第9話 異世界転生してたのかよ!?

「――では、こちらにサインを」


 テーブルを挟んでベルフェゴールと向かい合う俺は、奴隷購入の契約書と借用書にサインをする。


 これで俺はニートにも関わらず、金利100%による2億の借金を背をうことになる。

 ちなみに毎月の返済額は白金貨5枚――500万の超高額返済だ。

 正直吐きそうな金額だが、分割は40回払いがMAXだったので仕方ない。

 毎月欠かさず返済したとしても、完済までには3年4ヶ月も掛かってしまう。


 すべて返し終わるときには35歳近い年齢か……。


「はぁ……」


 俺は遠い目で窓の外を見つめた。


 しかし、しかしだ!


「彼が今日から貴方の主人です。精いっぱい尽くしなさい」

「はぁ……最悪。なんで選りに選ってコイツなわけ。しかもなんでコイツは見た目が昔のままなのよ。しかも少しおっさんになってるし、アディタス着てるし。意味分かんないわよ!!」


 リフルちゃんは年上はあまり好みではないのだろうか。困った顔でこちらを見ている。


「あんたそんなに借金して後悔するわよ」

「後悔ならもう死ぬほどしてるから問題ないよ」

「絶対にやらないから」

「やらないって……なにを?」

「セックスよ! あんたとなんて絶対にセックスしないって言ってんのっ!」

「………」


 彼女は本気で言ってるのだろうか。

 自分から性奴隷になりたいと懇願しておきながらセックスをしない?

 でも、聞いたことがあるぞ。


 自分からAVデビューしたいと応募してきたくせに、土壇場になってやっぱり辞めたいと泣き出した話。

 彼女もその類なのかもしれない。


「おい、やっぱり話が違うくないか? 性奴隷はみんなえっち好きなんじゃないのか?」


 彼女が性奴隷を望まないのなら、俺が彼女を買うことはない。

 あくまで俺の性奴隷になりたいと望む女の子を、俺は2億の借金を背をって購入するのだ。


 そうでないなら返品、クーリングオフだ。


「お分かりになりませんか?」

「なにが?」


 けれど、悪魔みたいな名前をしたこのおっさんは、俺の耳元でたしかに囁いた。


「そういうプレイがお好みなのでございます」

「えっ!? そういう……プレイ?」

「さようでございます。もう一度よく彼女をご覧ください」


 ベルフェゴールのおっさんに言われて彼女を見れば、頬を紅潮させながらモジモジしている。


「とても興奮しているのがお分かり頂けますかな?」

「…………」


 単に胸と股間しか隠すところのない布切れを恥ずかしがっている、そのように見えてしまうのは俺がDTだからなのだろうか。


「まぁ、それなら」

「きっとご満足いただけます。おっぱいは最低ランクでございますが、童貞ならば皆大好物の処女にございますから」

「うん。……あっ! 俺は童貞じゃないからな!」

「わたくし決してそのようには……。今のは言葉の綾にございます」

「なら、まあ……」


 俺は彼女によろしくなと手を差し伸べたのだけど、「ふんっ」鼻を鳴らしてそっぽを向かれてしまった。


「………」


 俺は本当に大丈夫なんだろうなと、憂わしげな表情でベルフェゴールのおっさんを見た。


「プレイ、プレイにございます」

「うん、プレイ。プレイだよな」


 リフルちゃんは特殊性癖の持ち主なのだ。

 そう、彼女は痴漢プレイを愉しむ変態とまさに同じ。であるならば、やはりここは大人な包容力をもつ俺が、彼女の変態じみた性癖を真正面から受け入れてあげなくてどうする。


 ばっちこい!


 どんな性癖でも受け入れてこその31歳童貞! スカトロ以外なら付き合ってやろうじゃないか!!


「あんたおっさんになってバカになったんじゃないの!」


 まるで若かりし頃の俺を知っているような言い草だな――いや待てよ、ひょっとするとこれもそういう設定のプレイなのかもしれない。


「ふふ、楽しんでるようでおじさんも何よりだ」

「はぁ……。もういいわよ。どうせこっちでも一度死んだみたいなもんだし。その代わり後で文句言わないでよね。あと、あんたも残りのお金ちゃんと渡してよ」


 どういうことだと首をひねれば、すかさずベルフェゴールが割って入ってくる、


「奴隷は正式に買われなければ家族に全額が支払われないのです」

「全額……?」


 ベルフェゴールが属する奴隷商会では、奴隷価格の15%が奴隷本人が指定した相手に支払われる仕組みだという。


 リフルの場合だと白金貨15枚、1500万相当が母親に支払われるのだが、それはあくまで本人(奴隷)が売れた場合に支払われる額だという。

 正式に売れるまではそのうちの10%しか支払われないのだ。


 つまり白金貨1枚と大金貨1枚、150万円だけしか支払われない。

 しかも、長い間売れなければ当然値崩れを起こす。そうなれば指定した相手に支払われる金額も必然的に下がってしまう。

 最悪のケースとしては、当初の10%の一部を返金しなければならないという場合もある。


 リフルの母の治療費は高額なので、彼女は一刻も早く誰かに自分を買ってもらいたかった。彼女達が必死に自分をアピールしていたのはそういうことだったのかと、俺は深く納得していた。


「では奴隷術式を執り行わせて頂きます。契約のくちづけを」

「――――!?」


 くくくくちづけだと!?

 

「嫌よっ! なんでアタシがコイツとちゅっ、ちゅうしなきゃいけないのよ!」

「リフルちゃん……」


 わかってる。

 わかってるよリフルちゃん。

 本当は君が俺と濃厚なくちづけを交わしたがっていることも。

 強姦プレイは趣味じゃないが、今しがたスカトロ以外なら付き合ってやると心に誓ったばかり!


「ゴクリッ」


 俺は彼女の薄いくちびるをキリッと凝視する。


「ちょっ、ちょっと……アンタ目がヤバいわよ。うそ……いやっ、バカッ! 来るんじゃないわ――んぁっ!?」

「!?」


 俺は華奢な彼女の身体を力いっぱい抱きしめ、ブチュっと勢いよく唇を重ね合わせる。


「――――!?」


 彼女のくちびるは温かくて柔らかい。

 俺はこの日のために「彼女が喜ぶキスのテクニック! 上手な舌の動かし方」なる本を電子書籍で購入して熟読していたのだ。


 思い出せ!

 そして再現しろ!!

 決してキスが下手な童貞だと悟られぬように、全身全霊で彼女にキスをするのだ!!!


「――っ!?」


 まず第一にイメージするのは狡猾な蛇です。パートナーの口内にするりと舌を滑り込ませさたら、手始めに卵を溶くように優しくかき混ぜましょう。


「んんっ!?」


 おお!

 彼女の脚がガクガク震えている。 


 キス初心者が陥りがちなことは、キスに集中し過ぎて他を蔑ろにするということです。

 左手はしっかり後頭部をロックしながら、右手でお尻をガッテムと掴みましょう。


 ガッテム!!


「――――ぅんっ!?」


 ここまで来れば、貴方のパートナーは腰が砕けているのではありませんか? しっかりパートナーを支えてあげてください。そのまま雛が親鳥に餌をねだるような体勢となったパートナーの舌を、ズズズッといやらしい音を立てながらダイソンの掃除機に負けない吸引力で吸い上げるのです。


「ンンンンンンンンンんッ!?」


 いかがですか?

 貴方のパートナーは既に、貴方のテクニックに骨抜きになっているのではありませんか?


 おお!

 すごい!!

 本当に腰が砕けて骨抜きになっている。


「出来たか!」

「……え」


 勢いよくベルフェゴールのおっさんの方に顔を向けると、完全に引いていた。


「か、軽くでよろしいのでございます。もう一度チュッと」

「ああ、なんだ軽くでいいのか」


 そういうことは先に言えよなと思いながら、俺は虚ろな目でぺたんと座る彼女にちゅっ! とくちづけを落とした。


「術式展開発動――――」


 刹那、俺とリフルの足下にはまばゆい光を放つ幾何学模様――魔法陣が浮かび上がる。やがて魔法陣から飛び出してきた不可思議な文字が俺達の周囲を飛び交うと、それが俺とリフルの腕にまとわりつき、流れるようにスッと胸に吸い込まれていく。


「契約完了にございます」

「え、もう終わりなのか? なんか呆気ないんだな」

「これでリフルは正式に蒼炎様の奴隷にございます。お二人は魂で結ばれております」

「ソウルメイトというやつだな」

「じょっ、冗談じゃないわよ! てかあんた何してくれてんのよ! アタシ今の前世でも今世でもファーストキスだったのよ!!」

「うわっ、ちょっと!?」


 リフルちゃんは立ち上がるといきなり胸ぐらを掴み取ってきた。


 ん……前世?

 前世とか今世ってなんだ?


「ちょっとリフルちゃん!?」

「あんたまだ分かんないわけぇっ!」

「なにが?」

「アタシはあんたの幼馴染みの逢坂ゆかなよ!」

「…………は?」


 俺は一瞬彼女が何を言っているのか分からなかった。




 逢坂ゆかな――彼女とは家が近所の幼馴染みだった。

 俺達は幼稚園から小中高とずっと同じ学校に通っていた。

 高二の夏休み前に彼女が死ぬまで……。


 逢坂ゆかなは俺の目の前で、俺に手を伸ばしながらクラスメイトに殺された。


 俺の初恋の人は、俺の親友に殺されたのだ。


「まさかあんたまでこっちに転生してるなんて驚いたわよ」


 転生……?

 転生ってまさか異世界転生のことか?

 俺の幼馴染みで初恋の人が異世界転生していた?


「えええええええええええええええええええええええええええッ!?!?」


 あまりの衝撃に背中から壁に激突してしまった。


「おっ、お前本当にゆかなかっ!?」

「1990年7月7日蟹座、血液型はA。あんたとは幼稚園から小中高とずっと一緒。高二の7月にあのゴミクズオタクの罰乃樹カオルに殺されるまではね」


 ……うそだろ。

 だけど、これは間違いなくゆかなだ。

 見た目はすっかり変わってしまっているが、何か考え事をする時に左手で左の耳朶を触る仕草も、間違いなく俺の知ってる逢坂ゆかなだ。


 もしも初恋の女の子が異世界で生まれ変わっていたとして、その彼女が性奴隷になっていたとしたら、アナタは買いますか?


 あのアンケート……あれはマジだったのか?


「どうか致しましたかな?」

「へっ!? ……あっ、いや………なんでもない」


 これは夢じゃないのか。

 本当にゆかななのか。

 いや、疑う余地がないことはリフルちゃん――ゆかなとの会話で証明されている。


 しかし、見た目が違いすぎて全然実感が湧かない。


「つーか何ジロジロ見てんのよ、変態っ!」

「え、あっ、いや」


 ゆかなってこんなにツンツンしたキャラだったかな? 他の男子にはそういう感じだったのは覚えているけど、俺には昔から優しかったはずだけど。


「いい加減服を掛けるとかできないわけ?」

「あっ、こ、これ!」


 俺は慌ててアディタスのジャージを脱ぎ、頼りない布切れをまとうゆかなの肩にそっと掛けようとしたのだが、「あっ」途中でぶん取られてしまった。


「そういう鈍感なところは死んでも直らないのね」

「………」


 彼女はあのとき俺も一緒に殺されたと思っているのだろうか?

 まあ無理もないか……。

 俺以外みんなカオル君に殺されちゃったんだもんな。


「ウソつき」

「………」


 咎めるような眼で睨みつけられ、俺はたまらず俯いてしまった。

 彼女のいう通り俺はウソつきだ。

 彼女を守ると約束したのに、俺はあの日彼女を守らなかったのだから……。




 ◆◆◆◆◆




「支払い開始は来月からでございます。来月の頭には白金貨5枚をお持ちください」

「……はい ――あっ、ちょっと待ってよ!」


 ゆかななのかリフルなのかよく分からない彼女がスタスタと歩きだす。

 俺は彼女を追いかけた。


「とりあえず俺に付いてきてくれないか」

「嫌よ!」

「嫌って……俺は一応お前のご主人様なんだけど」

「はぁ? あんた本気でアタシを性奴隷にする気じゃないでしょうね!」

「いや、でも白金貨200枚もしたし」

「だから後悔するって警告したはずよ! それにハーフエルフなんかと居たらあんたまで嫌な思いすることになるの! そんなことも分かんないわけ!」


 彼女は人目を避けるように狭い路地裏へと入っていく。


「ついて来ないで!」

「でも逃げたらゆかなの……リフルの親が危ないんじゃないのか」

「………っ」


 ようやく止まってくれた。

 この世界の母親のことは本当に大切にしているようだ。


「あんたが報告しなきゃバレないわよ」


 こちらに振り返ることなく吐き捨てると、彼女はまたスタスタと歩きはじめた。


「逃げたら報告するからっ!」


 俺は大声で叫んだ。


「……そんなにアタシとヤりたいわけ?」

「そりゃヤりたいけど――って違う! 話したい事があるんだ」

「アタシにはあんたと話すことなんて何もない。もう前世とは違うの。それくらい分かるでしょ? ……さようなら」


 遠ざかる彼女の背中に、俺はもう一度叫んだ。


「俺死んでねぇんだよ!」

「…………」


 ピタッと動きを止めた彼女の背中に、俺は止まることなく言葉をぶつける。


「俺は2022年の日本から来たんだ」

「………」


 ようやく彼女がこちらに振り返った。

 海のような青い瞳と目が合う。

 俺は微かに震える体を抑えるように拳を握りしめ、震える声で吐き出した。


「2007年7月20日、あの日俺だけが……殺されなかったんだ」

「…………」

「俺は、31歳……おっさんになっちまったよ」

「うそよ……そんなの………ありえないわよっ!」

「なら、それは何なんだよ!」


 俺は取り乱す彼女を指差した。


「………」

「この世界にアディタスがあると思うか?」

「でも……どうやって」

「信じられないかもしれないけどさ、俺の部屋の押し入れとこっちの世界が繋がっちまったみたいなんだ」


 やっぱりこんな突拍子もない話、信じてくれってのが無理があるよな。


「……やっぱり信じられないよな」

「信じる」

「え……」

「てか、信じるしかないじゃん。これアディタスのジャージだし、あんた……めっちゃおっさんになってるし」


 彼女は少し困ったように微笑んだ。

 その顔はなせが、俺のよく知っている彼女の顔に見えて、俺は少しだけ泣けた。

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