第2話
「
この京の都において、陰陽師は都を――ひいては帝を守る重要な役職だ。その中でも特に実力のあるものは
若くして少将に任じられた明隆は、涼やかな見目の良さも加わって、内裏女房などからはきゃあきゃあと騒がれている。その一方で、物の怪と渡り合い、人ならざるものを使役する陰陽師を忌避する女性も少なくはなかった。高貴の姫君であればなおさらだ。
二十という年令は、結婚するには大分遅い。だが、と明隆は自らの身の上を振り返って内心頭を抱えた。
「い、いえ、主上……」
思いもかけぬ帝からの言葉に、しどろもどろになりながら明隆はなんとか断れないだろうかと頭を悩ませる。
だが、そんな明隆の様子に頓着してくれる帝ではない。脇息にもたれ、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべると、得意げにこう述べた。
「実はな、もう相手も決めてある。
「な、中務郷の宮の……」
背中にじっとりと嫌な汗をかきながら、明隆はそう繰り返した。中務郷の宮は、帝の異母弟だ。つまり、お相手にあげられたのは高貴の姫君と言うことになる。明隆は中務郷の宮の家族構成を必死で思い出そうとした。
確か、姫君が三人……いや四人いただろうか。一番上の姫君はもう婿がいて子どももいたはずだ。年も上なので、おそらくは違うだろう。すると、二番目か……その下はどうであったか。
宿直所で雑談の中に出てきたはずだと思い巡らせてみるものの、一向に見当がつかない。
「明隆、おぬしには是非結婚をして、かの安倍晴明の血筋を残してもらわねば」
帝の言葉に、明隆は面を伏せた。わかっている、わかっているのだ。だが――。
(それが出来れば苦労してないんだよなぁ……)
胸中でそうぼやくと、明隆は途方に暮れた。だが、ほかでもない帝の言葉である。断る、などという選択肢ははじめから存在していないのだ。
「謹んでお受けいたします」
どうしたものかと内心頭を抱えつつ、明隆はそう応えたのであった。
「いやあ、災難だなあ、
「
帝の御前を退出し、ため息を押し殺しながら内裏の廊下を歩いていると、近衛中将・
明隆とは同じ近衛府に所属するもの同士、ということになり、それなりに見知った仲ではある。無視をすることも出来ず、明隆は立ち止まって軽く頭を下げた。
「聞いたよ、帝からのご指名で中務郷の宮の姫君と結婚するんだってね」
「耳が早いですね」
「もうすっかり噂になっているよ」
苦笑交じりに
すると、周囲を気にしながら近寄ってきた直倫は、明隆の耳元に口を近寄せると小声で言う。
「中務郷の宮の姫君と言えば、どちらもわがまま姫で有名だ。苦労するな」
「はあ……」
どうやら、若い
なるほど、それで自分のような陰陽師に
帝の血筋に連なる高貴な姫君をなぜ、という心の奥の疑問は解消されたが、それは新たな憂鬱を運んできただけだった。
(どうしたものか……困った、困った)
それからも何事かしゃべり続ける直倫の言葉もほとんど耳に入らず、ただ相づちを打ちながらともに近衛の詰め所に向かう。その足取りは、お世辞にも軽いとはいえぬものだった。
さて、これほどに明隆が困っているのにはもちろん理由があった。それは、明隆の祖父の代にあった出来事に起因する。
明隆の祖父も、やはり例に漏れず陰陽少将の位を戴く腕利きの陰陽師であった。だが、それと同時に恋多き男でもあり、あちこちで浮名を流していたのだという。
結論から言えば、それがよくなかった。
最終的に、その恋多き祖父が選んだのは気のよく合う
(それを恨んだ女がいたわけだ……)
祖父が気まぐれに通った先で一夜をともにした姫君は、再びの訪れを待って待って待って……待ち続けて、そうして自分でも気づかぬうちに亡くなってしまったらしい。そうして魂だけになって散々彷徨った先で見つけたのは、恋した男がほかの女と子をもうけ、仲睦まじく暮らしている姿。
それを、恨んで恨んで――そうして、いつの間にか怨霊と成り果てた姫君は、あろうことか当時生まれたばかりだった祖父の孫、つまり明隆に取り憑いてしまったのである。
陰陽師として力をつけた明隆は、自らに取り憑いたその怨霊を、なんとか調伏しようとしてきた。だが、夜の夢の中にしか現れないそれをどうすることもできずにいる。
夢の中で怨霊は、決まって明隆にこう囁いた。
『お前が女と契ったら、その女もろともお前も殺す』
怨霊の囁きは呪いだ。力の強弱に関係なく、その言霊には力が宿っている。おろそかにすれば、まず間違いなく言葉通りになる。
従って――明隆は年頃になっても誰の元にも通うことなく、夜になれば怨霊を調伏するためにあれやこれやと試行錯誤する日々を送ってきたのだ。
そこへ、帝直々のお声掛かりでの結婚だ。しかも、子を成すこと前提の。
(いやいや、普通の夫婦なら結婚して子をもうけるのはおかしなことではないのだが……)
そのための行為をすれば、自分だけでなく相手も死ぬ。困ったことになった、と明隆は盛大なため息を漏らしたのだった。
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