⑤-3

 コツコツコツ……

 ローファーが舗装された道を叩く音が響く。もちろん自分の足音が一番よく聞こえるが、半径十メートル以内に通行人が三人、陰陽術士が二人……それにもう一つ分、微かだが物の怪の気配が混ざっている。ここ数日感じていた視線の正体は恐らくそれだろう。

 潔乃は立ち止まって後方へ振り返った。少し後ろを歩いていた火車も同じ行動を取る。電信柱の陰に素早く身を隠した者がいる。小さな弱々しい靄だ。でも油断してはいけない。高十からの報告によると、敵は〝弱くて厄介〟なのだから。

 スタスタと早歩きで電信柱に近付き、思い切って陰を覗き込んだ。

「……あれっ? あなたは……」

 見るとそこには、五百ミリペットボトル一つ分程の大きさしかない、小鬼が隠れていた。

「……!」

 小鬼は人には理解不能な言葉を発しながら、怯えた様子でさらに電信柱の裏に引っ込んでしまった。しかし潔乃が屈んでしばらく様子を窺っていると、柱から半身を覗かせこちらを見上げてきたので、潔乃は目を合わせてにこりと微笑んだ。

「また一人で遊んでるの?」

 彼は数日前に潔乃が近くの公園で見掛けた小鬼だった。赤茶けた肌に痩せた幼児のような体型。体毛は無く頭には皮膚と一体化したような二本の角がある。黒目がちな目はくりくりとしていて愛らしいが、反面歯はギザギザとしていて凶暴そうだ。彼は他の小鬼とは離れて遊んでいた。時折石を投げられている様子を見て不憫に思った潔乃が、先が二股に別れた細枝を彼にあげて少しの間一緒にお絵描きをした。その時の枝を、彼は今でも手に握っていた。

「一緒に遊びたいの? でもごめんね。私あんまり勝手しちゃいけないんだ」

 そう言って潔乃がそっと小鬼の頭を撫でると、彼はぎゅむと目を瞑り二、三度飛び跳ねた。手に持った枝をぺしぺしと地面に当てる。笑顔を見せている訳ではないのだが、どこか嬉しそうなその様子に陰鬱とした気分が少しだけ晴れたような気がした。潔乃は続けて小鬼に話し掛ける。

「ねえ小鬼さん、私探し物をしてるの。小鬼さんはおばけを見なかった?」

 くるくるとその場で回っていた小鬼が不意に動きを止め、真ん丸な目で潔乃を見つめてきた。首を傾げながらじっとしている。

(伝わるわけないよね……)

 小鬼を困らせてしまったと苦笑いが漏れる。しかし、次の瞬間には小鬼が踵を返し、突然走り出してしまった。

 単純に飽きて逃げてしまっただけの可能性はもちろんある。だが、潔乃には小鬼が何か知っているような気がしてならなかった。潔乃は急いで彼の後ろ姿を追い掛けた。


 十二月の公園は閑散としていた。寂し気な夕陽が公園を覆い遊び場からは消えた子供たちの笑い声が幻のように頭に響く。だがこの冷たい季節に人々の笑顔や活気は遠く、実際に聞こえてくるのは遠くで木々の間を吹き抜ける風の音だけだ。

 小鬼は軽やかな足取りで公園の中央を横切って行った。身体が小さいので走るペースももちろん速くはないのだが、植え込みの中をずんずん進んでいくため潔乃は前屈みになって分け入っていく羽目になった。人気ひとけが無くて良かったと潔乃は胸中で溜息を吐いた。

 植え込みを抜けると、目の前に木製のベンチが現れた。人が一人座っている。後頭部しか見えないので詳しい様相は分からないが、黒い髪の小柄な女の子であると推測できた。

 街灯が頼りない灯りで周囲を照らしている。小鬼は少女の足元まで走って行き、ぴょんぴょんと跳ねながら少女を指差した。しかし嬉しそうに跳ね上げたその足が、土を踏むことは二度となかった。

「あらっ? かくれんぼ終わっちゃった?」

 小鬼が空気中に溶けるように消えていった瞬間、火車が激昂した。逆立った毛から炎が湧き出で少女に襲い掛かる。しかし彼女の姿は小鬼と同じようにして消えてしまい、次に姿を現したのは道の真ん中だった。冷気を纏い、羽も無いのに地面から数センチ浮遊している。空気中の湿気が結晶化し、光に反射してキラキラと輝いていた。

「あなたっ……何者っ……⁉」

「……」

 少女は口元を緩やかに歪ませ微笑んでいた。ゾッとするほど冷徹で、そして美しかった。白い皮膚の下に薄い紫の血管が透けて見える凄艶な佇まい。それでいてまだあどけなく中学生くらいにも見えるその少女は、神学生のようなどこか異国風の黒いボレロとスカート姿で潔乃と対峙していた。潔乃は懐にしまってある輝石を握り締めた。

 次の瞬間、少女の隣に巨大な塊が出現した。武骨で愛嬌の欠片もない灰色の人形だった。粘度質ののっぺりとした顔らしき部位に穴が二つ空いており、それが一応の目の役割を果たしているようだった。人形は空間を割くように異次元から身体を乗り出し少女を抱える。少女と人形はそのまま、割れた空間の中へと去って行ってしまった。

 少女がいた場所に潔乃と火車が駆けつける。何もない。元通りの公園の一部だ。潔乃は膝を付いて放心してしまった。あれはなんだ? 初めて見る色だった。黒でも白でもない、灰色の靄。それに、少女の魂は白に近い灰色だったが、彼女を連れ去った大型の人形を見ても、何の色形も捉えられなかった。まるでそこに何も存在していないかのようだった。

(虚空を連れている……怨霊……)

 潔乃は高十からの報告を思い返していた。奇妙な特徴を持った怨霊――それが〝虚空を連れている怨霊〟であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る