第6話 「私も見たよ、金縛りの後に」

 娘が社宅に移って来たのは6月中旬の土曜日であった。


 娘はかなり衰弱しており、大学の新生活に順応出来ず、極度の不眠症と食欲不振に陥っていた。

 目は窪み、頬はこけ、体重は10kg以上減少していた。


 なお、娘と一緒に1羽のセキセイインコの雛もやって来た。

 娘の事を心配した大学の級友が少しでも娘の気がまぎれるように

とプレゼントしてくれたものであった。


 この社宅に来てからの2ヶ月半、いろいろと予期せぬ出来事が続く不気味な日々を送っていた中、娘、そして、インコのペットの存在は、部屋の雰囲気を一変に明るくしてくれた。


 妻は娘の体調を回復させようと料理に腕を振るった。


 娘も久方ぶりの家庭料理に箸が進み、引っ越して来た当初と違い、明らかに表情も和らいで行った。


 俺はセキセイインコの飼育係となった。


 幼少期、セキセイインコを飼っていた俺にとっても、可愛い雛の仕草、鳴き声には心が和ませられた。


 ひと時の間…


 社宅の中には、家族の笑い声とセキセイインコの囀りが絶えず響き渡り、平和な日々が続いて行った。


 しかし…


 そんな和気藹々とした家族団欒の日々に対し、次第に奴等が嫉妬をし始めやがった。


 奴等の標的は妻であった。


 7月に入るや否や、急に妻の体調が悪化し始めた。


 当初は、隣部屋で生活している娘が昼夜逆転の生活を送っていることから、どうしても、夜中、スマホで友達と話したり、趣味のギターを奏でたりすることから、その物音等により妻が熟睡出来ずにいた事が体調不良の原因だと思っていた。


 我々夫婦は、そのことについて、娘に注意することなど到底出来なかった。


 どうにかして娘の体調を回復させ、大学に復帰させたいばっかりであり、二度と娘に一人暮らしなどさせようとは思っていなかったからだ。


 少々の事は我慢する覚悟でいたのだ。


 妻は、毎朝、眠たげな眼で起きて来た。


「大丈夫か?」


「うん、大丈夫…、私は昼寝をすればいいから…、貴方は眠れてる?」


「俺は変わりないよ。浩子が居ようと居まいと、関係なく寝つきは悪いよ。」


「そっか…」


 妻は何となく安堵の溜息をついた。


 新たな生活習慣の変化


 若者との共同生活


 この事が要因として、我々中年夫婦に、些か体調の変化が生じたものと思い込んでいた。


 時期に慣れる。


 そう思っていた。


 しかし、事実はそうではなかったのだ…


 我々夫婦は、何とか娘の昼夜逆転の生活を元に戻そうと、ある土曜日、娘をドライブに連れ出した。


 娘が「海が見たい」と言ったことから、福井の小浜市まで遠出をした。


 その帰り道、国道367号線を戻り、京都との境から国道161号線に乗り、社宅まで後5分程度の所まで戻って来た時のことであった。


 丁度、大津京駅のガード下を車が通過した時、


 急に助手席の妻が喉元を指で押さえ始め、額には大粒の脂汗をかいていた。


 後部座席に居た娘が妻の異変に気づき、


「お母さん、どうしたの?気分でも悪いの?」と声を掛けた。


 妻は笑いながら小声で応えた。


「女性特有の更年期障害よ!最近、喉が痛くなるの。甲状腺が腫れてるのかなぁ。今度、婦人科に行って診てもらうから、心配しないでね。」と


 そして、頭を傾げながら、こうも言った。


「変ねぇ~、最近、買い物帰りも、社宅に近づくと息苦しくなるのよねぇ~」と


 それを聞いた俺は、つい、反応してしまった。


「門から社宅に入ると脚が重たくならないかい?」と


「あるあるある!貴方もそうだったのねぇ~!


 安心したわ!


 私だけかと思っていたから…」と妻は笑いながらそう言い、そして、こう呟いた。


「私たち、この土地と相性が悪いのかしらね!」と


 俺は何も言わなかった。


 踏切の事も、電車の窓の事も


 これ以上、家族を不安にさせる事を告げるのは余計な事であると思った。


 しかし、そんな場当たり的な対応も役には立たなかった。


 次の日の日曜日の夕飯時であった。


 妻は料理をしていた。


 俺はテーブルに座り、煙草を蒸せていた。


 娘が風呂に入る音が聞こえた。


 すると、妻が料理の手を止め、俺の横に座り、急に口を開いた。


「違うのよ!」


「何が?」


「喉の締め付け!」


「?」


「更年期の甲状腺ではないのよ!」


「どうしたんだ?一体?」


「昨日、言ったでしょ!喉が締め付けられるって!」


 俺はこれから妻の言う事柄を覚悟した。


「あれ、嘘なの!浩子を怖がらせないため、嘘をついたのよ!」


「そっか…」


「そうなの…、私…、見たの…」


「何を…」


「黒い髪の白い女の人を…」


「いつ?」


「あの部屋に移った日から、毎日、見てるの…」


 俺は「ゴクリと」息を呑んだ。


 俺の脳裏には、踏切の掴みと電車窓の屍達の顔が駆け巡った。


 妻はおずおずと話し始めた。


【夜、なかなか寝付けないでいると、突然、静寂が訪れる。


 今まで聞こえていた隣部屋の娘の声も雑音も消え去ってしまう。


 次にいきなり金縛り状態になり、声も出なく、身動きが出来なくなる。


 そして、何かが近づいて来る気配がする。


 妻がその何かに対して、構え捥がこうとした瞬間!


 目の前に『黒い長い髪の白い表情の女』が睨んでいる!


 その女は妻の身体に跨っている!


 そして、妻を睨みながら、白目だけの眼でこう言うのだ!


「ここしかないの…」と


 そう囁きながら、女は妻の喉元に腕を伸ばして来る。


 そして、首を握ると、冷たい冷たい指でじわじわと締めようとする。


 妻が恐怖の余り、目を閉じると、


 その女は耳元でこう囁く。


「私には…、ここしかないの…、助けて…」と


 妻が夢中で「うん、うん」と頷き続けようとすると、


 女は首から指を離し、そっと立ち上がり、此方を睨みながら、押入れの中に霧のように消えて行く。】


「バタンッ!」といきなり、リビングのドアが開いた。


 その音に驚き、二人ともドアに目をやると、


 娘が立っていた。


 二人は慌てて口をつぐんだ。


 娘は素知らぬ顔をしながら、テーブルの席に座り、


 濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながらこう言った。


「私も見たよ!この前、金縛りの後にね!」と

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