆっくりと、目の前の木に歩み寄った。
高さは3mあるだろうか。2mぐらいの所から枝がいくつも生えていて、ジャンプすればギリギリ届きそう。
雪はあたしが突然降らしたものだから、周りの草とかはまだ枯れていない。なら丁度いいのもあるはずだ。
後ろを振り返れば、より量を増す降雪で足跡が消えてくれていた。
これならみんなも見つけられないかな。それに、雪に染まる森というのも素敵な景色。
なら、もう充分だろう。
体が震える。どんどん寒くなる。
でもまあ別に、今更だ。
△△▽▽
森は徐々に白で覆われていく。
僕とイズミが呆然としている間にも、降雪は止まないでいた。
「……テンちゃんを、探しに行くよ」
言い出すのは遅かったかもしれない。そう責任を感じるなら今すぐに行動すべきだと、僕は早速泉の外へと爪先を向ける。
「わたしも……っ」
するとイズミも隣に並ぼうとして、僕は彼女をこの場に留めようと思ったが、言葉を発する前に別の声が割って入った。
「おい、どうしたんだこれっ!?」
大木の方から走って来たのはリツだ。集めた枯れ枝を置くのも忘れて、抱えたままに僕らの前で止まる。
「……テン、どこ行った?」
真っ先に探した姿が見つからず、リツはより顔をしかめる。天候の異変から、少女に関係していると察していたのだろう。
「森の奥に。今から探しに行くつもりだよ」
「そうか、分かった」
僕が事情を伝えると、リツは考える間もなくその場に枯れ枝を置いて、まっすぐに迷いの森へ踏み込もうとした。
その即断即決ぶりを眩しく思いながら、僕も続く。
「手掛かりはないから、二手に分かれるでいいかな?」
「ああ、日が落ちる前には絶対見つけるぞ。寒くもなってっし、このまま夜になったら死んじまう」
「そうだね」
あるいはそれが少女にとっては……。
嫌な推測は追い払って、僕は改めてイズミへと振り返った。
「それじゃあイズミは、大木の方で残ってて」
「けど人手は多い方が、」
「もしかしたら戻ってくるかもしれないから、待っててあげてよ」
彼女の言い分は最後まで聞かず、僕の判断を押し付ける。けれどその可能性が限りなく低い事は、あの少女の顔を見たイズミにも分かっているはずだった。
「……けど、」
「イズミはここにいて」
割り切れないとばかりの反論を強引に押し戻す。
どうすれば納得するかと少し考えて、今も視界に映る雪で思いついた。
「こんなに寒くなってるし、イズミには色々準備をしておいてほしいんだ。ごはんとか、それにお湯があれば助かるから」
テンちゃんが凍えていたらすぐに温めてあげたい。少女はブレザーを置いて行ってしまっているし、気温に合わない薄着でいる。それに雪が止む様子もない。
僕の意図を読み取ってくれたイズミは、どうにか頷いた。
「……分かった」
肯定を見て取って少しホッとする。正直、イズミが行動したところで少女を引き戻せるとも思えなかった。
「じゃあ、行って来るね」
声音に信頼を張り付けて背中を向ける。
ふとリツを見れば、彼は呆れたような、困ったような笑みを浮かべていた。
「……お前には、必要ねぇかもな」
「何が?」
「いや、何でもねぇ。それよりさっさと行こうぜ」
リツは首を横に振って、早速森の茂みへと足を踏み入れる。その進む方角を確認し、僕も別方向へと歩み出す。
背中に感じるイズミの視線には、気付かないふりをした。
どれくらい探し回っただろうか。
何度か経験のある、どこまでも同じ森。けれど今は少しずつ、時間の経過とともにその景色を変えていた。
白く、白く。
積み重なる地面はもう沈む感覚があって、大気は徐々に凍っていく。
「はぁっ、はぁーっ。テンちゃん、どこ行ったんだ……」
休みなしではさすがに疲れて、僕は少し足を止める。体感ではもう一時間くらい走っているように思えたが、成果は何一つとしてなかった。
陽はまだそれほど動いておらず、枝葉の隙間から灰色の空が覗ける。けれど周囲は着実に暗くなっていて、もう少しすれば身動きを取るのも危険になるだろう。
早くテンちゃんを見つけないと……。
焦りばかりは生まれるが、解決策はまるで浮かばない。
そもそもこの森で、人探しは無理があるのだ。
ただでさえ見通しが悪いのに、方角は出鱈目で目印を作っても意味を成さない。足跡は何度か見つけたものの脈絡もなく途切れていて、通常の手段ではただただ迷うだけだった。
唯一可能性があるのは、未だよく分からない『お仕事』による不可解な感覚。けれどそれをどう使えばいいのか、ましてや人探しに役立つのかも不明なままだ。
「森を守る、か……」
とは言え、このまま闇雲な行動を続けても無駄に終わるだろう。
僕は天気を確認し、周囲の木々を見つめ、泉があるだろう来た道を振り返り、そして改めてこの森を見渡した。
……僕にとっての森とは、何だろうか。
テンちゃんにとっての天気は、恐らく少女自身だ。感情の移り変わりで空模様が変化するのは、少女の心をそのままに映し出しているから。
リツはどうだろうか。木々の性質を見分けられるというのは鍵になるだろうが、本質までは見えてこない。
イズミは大切なものだと言っていた。綺麗で、ずっと見ていたいのだと。
そして僕は……
記憶の底へ潜る思考は、答えに辿り着く前でとある光景へと吸い寄せられた。
——僅かな微笑み。冷え切った瞳。悔やむように唇を噛み。
テンちゃんが去り際に見せた表情。
それを思い出した途端、胸に危機感が注がれていって。
次いで浮かんだイメージは、崩壊だった。
……どうにかしないと。
そんな、自分かも疑わしい声が耳を塞ぐ。
閉じた感覚は不可解なものへと成り代わっていて、音を拾ったかのようにその方角へと向く。
「この森を、守るには……」
自分に出来る事を求めて、無意識の内に歩き出していた。
△▽▽△
暗闇で先が見えなくなっても走った。
不思議とあいつの考えが分かって、視界が効かない分、足跡が見えていた。
手遅れを知っている。
あまりにも突然の終わりに、立ち尽くすしか出来なかった。
救いを知っている。
強引に引っ張られて動いた足。誰も自分とは関係なくて、それでも繋がりがあって。
そうして。
輪になれば、手が届くと知った。
だから俺は、守りたいんだ。
▽▽△△
「…………ぁ」
小さく零れた息は、未だに白くあたしの視界に映った。
……自分が嫌になる。
木の根元で膝を抱えてしばらく経っていた。奮い立たせようと何度弱さを罵っても、力ない拳で叩いても、結局あたしは勇気を出さず立ってはくれない。
いつもは変に突っ込むくせに、こういう時だけは動かない。自分が相当大好きみたい。本当に嫌いだ。
使えそうなものはもう見つけている。準備は出来ているのだ。
あたしはまた時間を稼ぐように、その蔦を持ち上げる。
すると持つ手の感覚がほとんどなくて、このままでは結べそうにもなかった。……なんてまた、立ち止まる理由を思いついていることに吐き気がしてくる。
ならどうしよう。
情けない自分は放っておいて、どうにか別を考えようと寄りかかる木を見上げた。
……普通に落ちればいいだろうか。高さが足りない気もするけど、頭からなら、いけるかな……。
思考は酷く遅い。まるで考えたくないみたいだ。いやというよりこれは、寒いからかもしれない。
随分と前から体は震えっぱなし。ブレザーを着ていないおかげでより気温に影響され、しばらく動いていないから発熱も出来ていない。頭や肩にはいくらか雪も積もっていて、今も体温を奪っていた。
……そういえば、雪山で寝たらダメなんだったよね。
埋もれた記憶のカケラ。常識的なことは、こうして不意に引っ張り上げられる。
でも、丁度良いことを思い出せた。
これなら勇気もいらない。さっきからずっと眠かったし、抗わなければ望みは叶うのだ。
あたしは震えながら寒さを受け入れて、抱える膝に顔を埋める。
視界を閉じると肩から先がなくなったように感じた。足もどこに行ったか分からないのに、根を張ったように動かない。
危険を発するみたく心臓が変に脈打った。それがすごく煩わしくて、でももう何をする気力もないからそのままにした。
……このままでいい。あたしは、いらないんだから。
……そもそも産まれた時から、必要とされていなかったらしいし。
薄れゆく意識の中で次に浮かんだのは、結局この森は何だったのだろうと言う疑問だった。
今も記憶は完全に思い出せていない。それに『お仕事』なんてよく分からない力を与えられ、ヒィちゃんという変な生き物まで住んでいる。
未解決の謎がなぜか未練のようにも思えて、だけどあたしはそこで思考を止めた。
人生の全てを綺麗に片付けるなんて無理なこと。その分、自分で終わりを決めたあたしは幸せ者だ。
というか、大して興味なかったはずのことに最後を捧げようとするなんて、案外あたしも余裕なのかもしれない。
そう気づくと口端が上向いて、自信を持てた気にもなる。
その気分のままあたしは、なけなしの力で空を見上げた。
「……これが、正しいんだ」
散々嫌った相手を言い負かすように、誇るように言って見せた。
するとその言葉が届いたように、天気は表情を変える。
雨。
顔を濡らしていく雫。それは雪以上にあたしを凍えさせていって。
……やっと、かな。
そうしてあたしは、目を閉じた。
——なのに。
「テンッ‼」
その声は突風のように、雨や雪を強引に吹き払おうとした。でも今のあたしには、それが叩きつけられたように痛くて。
「死ぬぞこんなとこいたら!」
体を揺すられて、思わず目を開けてしまう。リツだ。彼は着ていた学ランを脱いで、あたしに被せて温めようとした。
……やめてよ。せっかく、ここまで来れたのに。
大きな体に抱きかかえられようとする中、あたしは抵抗しようともがく。
「……死ぬ、なら、丁度、いい、よっ」
凍えで思うようにならない抗いは、強い力であっさり抑え込まれた。
「何言ってんだッ! 死んで良い事があるかよ!?」
あたしの瞳に叱責が飛ぶ。
その、あまりにも綺麗な言葉にあたしは笑いそうになってしまった。
「あた、しは、元々、そのつもりで、ここに、来たんだよ。思い、出したんだ。だから、このままで、いさせて、よ」
これは自分で望んだことなの。もう構わないで。
寒さで言葉は切れ切れになったけど、伝えられはしたはず。
それなのにリツは、あたしの意思を無視してこの小さな体を背負った。
「ふざけんなッ! 死なせるかよッ!? 死にたくても死なせねぇぞ!」
静まる森の中で、その怒号が枝葉から雪を落とす。もう足下はくるぶしまで埋まっていてすごく歩き辛いのに、リツは強引に進んでいく。
……また、迷惑かけてる。
この後悔が嫌だから、終わらせたいのに。
「リツ、には、関係ない、でしょ」
「あるわ馬鹿がッ!」
彼の腕の中から逃げようとするも、やっぱり強く繋ぎ止められてしまう。ぎゅっと抑えられる力は少し痛いほどだ。
「もう俺ら仲間だろ。友達でもいいし家族でもいい。少なくとも他人じゃねぇ。大切なもんがなくなんのは、なんだってつれぇだろうがっ」
言葉と言葉の間には荒い息が挟まっていた。どれだけ探してくれたんだろう。触れる背中は物凄く熱くて、でもあたしの心は冷たいまま。
「でも、あたし、いらない、から」
「……誰が、言ったんだよ」
「誰、だろ。ここに、来る前の、ことだから、あんまり、思い出せないけど、でもあたしも、そう思うから。だから、死のうと思ったんだ」
そう言うと、リツは僅かに言葉に詰まった。それでも足は止めず、少しするとまた語り掛けてくる。
「……ここに来る前の事は俺には分かんねぇけどさ。まだ、お前の周りには、お前を大切にしてくれる人がいたんじゃねぇのか?」
「その人たちにも、迷惑、かけてたから」
「それ、ただお前が辛かっただけだろ。周りは迷惑だと思ってねぇよ。なんならむしろ辛いって言えって。ちゃんと甘やかしてくれるからさ」
「迷惑じゃないわけ、ない」
人には人のやりたいことがあって、それは邪魔しちゃいけないんだ。
なんでそんなことも分からないのだと、浮かんだ苛立ちは向かい風を呼ぶ。
それでもリツは進む速度も変えず、吐き捨てるように言った。
「お前が死ぬ以上に、迷惑な事はねぇよ」
静かな怒り。でもどこか悲しさも一緒にあって。
あたしは文句を言い返そうとして、だけど彼の感情に気づくとなぜか口を閉じていた。
そうやって甘やかすから、あたしは調子に乗っちゃうんだよ。
あたしは、変わりたいのに。
この森に迷い込んでからも、あたしはずっと役立たずだった。
非力で出来ないことが多くて。それなのに、あたしに合わせて出来ることを見つけてきてくれて。
不満もたくさん言ったし、わがままで困らせた。あたしがいない方が、もっと生活は快適だったに違いない。
……やっぱり、あたしはいらないよ。
結論は変わらない。だからあたしはどうにかこの背中から抜け出そうとして、だけどそれはずっと、この温かい腕が許してくれない。
あたしが逃げた分の隙間を、すぐにリツは背負い直して埋めるのだ。
「帰るぞ。このままだとお前死ぬ」
リツに力で敵うはずもない。だからあたしはこのまま連れ戻されるしかないのだろう。
……なんで、受け入れようとしてるの。
決意に背こうとする自分を見つけて、すぐに否定しようとしたけれど、なんでか言葉がまるで出てこない。このままを望んでいるかのように、浮かんだ怒りも形にならなかった。
それでも、とあたしは意地だけで口を開こうとして。
「あたしは……っ」
「悪いが、お前の言い分は無視するぞ。迷惑かけてやんよお前に」
続かない反論の先は、即座に奪われた。
わざとらしく傲慢ぶった口調。だけど優しさが隠しきれていなくて、だからこそ想いが直に伝わってくる。
「んで、俺が迷惑かけてんだから、お前も存分に迷惑かけてこい」
周囲は暗いし背負われているから、顔なんて見えないはずなのに。
でもあたしの心には、彼のその眩しい笑いかけが焼き付いた。
「それなら、おあいこだろ」
おあいこじゃ、ないよ。
そんな風に言われたって出来ないし。結局あたし、変われてないじゃん。
ああ、でも……
……あたし、嬉しいんだな。
氷なんてすっかり溶けている。それに気づくのが遅いから火傷まで作ってしまった。
ズキズキと、鼓動と熱が重なっていく。この痛みは治まりそうにもない。
あたしは、今更になってまだ雨が降っているのだと知った。
顔を濡らしていく雫。
それは、恥ずかしいくらいに、温かかった。
△△▽▽
雲の切れ間に月が浮かんでいる。もうすっかり夜だ。
「…………」
「大丈夫だよきっと」
さっきからずっと空を見上げているイズミに、僕は確信を持ってそう告げた。
少し前から雨が降っていて、それは昼間なら天気雨とも呼べただろう。だからか、落ちてくる雫は少し温かくも感じ、僕に不安は一切なかった。
僕は雨で焚火が消えないよう、ブレザーを脱いで傘を作る。雪もほとんど溶けているから、それほど寒くはなかった。
大木の拠点。結局松明は中途半端なままだから、明かりはこの焚火だけだ。
僕とイズミは火を囲ってただ時間を待っていて、その間にヒィちゃん達が晩御飯の焼き加減を見てくれている。
四人分。その数が欠ける事はない。
そろそろ出来上がりそうだなとヒィちゃん達の調理を眺めていると、不意にイズミが声を上げた。
「リツ!」
彼女が駆け出し向かう先では、大柄な人影が現れたところだった。
「帰ったぜ」
誇らしげに帰還を知らせるのはリツの声だ。近づいてその姿が火で照らされると、確信通り彼の背中にはテンちゃんがいた。少女は学ランに包まれながら、疲れ果てた様子で眠っている。
「見つかったんだね」
「ああ、何も問題なしだ」
どこか誤魔化すような言い方を、そのまま僕は信じる事にした。
「生きてる。良かった……」
イズミは安堵の余りその場に立ち尽くしている。何かしてやりたそうだけれど、起こすのも悪いかと何も出来ないでいるようだ。
リツは焚火横の丸太椅子に腰かけて、でも、少女を下ろしはしなかった。
「とりあえず、こいつ温めてくれねぇか。ちょっと離れそうにねぇから出来ればこのままで」
苦笑いと共に示された首元では、確かにちょっとやそっとでは剥がせそうにない程しっかりと少女の腕が繋がれている。
幸せそうな寝顔だ。けれどくっきりと涙の跡も残っていて、やはり僕の役目ではなかったなと思い知る。
よほど疲れているだろうに文句も言わないリツに尊敬の念を抱きつつ、僕は晩御飯の準備を終えた森の精に指示を出す。
「ヒィちゃん、お願いしてもいいかな?」
「「「「ヒっ!」」」」
重なる肯定と共に、数匹の立体物がぴょんぴょんとテンちゃんの体に飛び乗った。それから少女を包む学ランへ潜り込むと、その生地の奥が薄っすらと光り始める。
最初は不思議そうにしていたリツも、すぐに納得がいった顔を見せた。
「そういやこいつら、熱出せるんだったな」
「そうそう。便利だよねほんと」
「はは、確かにな」
森の精をカイロ扱いしている事にはもう誰も何も言わない。図太く受け入れるのが正しいのだと思い知っているのだ。
リツはテンちゃんを背負いながら晩御飯を食べ始めている。その隣でイズミは、食べやすいようにとテンちゃんの分の魚の骨を取り除いてあげていた。
思いやりや繋がり。
そう言ったものを確かに見て、なんだか胸が満足感を憶えている。
その感覚から連鎖するように、僕はふと思い出した。
「そうだ、そう言えば」
声に発するとリツとイズミがキョトンとこちらを向く。それに僕は、少し得意げな笑みで返して見せた。
「テンちゃんが起きたら、見せたい場所があるんだ」
テンちゃんは目を覚ますと、まず僕とイズミへ謝罪をした。
雷を落とす瞬間、少女はどうやら森で迷う前の事を少し思い出したらしい。それによる葛藤の末に飛び出したが、今はもう大丈夫との事だった。
詳しい事情は聞かなかった。僕としては今まで通りに戻るのであればそれでいいし、イズミも特に質問はせずただ少女の帰還に安堵していた。
テンちゃんには目立った外傷もなく、精神面も異常はなさそうだったが、少女自身によればまだ体調は少し悪いようだ。
「お前、もう歩けるだろ?」
「うぅん。まだこのままがいーい」
甘える声にリツはため息を吐きながらも、従って少女を背負ったままだ。
傍から見ても少女の体調不良は単なる言い訳にも思えたが、まあリツには介抱する責任があるだろう。関係性が変わっていくのも、共同生活をしていればあり得る事だ。実際に変わったのかどうかはいまいち分からないが。
二人のやり取りを微笑ましく思いながら、僕は正面に視線を固定して皆を先導する。
夜の森の中。松明を掲げ不思議な感覚のままに進んでいる。
どことも知れない器官が捉えていた音は、次第に耳も拾い始めた。
「着いたよ」
僕がそう言うと、真っ先に声を上げたのはテンちゃんだった。
「え!? こんなとこあったの!?」
僕としても少女の反応を求めていたから、その驚いた様は素直に嬉しい。他の二人も驚愕で固まっていて、なんだかサプライズに成功した気分だ。
「川……」
「しかも、結構でけぇな」
僕らの目の前で奏でられるのは、しきりに水が流れていく音だった。
辺りはかなり開けていて、川幅は10m程。深さはまちまちで膝を濡らさず向こう岸に渡れる箇所もあれば、油断していれば溺れてしまいそうな穴もある。左側が上流で、川の両端は今立つ場所からではどこまでも続いているように見えた。
水質は綺麗だし、このまま飲む事も可能だろう。ただ泉とは違い、魚や甲殻類などの生物は生息していないようだ。
「ここ、お前が見つけたのか?」
「うん。たまたまね。ここなら存分に水浴びも出来るし、それにほら、あそこ見て」
僕が指差す先は対岸。
苔むした岩から徐々に森へと変わっていく急斜面は、進むには難しそうだが、登った先には果実を実らせる木々が立ち並んでいる。
「たぶんあれ、柚子だよね。それに栗とか柿もある。しかもタケノコもあったんだよ」
僕は最初に来た時に試しに採ってみていた。季節感はバラバラだが、どれも調理すればすぐに食べられそうな出来だったのだ。
これで食卓に彩りを出せるし、飽きも減らせるだろう。そんな意味を込めてテンちゃんを見れば、少女は思いの外微妙な表情を浮かべていた。
「えーとなんか、チョイス渋いね?」
ハッキリと言われて思わず笑ってしまう。確かに、食卓に出てくる頻度では全体的に少ないかもしれないと、曖昧な記憶で同意した。
「まあそうだね。けど、柿とか普通に美味しかったよ?」
幸いにも渋柿ではなかったと伝えると、リツがジト目を向けてくる。
「お前、そのまま食べたのか……?」
「まぁ行けると思って」
「俺ん時はあんなに慎重だったのによ……」
自分の体も大事にしろ、的な視線を受けたが、特に異変もないし結果オーライだろう。
とやかく言いはしたものの、皆の口ぶりには明日への楽しみが増えていて、僕も役目を果たせたかなと実感する。
ここら一帯は月明かりが直に降るから夜でも意外と見通しが利く。生活スペースを移すのも悪くないな、なんて話し合っていると、不意に会話を割る声が現れた。
「「「「「ヒぃイっ!」」」」」
声の出所を探して、だがそこには想像していた形はなく、ひょこひょこと動く、五つの布の塊が掲げられていた。
「あれ、ヒィちゃん? 道作ってないのに来れたの?」
「って待て、これ……」
リツが布の塊を一つ持ち上げると、見知った三角錐が姿を見せる。その格好は少し汚れていたが、リツが広げた布の塊の正体に注目を奪われた。
「……制服」
「ほんとだ! じゃあ着替えも解決!?」
「うん、皆分あるね」
一つずつ広げていけば、それぞれ僕らの制服とまったく一緒のものだった。サイズも問題なさそうで、上下一式に下着までもが揃っている。
「一体、どっから持ってきたんだよこれ……」
「まーいいじゃん! ありがとねっヒィちゃん!」
「「「「「ヒぃヒーっ」」」」」
疑問はもう今更だと率先してテンちゃんが感謝を告げると、三角錐達は返事をしながらもどこか疲れた様子でへたり込んでいく。
ただ一匹だけ、未だに布の塊を掲げている者がいた。
「あれ、一着多いね」
僕はその事に気づき、すぐにその布を広げる。するとそれは、見慣れないセーラー服だった。
他の四着はそれぞれ、僕、リツ、イズミ、テンちゃんの制服を再現したような衣類だったけれど、これだけ誰のものにも当てはまっていない。
僕が首を傾げていると、他の三人も視線を寄せてくる。
「予備とかじゃねぇのか?」
「けど小さい」
「あたしは入りそうだけど……」
「予備にしても一着だけってのも変だね」
チラリとヒィちゃん達を見ても、分かる事はない。彼らはここまでに来るのでよほど体力を使ったようで、仰向けになって休んでいた。
「まー問題ないでしょっ」
「かな」
「ん」
理由がないわけではないだろうが、不安に繋がるとも思えない。
「んじゃあそろそろ、自分の足で歩けよなっ」
「ちょっ! いいじゃんちょっとぐらい!」
話に一区切りつくと、リツが悪戯するみたく背負うテンちゃんを揺らした。すると少女はがっしりとしがみつき、必死に落ちないよう抵抗している。
「二人、仲良い」
「だね」
じゃれ合いのようなやり取りを眺めていると、なんだかこっちも楽しい気分になった。
この森での不思議は増える一方。だとすれば、僕らがこの森を出るのはまだ先の事になるのだろうか。
とは言え、焦る自分はもういない。
何ならこの森に、居心地の良さすら感じていた。
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