転生魔王は勇者を目指す
八月十五
第1話 魔王、転生する
右手を持ち上げる。干からびた枝のように細く、水分の少ない自分の腕にため息を吐く。
「スペルビア様。今日のお加減はいかがでございますか?」
そのあたりさわりのない言葉に、俺は自嘲して返す。
「いいように見えるか?」
俺は日に日に弱ってきていた。始まりの魔王と謳われ、恐れられると同時に愛されたこの俺が、まさか心配されるとはな……。
「もうお止めになった方がよろしいのでは?」
俺は自分の死が近いことを察していた。だからこそ、《転生》の魔法を開発しているのだが、中々上手くいかない。
「それは俺に死ねと言っているのか?」
爺が俺を心配してくれているのは理解している。無理をしては残り少ない寿命を削るだけだといいたいのだろう。それでも、素直にありがとうと言えず、俺は爺に皮肉で返してしまう。
「申し訳ございません。しかし、流石に無謀と言わざるを得ないかと……」
分かっている。数千年に及ぶ魔族の歴史の中で、《転生》の魔法は開発されなかった。おそらく人族にもそんなものはないだろう。
だが、だから不可能だというのは早計だ。魔法というのは不可能を可能にする力だ。何かピースが揃っていないだけで、必ず方法はあるはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、構築していた魔法陣を指に魔力を流して設定をいじる。
「ゴホッ、ゴホッ!」
「スペルビア様!」
爺が慌てて近寄り、背中をさすってくれる。咳き込んだ拍子に魔法陣の設定を書き換えてしまったな、元に戻さないと……ん?
「ス、スペルビア様、これは……⁉」
魔法陣が光っていた。これは、魔法陣という設計図が、魔法として使用可能になったということだ。つまり、簡単に言うと――出来たのだ、《転生》の魔法が。
「フハハ……フハハハハハハ‼」
俺はすぐに《転生》を発動させた。
「爺、今までご苦労であった。この魔法は俺とお前だけの秘密だ。お前だけに使用を許す。他の誰にも見せるな」
「はっ!」
爺は跪き、俺の門出を祝福する。
「後のこと、任せるぞ」
「お任せください。必ずや、魔族を繁栄させて見せます」
爺のその言葉を最後に、俺の意識は曖昧になっていった。
「おぎゃあー」
目が覚めた俺は、とりあえず言葉を発してみたが、上手くいかない。どうやら、赤ん坊になったらしい。自分の手を見てみると、小さく、張りのある瑞々しい手だ。
親はいないのかと、キョロキョロと辺りを見回してみるが、どうやら森の中に俺だけがいるらしい。森の中に赤ん坊を一人だけで置き去りにする親。一つだけ心当たりがある。
「おぎゃあー」
どうやら俺は捨て子のようだ。
手を握ったり、足をばたつかせたりしてみる。肉体的には健康そうだが、このままでは餓死してしまう。
「《成長》」
《成長》の魔法で、一人で歩ける年齢にまで成長させる。どうやら、魔法は問題なく使えるようだ。
「《鑑定》」
《鑑定》の魔法で自身を鑑定する。最悪ゼロからのスタートになるかと危惧していたが、どうやらステータスは問題なく引き継がれているようだ。
「ん?」
鑑定によるステータスの中に、俺が「人族」であるという表記があった。どうやら、今世の俺は人族らしい。
「フハハハハハハ‼」
何の因果か、争っていた人族に転生するとは。まあ、人族なら魔族を殺さなければならないわけでもないし、気にすることもあるまい。
とりあえず赤ん坊だった俺を包んでいた布を腰に巻いておく。《作成》の魔法で魔力を防具に変換して服を作ることはできるが、魔力の消費が大きい。別に誰もいないのだし、必要最低限の布はあるのだ。それに俺はもう魔王ではないのだし、身だしなみに気を使う必要もないだろう。
とりあえず、この森を抜けなければ何も始まらない。
俺は魔王という肩書を持ってはいたが、戦闘能力はそこまで高くない。もちろんそこらの雑兵に後れは取らないが、英雄や勇者と呼ばれる者たちには万全な装備がなければ太刀打ちできないだろう。
そして、今の俺にはその万全な装備がない。
俺の魔王以前の職業は魔技師だ。武器や防具に《付与》を使って魔法を付与して魔法道具を作る職業だ。
《作成》を使って武器を作ることはできるが、膨大な魔力を消費する。魔技師である俺にとって、魔力がなくなるのは致命的だ。
ここは何時でも魔法を放てる準備をして、慎重に歩を進める。
「ガアアアアアア‼」
俺の目の前に雄たけびを上げながら飛び出してきたのは、熊だ。正確には魔物としてのちゃんとした名前があるのだろうが、ここで《鑑定》を使えば一手後れを取ることになる。
ここは先手必勝。単体攻撃魔法の基本である《火球》を放つ。
「ガアアアアアア⁉」
熊は火達磨になり、転げ回って火を消そうとしていたが、やがて絶命した。
俺は地面に転がっていた石を《加工》し、磨製石器のナイフを作る。
《加工》の魔法は《作成》の魔法に比べて魔力消費が少ない。どのみちこの熊を解体するのに刃物が必要なら、ここは《加工》を使うべきだろう。
魔物の解体なんてやったことがないが、とりあえず腹にナイフを突き立てる。
適当にさばいて、骨、肉、毛皮に分ける。《火球》を放ったせいで、肉は蒸され、毛皮は焦げていたが、まあいいだろう。
俺は枝を集め、そこに《火球》で火をつける。こういう時、火属性の魔法を覚えておくと便利だ。
ちょうど腹が減っていたので、肉を枝に刺して焼き、口へ運ぶ。調味料がないのではっきり言って味気ないが、中々ワイルドな料理だ。こんなものは前世では食べたことがなかった。魔技師の頃は金があったし、魔王になってからは魔王に相応しいものを食べろと部下に言われたので、どちらも一流シェフが作った高級料理しか口にしたことがなかった。
自分で狩った魔物を自分でさばき、自分で料理し、食べる。
骨は《加工》して剣に変え、毛皮は羽織る。
しばらく歩くと、森が開け、巨大な壁が見えてきた。見ると、壁の周りに列ができている。
列の先頭にいる門兵に声をかける。
「通行税か?」
門兵は俺を一瞥すると、汚らわしいものを見る目を向ける。
「そうだ。あと不審物がないかのチェックもな」
なるほど、このまま森で暮らすのも楽しいかもしれないが、せっかくだ。情報を集めることにしよう。
列の最後尾に並ぶ。威厳を振りかざせばすぐに入れるだろうが、今の俺は一人の人間だ。ここで前世が魔王だとバレては普通の生活ができなくなるかもしれない。それでは面白くない。
「この町はなんていう名前なんだ?」
町なら名前ぐらいあるだろうと思い、前に並んでいる旅人風の男に問いかける。
「何だ、そんなことも知らないでこの町に来たのか?」
旅人風の男は俺を見下したような態度をとる。
「ここは人族最大の国。その王都さ」
ほう、これはいい場所に生まれたな。人族最大の国ならば、選択肢も豊富にあるだろう。その王都ならば尚更。
「知ってるか? この王都にはな、聖剣が祀られてるんだぜ?」
旅人風の男がいった言葉に、俺の思考は加速した。聖剣、それは神が作り人族に与えた魔王を倒しうる唯一の切り札。そして、それを握れるのは勇者のみ。
俺の元にも勇者が聖剣を持ってやってきたときに見たが、あれは素晴らしい作りだった。
俺の趣味は宝物のコレクションだ。レアであればあるほどいい。聖剣を奪おうとしたこともあったが、勇者を倒した瞬間に聖剣も消えてしまったのだ。おそらく、魔族の手に渡らないようになっているのだろう。
だが、今の俺は魔族ではなく人族だ。聖剣も握れるかもしれない。
俺の目的が決まった。勇者になって聖剣を手に入れよう。
そんなことを考えている間に俺の番がやってきた。
「おいガキ。とりあえず名前を言え」
名前。前世の名前でもいいか。今世では捨て子だったから名前もおそらく付けられていないだろうし。
「スペルビア・ダークロードだ」
俺の答えに、門兵は飲んでいた水を噴出した。
「本気で言っているのか⁉」
何やら慌ただしい。俺の名前に何かあるのだろうか。
「スペルビア・ダークロードって言ったら、始まりの魔王の名前だろ。その名前を付けることは禁止されているはずだぞ。お前の親は何考えてんだ?」
なるほど、人族の敵の頂点である魔王の名を子供につけるのは禁止されているということか。
「捨てられたからな」
一応それっぽい上で本当のことを言って言い訳にしてみる。
「……そうか」
何かを察したのか、門兵が黙って頭をかく。
「お前みたいなガキはどうせ、王都に入ってもすぐにスラム行きだろうが、まあそれは俺の気にすることじゃない。それと、剣を持っていくのはいいが、町中での抜刀は違法だからな。通行税は持っているのか?」
町中での抜刀は違法なら、剣を持っている意味もないだろう。
俺は、熊の骨から作った剣を門兵に差し出す。
「これで足りるか?」
門兵は剣を値踏みすると、いやらしい笑みを浮かべた。
「ああ。行っていいぞ」
おそらく、あの剣は通行税以上の値が付くのだろう。まあ、俺としては材料があればいつでも《加工》の魔法で作れるから問題ないが。
壁を越えた先にあったのは、前世からそこまで発達したとは思えない文明だった。確かに、はるか遠くにそびえたつ白亜の城こそ立派だが、それだって俺が暮らしていた魔王城に比べればショボい。俺が転生してからどれだけの年月が経ったのかは知らんが、人間はこの間、全く進歩していないようだ。
「ねえ」
二階建てや三階建ての一軒家が立ち並び、屋台が出ている町を散策しようと思っていると、いきなり声をかけられた。
「なんだ」
声をかけてきたのは、ボロボロの、もはや服ではなく布というべきではないかと思えるようなものを纏い、黒髪に褐色の活発そうな少女だった。服は上着だけで、ズボンを履いていないのか、太ももが見えそうでちらリズムを誘う。
「あなたも浮浪児でしょ? こっちに来なよ」
すぐに違うといえば彼女も拒んだかもしれない。が、前世の俺はともかく、今世では俺は捨て子の一文無しの浮浪児で違いない。
「あなた、名前は?」
スペルビア・ダークロードと名乗ればまた一悶着あるかもしれない。だが、他の名を名乗るのは魔王として如何なものか。
「本名は分け合って名乗れぬ。ルビアと呼ぶがいい」
ルビア。これなら愛称で済むし、偽名でもないから問題あるまい。
「分かったわ、ルビア」
少女は俺の名に何かあるのを察したのか、ルビアと呼ぶことに決めたようだ。
「して、お前は何という?」
少女は俺に振り向き、二パッと微笑んで言う。
「エルマ。エルマ・シャイニー」
エルマに連れてこられたのは、スラムの奥にある、古びた小さな教会だった。
「ここはスラムの力の弱い人たちの憩いの場でね。シスターが優しい人で、無償で怪我を治療してくれたり、炊き出しをやってくれたりするんだよ」
まだ中を見ていないので、教会の外装だけの話だが、漆喰が剥がれ、所々煉瓦が見えている。間違いなく、儲かっていないのだろう。それでも無償で治療や炊き出しをするあたり、シスターは良い人のようだな。
「あら、エルマ。その子は?」
中に入ると、修道服を着た、二十代くらいの若い修道女が掃き掃除をしていた。金髪で、青い瞳をしていて、胸は慎ましやかだが無駄な肉はついていない。中々の美人だ。
「この子はルビア。さっきこの町に入ってくるのを見つけたんだ」
そういえば、俺には聖剣をコレクションに加えるという目的があったんだった。
「聖剣がどこにあるか知っているか?」
俺の唐突な質問に、二人が困惑する。もう少し世間話をすればよかったか。政治は苦手だからな。
「王城に飾られているけど、それがどうしたの?」
スラムの人間はそんなこと知らないかとも思ったが、どうやらスラムの情報に疎い人間でも知っているぐらい有名らしいな。
「そうか。助かった」
王城というのは、町に入ったときに遠くに見えた白亜の城のことだろう。
「ちょっと待って。まさか、勇者試験に行くつもり?」
「勇者試験? なんだそれは。勇者というものは聖剣を引き抜けば誰でもなれはずだが?」
「それは昔の話よ。今は勇者になるためには勇者として相応しい心技体があるか勇者試験でテストして、合格した者にのみ聖剣に挑戦する権利が与えられるのよ」
なんだそれは……。勇者を選ぶための聖剣でもあるというのに、それをさらに選ぶとは。
「では、その勇者試験はどこで受ける?」
「スラムの人間には市民権が無いの。勇者試験に出るためには市民権と誰かの推薦が必要だから」
なんだそれは。スラムにだって大勢の人がいるはずだ。それも玉石混合。そんな法を作っては、勇者に相応しい人材をみすみす逃すぞ。
「市民権を得る方法はないのか?」
「多額のお金を払えば市民権が買えるけど、スラムの人間にそんなお金を払えるわけないでしょ」
なるほど。金で解決するのなら簡単な方法がある。
「シスター、頼みがある」
すると、シスターは顔を曇らせた。
「申し訳ないけど、この教会も貧乏で……」
「貸してくれとは言わん。通貨を一通り見せてくれるだけでいい」
通貨を覚えれば、その辺の石を《加工》して硬貨に変えられる。今のままでも宝石には変えられるが、物品だと何かと不便だし、この辺でこの世界の貨幣に触れておくのも悪くないだろう。
シスターは俺の頼みを快諾し、この世界の貨幣を一通り見せてくれるようだ。ポケットから通貨を取り出して見せてくれる。
「この金色の一番大きいのが金貨。銀色の中くらいのが銀貨。銅色の小さいのが銅貨ね。原材料はその名の通りそれぞれ金銀銅よ」
「紙幣はないのか?」
「よく知ってるわね。昔はあったらしいけど、しょせん紙だし、価値が保証されてないから廃止になったらしいわ」
なるほど、本来紙幣というものは国の信頼があって初めて実現するものだ。人族のあらゆる国で使うには、紙幣はいささかハードルが高かったようだ。その点、硬貨は材料の価値の分が保証されている。
「助かった。感謝する」
俺はその辺に転がっていた石を拾い上げ、魔法を使う。《加工》は便利だが、あくまで物の加工しかできない。簡単に言えば、物の形を変えることができる魔法なのだ。
石ころにも金や銀の元素が入っているかもしれないが、おそらくごく僅か。それを補うには、石を構成する元素を全て金に変える必要がある。つまりは。
「《錬成》」
俺がそう唱えた瞬間、石が金の塊に代わる。
「「え?」」
シスターとエルマが不思議そうに目を丸くする。なかなか愉快だ。ならば、もう一つ見せてやろう。
さらにここにさっき見た金貨の形を思い浮かべ、魔法をかける。
「《加工》」
金の塊が、十数枚の金貨に変わった。
「「ええええええ⁉」」
《錬成》と《加工》の欠点は、糧にしたものと同じ分量しか作れないこと。例えば、石ころより多くの金貨を作るには、また別の魔法が必要だ。そして、そういった魔力を具現化する魔法は魔力消費が大きい。できれば使いたくない。
「これだけあれば足りるか?」
「そうね。多分足りると思うわ」
シスターは心ここにあらずといった風で答える。
「世話になった。このことは他言無用だ」
俺は口止め料として、シスターとエルマに金貨を一枚ずつ握らせる。
「市民権はどこで買える?」
「役所で買えるわ」
「そうか。感謝する」
俺は《千里眼》を発動させ、役所を見つける。どうやら文字は前世の頃のままのようだな。
このまま一人で行ってもいいが、不測の事態が起きた時のためにも、一人案内役がいたほうがいいか。
「エルマ、着いてきてくれないか?」
「ええ、良いわよ」
アルマが二つ返事で着いてきてくれるというので、甘えることにする。無理だというのならシスターに頼むつもりだったが。
「では、行くぞ」
エルマを連れて役所へ向かう。《転移》すれば一発で着くが、せっかくだ。多少靴を汚してでも、現代の人族の町を見物することにしよう。まあ、靴は履いておらず裸足だが。
せっかくだから何か買おうかとも思ったが、それで金が足りなくなって市民権が買えなくなっても困る。
市民権を無事買えるまでは節約すべきだろう。
それにしても、スラム街といえばナイフを持ったゴロツキや空の注射器が路上に平然と落ちているイメージだったが、意外と治安がいい。というか、みんな下を向いて蹲っていて、誰も俺たちにちょっかいを出してこない。
「なんだかおとなしいな」
「まあ、掃き溜めとはいっても一応王都だからね。もっと暴力的な連中は、追放されて王都から追い出されちゃうよ」
なるほど、スラムよりもさらに下があるということか。
「おい」
スラムを出たとたん、声をかけられた。そちらを振り向くと、スラムで見たぼろ布とは違う、ちゃんと縫製された服を着た者が拳を握って下卑た笑みでこちらを見ていた。
「それ金貨だろ? 俺によこせ」
俺はエルマに話しかける。
「話が違うな。暴力的な連中は王都から追い出されるのではなかったか?」
すると、エルマは俺の耳に口を寄せてきた。
「あいつは平民だよ。市民権を持ってるの。つまり、市民権を持ってない私たちに何をしても罰せられないの」
なるほど、やはりスラムに平和はないか。だが、こんなクズに魔法を使うのはもったいない。
俺は殺気を放ち、相手を威圧する。
「ひ、ひいっ!」
少し威圧すると平民は逃げていった。
隣で怯えているエルマを正気に戻し、役所を目指す。
「役所というのはどこにあるんだ?」
「王都の隅に四か所あってね。王都滞在の許可の申請とかをしてるんだって」
なるほど、わざわざ大きな町の隅に四か所作るのは非効率的に見えるが、許可のないよそ者を王都の奥深くに入れないためだろう。
しばらく歩くと、スラムに一番近いという役所が見えてきた。
他の役所を見たことがないので何とも言えんが、はっきり言ってボロい。漆喰は剥がれて煉瓦が所々見えているし、屋根にも補修の跡が見える。スラムにあった教会といい勝負だ。正直公式な国の施設とは思えない。これがスラムに一番近くて人気がないからでないのなら、もうこの国は駄目だと思う。
「頼もう」
「お邪魔します」
中も酷い有様だ。床には空になった酒瓶や食べ物のカスが掃除もされずに残っているし、中にはおそらく酒で顔を赤くしたのであろう中年男性が数人いるだけ。
「職員か?」
「ああ、そうだが」
「この国では仕事中の飲酒が許されているのか?」
興味本位で聞いただけなのだが、職員は赤い顔を更に真っ赤にして俺に空の酒瓶を投げつける。ちゃんと身体に当たって怪我をしないように足元の床に投げてくれたのはやさしさと取るべきか。
「うるせえ! どうせこんなところお前らみたいなスラムの奴しか来ねえんだ。ここはな、左遷先なんだよ。仕事がねえんだから飲んでてもいいだろうが!」
なるほど、彼らの言い分としては、上が自分たちに仕事を回さないから暇をして飲んでいると。
「そうか。なら仕事だ」
「ああん?」
俺は机によじ登り、手元にあった金貨を全て出す。
「これで市民権を買いたい」
俺の言葉を聞いて職員たちはゲラゲラと笑い出す。
「坊主、市民権なんか獲得してもなんもいいことねえぞ。そんな金があるんだったら、何か旨いものでも食いな」
「俺たちに奢ってくれてもいいんだぜ?」
ほう。てっきり横領するかと思ったが、そこまで腐った連中でもなさそうだな。
「旨いものはまた稼いで食べる。それより市民権の方、よろしく頼むぞ」
「後で後悔するなよ~」
職員は酔っぱらった手で羊皮紙に文字を書いていく。
「ほらよ。市民権だ」
最後に押印をして、丸めた羊皮紙を俺に渡してくる。
「エルマ。何と書いてある?」
エルマは本当に文字が読めているのかテストだ。教会で習ったのなら、俺が今読んでいるように読めるはずだ。
「ええと……。市民権発行証明書って書いてあるよ」
よし、合格。これで市民権は獲得したから、あとは他者からの推薦状か。
「勇者試験の推薦状は誰でもいいのか?」
「なんだ坊主。勇者試験を受けるために市民権が必要だったのか?」
俺は黙って頷く。
「夢なんて見るだけ無駄だぜ。潔く諦めた方がまだ格好がつく」
そうか、お前たちはそうやって夢を捨てたのか。
もし役人限定ならばこいつらに頼もうかとも思ったが、興が削がれた。
「世話になった」
「おう」
俺は役所を後にする。
「いいの? 推薦もらわなくて」
俺は追ってきたエルマに歩きながら語り掛ける。
「奴は俺の夢を笑った。そんな相手に頼む気にはなれん」
俺はとりあえず、スラムにある教会に戻ることにした。
「……というわけで、推薦者になってほしい。頼む」
教会の中で、シスターに頭を下げる。魔王として相応しくないかもしれないが、シスターは部下でも配下でもない。俺に従う義理なんてないだろう。
「ええ、いいわよ」
シスターはにこやかな顔で頷く。
「確か、勇者試験は王城で行われるんだったな」
王城というのは、この王都に来た時に見た白亜の城のことだろう。
「ではシスター。ご足労願えるか?」
「ええ、もちろん」
「エルマ、お前はどうする?」
「面白そうだし、一緒に行くよ」
「そうか」
やはり仲間というものがいると安心する。魔王だった頃は数多の部下に囲まれていたからな。
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