美人女医による催眠療法が悪魔的すぎる

ドングリノセクラベ

#1 治療1日目

「今日から、治療していきますね」


 柔らかい声が聞こえてくる。


「大丈夫ですよ、怖がらないでくださいね」


 自然と耳に入ってくる不思議な声。


「この治療の大前提として患者である、あなたがリラックスしていることが何よりも重要です」


 リラックスしようと意識するほど、体がこわばってしまう。


「フフッ——体が硬くなってますよ。リラックス、リラックス…」


 ひんやりした指が肩に置かれる。


「深呼吸をしましょうか——息をゆっくり吸って、ゆっくりと吐きましょう」


 肩に置かれた指が下に降りてきて、胸のあたりで止まる。


「吸って——吐いて——吸って——吐いて——」


 声に合わせて深呼吸をする。


「いいですよ——イメージしてください——あなたは原っぱの上で寝転んでいます。そして新鮮な空気があなたの肺を満たしています」


 すると不思議なことに自分が本当に原っぱの上で寝転んでいるような気がする。


「いい調子ですよ——リラックスできていますね」


 確かに体が軽いと感じた。


「体が、ほぐれてきたところで——治療していきましょう」


 と聞いて、少し緊張してしまう。


「今日は初めてですから、軽いもので済ませますね」


 胸に置かれていた指が、トントントン、とリズムを刻み始める。


「いいですか、ここからは想像力を必要とします。わたしがいう情景を思い浮かべてください」


 想像力に自信はないが、やるしかない。


「あなたは、毛がフワフワの羊に囲まれています——綿菓子のようにフワフワの羊があなたの周囲を囲んでいます」


 どこかの牧場を思い浮かべた。毛がフワフワの羊に囲まれる、想像しただけで幸せな気分になる。


「あなたの周りにいる羊が、くっついてきます——羊に包まれたあなたの体がポカポカと温かくなります」


 じんわりと体の芯が熱を発し、体全体が温かくなったような気がしてくる。


「ほぉら、体が温まってきましたよ——そのまま眠りに就きましょう」


 耳元にフッと息がかかる。


「あなたの体は羊の毛のようにフワフワになっています—フワフワですよ、フワフワ——思い込んでくださいね」


 耳元で甘い声がささやかれる。


「そうです——フワフワのフッワフワです——ほぉら、わたしの指もこんなに簡単に沈み込んでいきますよ」


 ひんやりとした指が自分の体に沈み込んでいく。まるで本当に体が羊の毛に変わってしまったと錯覚するほど、どこまでも指が沈んでいく気がした。


「良い傾向です——そのまま頭も空っぽにしましょう」


 ひんやりとした指に頭を包まれる。


「想像してください——あなたの頭の中に大きなつぼがあります。その壺の中にはたくさんのお菓子が入っています」


 頭を空っぽにするのに、想像していいのか、と疑問に思ったが素直にお菓子が入った壺を思い浮かべる。


「その壺から1つずつお菓子を取り出していきましょう——1つ——2つ——3つ…」


 壺からお菓子が取り出さていくにつれて、徐々に眠気が押し寄せてきた。


「10——11——どうです?眠くなってきたでしょう?」


 ゆっくりと頷く。


「人間の脳って単純なものなんですよ、思い込むだけで虚構が現実のものとなる。これをプラシーボ効果と——おっと…いけませんね。続きをしましょうか——12——13——14…」


 覚醒し始めた脳が再び眠りに就こうとする。


「18——19——20…どうですか?だんだんと想像しているものが、あやふやになってきたでしょう?」


 確かに、今まで明瞭に見えていた壺がぼんやりと見える。


「29——30——どうですか?壺にお菓子はまだ入っていますか?」


 想像の産物であるはずの壺がどんどんぼやけていき、もはや壺であるのかさえ分からなくなっていた。


「分からないということは整ったということです。あなたは淵につかまっています。ちょっとしたことであなたは眠りという奈落ならくに真っ逆さま…」


 手を離したいという自分の意思に反して、両手は懸命に淵にしがみついていた。


「フフッ——必死ですねぇ、早く楽になりましょう?——あなたは良く頑張りました。わたしが見ていますから…」


 見えない誰かに、一本一本、つかまっている指をはがされていく。不思議と恐怖はなかった。むしろ安堵していた。


「さぁ——眠り奈落に行ってらっしゃい」


 *


 最後の指がはがされて、奈落に落ちていく。どこまでもどこまでも落ちていった。


 柔らかいものに阻まれて、急に落下は止まった。


「ようこそ——楽園へ―—」


 聞き慣れた声が聞えてきて、上を向くと綺麗な女性の顔が見えた。


「顔を見せたのは、初めてかしら?」


 あなたは誰ですか?、と訊きたかったが何故か声は出なかった。


「せっかく会えたというのに、お別れの時間のようです…」


 女性はにこやかに微笑んだ。


 *


「——さ…××さん!」


 誰かが自分の肩を揺らしている。


 重たいまぶたをゆっくりと開けると、銀髪の女医が目の前にいた。


「フフッ——随分とぐっすりお休みになられていたみたいですね——どうですか催眠療法は続けられそうですか?」


 不眠症で悩んでいた僕にとって、睡眠とはいわば、麻薬のようなもの。一度味わってしまった快楽を忘れることはできない。引き続きよろしくお願いいたします、と女医に礼を言った。


「良いお返事です——2日目の治療はもう少し踏み込んだものにしましょうか」


 女医がにこやかに微笑むと、銀髪がふわりと舞い、甘い匂いが部屋中に広がった。










































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