70 : 一番大切なこと(本編最終話)
「エミーナ様、円様、ようこそ」
叡子先輩とメリーンさんが二人を迎えている。レイが皇女に相応しいかどうかの判定をするためにエルフの重鎮達がこの場に集っている。
人間になった俺にはもはやエルフ臭を感じ取ることはできないが、エルフであればむせ返る程強烈に感じるのだろう。
レイはエルフでなくなった訳ではないので、その臭いがわかるのだろう。いつもよりも何処となくムズムズしているようだ。
「ここから先は殿方は遠慮して頂戴」
エミーナさんにそう言われ、俺だけリビングに残り、女性陣は馨の部屋に行った。
なぜ馨か?それは馨が完全に人間に戻ったからエルフ臭が全くしなくなったのだ。
案内していた馨が戻ると俺達は皇女判定の結果を並んで座って待っていた。
自分のことではないのに二人で緊張してしまい、少し汗ばんでいる俺の左手を馨は強く握ってくる。そして、時折こちらを上目遣いで見てくる。
時計を見れば十五分程度しか進んでいないが、俺達からすればとてつもなく長い時間が過ぎているように感じる。他人事ながら一生を左右するかも知れないのだ。
「お待たせ」
叡子先輩が先ず出てくる。続いて雛子先輩とレイ以外の皆も一緒に。
「これからのことを二人で話しているの。レイはここにしばらく住むことになるわ」
テーブルでお茶を飲みながら、二人の今後について説明を受けた後、メリーンさんは一足早くこの場を出て行った。仕事柄長い間家を空けられないので本当のとんぼ返りをするそうだ。皇女の非常にハードな一面を見た気がする。
老女二人が世間話をしている姿はどこにでもある風景で、どちらもエルフには全然見えない。人間だエルフだと騒いでもここだけ切り取れば、そんなのどうだって良いじゃないかと思えてくる。
「ありがとうございました」
雛子先輩がやって来て、後ろに眼の周りを真っ赤にしたレイがいる。
もろもろの事情と今後の話を詳しく聞き、エミーナさんや円さん達を送り出した。
レイはまだ心の整理が着かないのだろう。馨の部屋へ再度戻っていった。
「安条さん、私からお礼を言わせて。本当にありがとう」
「混乱の責任は薬を作った私にあるわ。ごめんなさい」
「貴女が謝ることは……」
「いや、私が悪いの……」
そんな会話の後、俺達も自宅へ帰ることとなった。
久しぶりの我が家は見慣れた景色であっても、自分の家だという感じがしない。数ヶ月も離れているとどこかの民宿にでも来たようだ。
それでも母の料理を食べればここが間違いなく自分の実家だと理解する。意味は違うけど帰巣本能などという言葉を思い出す。
数日後、馨のベッドの上で俺達は横になっていた。
馨は完全に元の身体に戻ったわけではなく、胸がCカップより小さくならないと言っていた。エルフ化のお土産みたいだと笑っていたが、俺からすればご褒美だ。掌にちょうど収まる大きさで感触が良い。
「とても気持ち良かった」
「俺だって」
ベッドが母乳まみれになることもないし、白餡を拭くのにバスタオルがないとダメなどどいうこともない。ゴム製品だってちゃんと付けることができるから、やりたいことが全てできる。
これまでの不自由を思えば夢のようなことだ。
エルフ化って何だったのだろう。
俺自身は教師を目指して今は勉強している。エルフ時代に蓄えた知識(チートみたいだ)を活かしながら日々参考書や問題集を開いている。馨は養護教諭を目指すそうだ。体の悩みを抱えている若い人達の相談相手になりたいと言っていた。
チートを得たからこそ努力の大切さがわかるようになった。
チートを得たからこそ人類や種族の多様性が良くわかるようになった。
チートを得たからこそ社会の裏側が垣間見えた。
そして……
チートを得たことで自分の進む道がハッキリした。
「これからもずっとこうしていようね」
馨ができなかった時間を取り戻すように俺に手を回し、唇を合わせてくる。
エルフでなくなった今、かつては当たり前だったできる喜びの尊さを感じる。
普通に戻れて良かった。
いや、普通こそが一番大切なことなのだと俺はハッキリ理解した。
(了)
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番外編を投稿予定でいます。
もう少しお付き合いいただけると有り難く存じます。
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