第57話 恩讐交愛

 



「グォォオオオオオオッ!」




 大木の咆哮が響き渡る。


 鼓膜を震わすその声は本来、いかなる人間をも恐れさせるだけの力を持っている。


 しかし今は、ただの負け惜しみの強がりにしか聞こえなかった。


 遊園地全体が大きく揺れている。


 それどころか、至るところから腕が生えて、それらが遊園地の施設や遊具を私たちに投げつけてきた。




「これで決着というのならば、魔力を使い果たしても構わぬな?」


「お好きにどうぞっ、と」




 私とネムシアは、空中でバラバラになって飛来する瓦礫を避けながら、あるいは切り払いながら言葉を交わす。




「曦儡宮様でなくとも、この土地の全てが私の支配下にあることは変わりないわ。圧倒的質量に押しつぶされなさい、倉金ッ!」




 遊園地全体――となると、島川裕也のときよりパワーは上なのか。


 とはいえ、上回っているのは“パワー”だけ。


 いくら巨大な物体を投げつけても、私の身軽さなら避けるのは簡単だ。


 でも素早さが低いネムシアはそうもいかないから、大きい塊はできる限り空中で切り裂くか、ぶっ叩いて方向を変えるようにしていた。


 それでもまだ余裕はある。




「言われるまでもないわ。我に指図できると思うなよ、大木!」


「女王様だもんね」


「依里花もわかってきたようだのう。さあワイバーンたちよ怒れ、猛れ! 奴を八つ裂きにせよ!」




 大木の図体は大きい。


 しかも防御力は明らかに須黒未満。


 ネムシアがここぞとばかりにワイバーンレイジを連発する。


 不定形の塊だった大木の肉体は、いつの間にか上半身だけの巨大な人型に形を変えていた。


 形も彼女の意識に引っ張られているのだろう。


 ちょうどその頭部あたりに、大木の肉体が埋まっていた。


 巨人は腕を振り上げ、ネムシアを叩き潰そうとする。


 だがその腕にワイバーンのブレスが直撃。


 図体が大きすぎるせいで避けきれないのだろう。


 血肉を撒き散らしながら、苦悶の声をあげる。




「グアァァァアッ! 何よ、滅びた国の女王がみっともなく命にしがみついて!」


「アドラシア王国は滅びておらぬ!」


「現実を見なさいよ、とっくに腐って終わってんのよ! 私と同類の負け犬なのよぉおおッ!」




 腕が再生し、再び振り上げられる。


 すると別の場所から放たれたミサイルが着弾し、妨害する。




「結局、あんまりトンファーとして使わなかったな」




 発射後、釈然としない表情で再生する棒を見つめる井上さん。


 すると日屋見さんが隣に現れ、言った。




「そんなものさ、私も拳なのに殴ることは少ないからね。見てくれよ、このスキルなんてもう拳であることを捨てている」




 彼女はそう言って、ギュゲスを空に向けた。




「流星のスターフォール」




 バシュウゥッ! と腕を離れ射出されるギュゲス。


 それは大木の頭上遥か高くまで登っていくと、そこで変形し、砲門を地上に向けた。


 キュイィィ――とエネルギーが収束し、無数の光の帯が弧を描きながら放たれる。


 大木は光に焼かれ、肉体を構成する獣たちが苦悶の声をあげる。


 さらには空に浮かぶギュゲス自身も急降下し、トドメと言わんばかりに大木を殴りつけた。


 そして役目を終えると日屋見さんの元に戻ってきて、腕に再装着される。




「ね?」


「あたしの武器なんてマシな方だね……」




 あまりにぶっ飛んだ動きを見せられ、何も言えなくなる井上さん。


 果たしてそれが慰めになっているのかはわからないけど。




「意外とこういうとき、アタシはやれることが少ない」




 ギィは、高速で飛来する小さい瓦礫を鞭ではたき落としながら言った。


 確かに彼女の覚えた魔法は、ネムシアのように火力特化ではないし、鞭という武器も巨大な物体を破壊するのには向かない。


 と言っても、分身して二人分の働きをしてくれているから、十分すぎるぐらい役に立ってるんだけど。




「めちゃくちゃ助かってるよ。今ぐらいはゆっくりしていいんじゃない?」


「存在感は示しておきたい」


「何で?」


「レアとユメミに負けないために」




 ……何その対抗心。




「ギシシッ」




 私の反応を見て、ギィはぺろりと舌を出すと悪そうに笑った。


 ちょっと胃が痛い。


 するとひょっこりと令愛が私の目の前に顔を出す。




「ライバル出現かなー?」


「大丈夫、アタシはレアと奪い合うつもりはない」


「そなの?」


「愛人の椅子を狙う」




 何を言ってるんだこの子は。




「頭痛くなってきた……」


「あはは、外に出て落ち着いたら忙しくなりそうだね。ちなみに、あたしも負けるつもりないから」


「それ落ち着いてなくない?」


「でもきっと楽しいよ」




 それは間違いない。


 私を縛る連中を皆殺しにして。


 私を踏みつけてきた連中を鼻で笑って。


 そして誰よりも幸せになってやるんだから。




「依里花よ、また観覧車が飛んできたぞ!」




 そのとき、ネムシアの声が響いた。


 声にはわずかに怒気が含まれていて、大木の挑発で少なからず動揺しているのが感じ取れた。


 私も十中八九アドラシア王国は滅びてるだろうとは思ってたけど、それでもネムシアの信じる気持ちを尊重してた。


 けどカイギョと直につながった大木が“滅びた”と断言したってことは――まあ、そういうことなんだろう。


 心が揺らぐのも当然だ。


 それでも戦いから目を背けないのは、さすが女王様と言うべきか。


 そんな彼女は、大木の腕を迎撃するのに精一杯で観覧車を防ぐ余裕はない。


 すると令愛が前に出て盾を構える。




「あれはあたしがやるッ! リフレクションシールド!」




 展開された防壁が、手裏剣みたいに高速回転する観覧車を弾き、大木を狙う。


 彼女は両腕でそれを受け止めたが、なかなか回転が止まらずにブジュルルルッ! と激しく血が飛び散った。




「令愛、どうしてお母さんにそんなことをぉ! どうして愛する母にそんなことができるのよぉおおお!」




 叫びながら観覧車を真っ二つに割り、投げ捨てる大木。




「勝手に捨てておいて何が愛する母なんだか」




 令愛は吐き捨てるように言った。


 私は大木にナイフを投げつけながら彼女に近づくと、耳元で囁く。




「ねえ、令愛」


「ん?」


「最後は一緒に殺そっか」


「――」




 一瞬、令愛の動きが固まる。


 まるで思考が停止したように。


 でもそれはダメな意味じゃない。


 すぐに笑顔を見せてくれたことからもわかるように――たぶん、喜んでくれたんだ。




「うん、そうしよう」




 担任殺しと母殺しじゃ釣り合わないかもしれないけど。


 その感触を、その歓喜を、その禁忌を、二人で共有したいと思ったから。


 すると、そんなやり取りを聞いてしまったのか、大木が急に激昂して叫ぶ。




「倉金依里花、倉金依里花、倉金依里花あぁぁぁあッ!」


「うるさいなあ、出席確認のときはいつも飛ばして無視したくせに」




 ちょっと反撃されただけでこれだよ。


 今までさんざん、私がやったことよりひどいことしてきといてさ。




「どうしてちっぽけなお前にはめられなきゃならないのよ! 私が、ここに来るまでに一体どれだけ努力したと思ってッ!」




 大木の体から無数の獣の頭部が伸び、こちらに噛みついてくる。


 曲がりくねった動きで撹乱しながら接近してくるけど、撃ち落とすのに問題は無い。


 真恋は、それらを刀で次々と斬り落としながら大木に接近する。




「間違った努力をしてきたのだ、当たり前だろう」


「曦儡宮様の寵愛を受けておきながら裏切ったあなたが何を! 間違ってるじゃない、あなたの方が!」




 触手のように伸びる獣の首を足場にして飛び移り、狙うは体内にあるはずの心臓部。


 私も真恋に続いて敵本体に肉薄する。


 近づくほどにこちらに噛みつく獣の数は増えていったけど、敵の動きも避ける道筋も全て“見えて”いる。


 駆け抜け、飛び上がり、体をひねり――今の大木の動きでは、私を捉えることは不可能だった。


 身勝手な理屈だよね。


 信者でもない真恋からしてみれば関係ない話だろうに。


 だから彼女は大木を冷たくあしらう。




「教師なら、努力が報われない様をいくらでも見てきたはずだ。いや――むしろその努力を潰す立場だったろう、貴様は」




 光乃宮学園が最初から戒世教のために存在する施設だとするのなら、被害に合ってきたのは私たちの世代だけじゃない。


 今まで何百人という人間がこの学園に殺され、そして何千人という人間が価値観を歪まされた。


 まっとうに接していれば、普通に幸せになれた人間だって数え切れないぐらいいただろう。




「令愛が言ってたよ、あんたは誰も信用できない人間なんだって。他人を踏み台としてしか見れない。夫も、娘も、娘もどきも、みんな」


「それの何が悪いっていうの!? 誰だってそうでしょう、自分の幸せを掴むために努力をするの! 他人を蹴落としてもね!」


「繰り返す、貴様の努力は間違っていたんだ」


「真恋の言う通り。全ては失敗したんだよ、大木がやってきた全ては無駄だった」


「まだよ、まだ結果は出てない!」


「出てるよ。もし須黒くんが大木を吸収してたら、私たちは負けてたかもしれない。でも逆だったからこうして余裕すらある。もうそこから間違ってるし?」


「私は担任で戒世教の幹部なのよ! 正当な権利があって須黒の命を使っているの! それに――取り込んだ今なら、同じ力を使うことだってできるはずよッ!」




 黒く変色した狼の頭が、私と真恋に襲いかかる。


 どうやら須黒くんの力を使ったつもり――らしい。




「真似事未満だな。ふんッ!」




 確かに他の首に比べれば強度は高い。


 だけど、須黒くんの鎧にはこれっぽっちも及ばない。


 私たちは軽く斬り落とし、さらに大木との距離を詰める。


 腕の上に乗り、坂を駆け上がるように、彼女の肉体が埋め込まれた頭部付近まで走る。




「大木さぁ、自分で失敗を証明してどんな気持ちィ!?」


「何でよ! 須黒の鎧はあんなに苦戦してたじゃないッ!」


「あれは奴の闘争への執着が形になったものだ。貴様が取り込んだところで扱えるはずもなかろう」


「結局のとこ、人間を道具としか見てない――そこに尽きるんだよ」


「来るなっ、来ないでぇぇぇえッ!」




 今さら腕を振り乱したところで、今さら落とされる私たちじゃない。


 そのまま走り抜け、肩まで到達すると、もう大木に逃げ場はなかった。




「つか大木さ、カイギョに取り込まれたってことは、わかってるんでしょ?」


「何を……知らないわ……何も知らないのよ、私はっ!」


「そう、じゃあ教えてあげる。大木たちは曦儡宮を召喚するどころか――曦儡宮を殺しちゃったんだよ。余計なことばっかやったせいでさ!」


「あ、あぁぁああっ! うわあぁぁあああっ!」




 まるで子供が駄々をこねるように体を揺らし、叫ぶ大木。


 私は巨人の頭部に接近すると、飛び上がり、スキルを発動する。




「メテオダイブッ!」


「ギャァァァアアアアッ!」




 ドリーマーにえぐられ、ブシャアァアッ! と頭部の四分の一ほどが弾け飛ぶ。


 痛みを共有する大木が叫びをあげる。


 続けて、逆方向から真恋が刀を振るった。




「十六夜ッ!」


「グ、ギイィィィイイイッ!」




 強烈な刺突がドチュッ! と獣で作られた巨人を穿つ。


 でも、どうやら目当てのものは見つからなかったようで、続けて他の場所も切り刻んでいる。


 きっとこの中に、化物の心臓部たる津森拓郎の名札が埋まっているはずなのだ。


 あれを破壊すれば事は終わる。


 私は獣に噛みつかれるのもいとわずに大木の頭をよじ登り、傷口の上に立つ。


 そしてスコップで穴を掘るように、肉を耕していく。


 やがて、血で汚れたプラスチックケースを発見した。




「見つけた――!」


「触るな! 死ねっ、死になさい倉金依里花あぁぁあ! 嫌よぉっ! どうしてこんなことに! あと少しでっ、行けたはずなのに! 私の全てを満たしてくれる真なる世界に逝けたはずなのに、どうしてぇぇええッ!」


「あっはははっ、最高に無様だよ大木!」




 その声が聞きたかった。


 その苦しみが見たかった。


 ありがとう大木、最期に私に幸せをくれて。


 ありがとう大木、自ら敗北を選んでくれて。


 ありがとう、ありがとう、ありがとう。


 だから――




「そのまま惨めさの底で――私の幸せの踏み台になれ」




 両手で振り下ろしたナイフが、名札を貫く。




「あ、あ、いやぁぁぁぁああああああッ!」




 途端に全身から大量の血液が噴き出し、大木の断末魔の叫びが響き渡る。


 肉体を構成する獣の体は急速に腐敗し、人の形を保てなくなって崩れていく。


 これで“化物”は死んだのだ。


 私は埋め込まれていた大木の首根っこを掴むと、腐肉に呑み込まれる前に飛び降りた。


 そしてちょうど近くに着地した真恋に告げる。




「真恋、みんなと一緒に出口に向かって」


「任せろ」


「それと井上さんはこっちに!」


「うん……」




 ひとまず大木の体を投げ捨てて、先に井上さんの用事を済ませることにした。


 大木は手足を失っているようなので、逃げることもできないだろう。


 私の前に立つ井上さんは、とても不安そうな顔をしている。


 しかしその顔の一部はすでに腐りはじめていた。




「これが……体が崩壊する感覚なのね。不思議だわ、痛みもないなんて」




 遠くに視線を向けると、生き残っていたキャストたちが、腐って崩れていく姿が見えた。


 ホールマンたちも顔がドロドロに溶けて、ただのゾンビになりつつある。


 フロアの主が死んだことで、その形状を維持することができなくなったのだ。


 同様に、遊園地全体も激しい揺れに襲われ、崩壊をはじめている。




「でもこんな状態から生き残れるの?」


「最初から一か八かではあるから」


「このまま死んだ方がいいんじゃないかしら……って、もう決めたことだものね。あたしが生きるのは自分のためだけじゃない。緋芦と会衣ちゃんのためでもある」


「そうそう。じゃあやっちゃうよ」


「おい依里花、一体何を――」




 事情を知らない真恋は、これから起きることを見てさぞ驚くだろう。


 なにせ、いきなり私がドリーマーを取り出して、井上さんの心臓を刺し貫くのだから。




「ぅ……」




 彼女はわずかにうめき声をあげると、ぐったりと私に体を預けた。


 そのままゆっくりと目を閉じる。




「な……っ!? なぜ殺したッ! 彼女はパーティのリーダーだ、蘇生はできないんだぞ!?」




 私に詰め寄る真恋。


 予想通りの反応ではあるけど、焦った真恋というのも新鮮でなかなか愉快だ。




「いいから見てて」


「しかしッ!」


「リザレクション」




 口喧嘩になるまえに、私は井上さんを蘇生・・した。


 MP消費されてるし、成功……かな。


 HP1の状態だからまだぐったりしてて、生き返ったかわかりにくいけど。


 とりあえずヒーリングで――ってしまった、MP残ってないじゃん。




「あー……ギィ、回復お願いしていい?」


「ギィ、もちろん!」


「ありがと」




 ギィの治療を受けると、井上さんの目が薄っすらと開いた。




「う……」


「井上さん、私のことわかる?」


「え、ええ……倉金依里花、よ」




 意識はある、と。




「妹さんの名前は?」


「忘れるはずがないわ。井上緋芦」


「妹さんの親友は?」


「牛沢会衣ちゃん、でしょう」




 記憶もひとまずは問題なさそう。


 続いては――




「右手上げて」


「え? あ、あれ?」


「左手上げて」


「おおぉっ!?」


「両足上げて」


「ま、待ってよそれじゃ転んじゃうっ!」




 井上さんは私に言われるがままに両足をあげようとして、尻もちをついた。


 私は手を差し伸べる。




「立ち上がれる?」


「立ち上がれるけど。これ、どうなってるの……?」


「私が命令しなくても立てる?」


「そんなの当たり前じゃない」




 すっと立ち上がる井上さん。


 とりあえず――自由意志はある、ってことでいいのかな。


 すると、腕を組んで様子を見ていた真恋が我慢できずに口を開く。




「私にも説明を頼もう」


「『調教』ってスキルで井上さんをペットにしたの。この方法なら、フロアの主が滅んでも肉体を残せるんじゃないかと思って」




 それは犬塚さんとギィを融合するときに、前提条件として覚えたスキルだ。


 このスキルを使用した状態でカイギョの壊疽を殺すと、その壊疽をパーティメンバーとして加えることができる。


 つまり、いつでも“蘇生”できる状態になるわけだ。


 仮にフロアの主が消滅して、井上さんが肉体を維持できなくなったとしても、この方法なら生き返らせられるんじゃないかと考えたわけだ。


 でも問題点はいくつかあった。


 そのうちの一つが、『調教』で仲間に加えた井上さんが、意思を失った人形になってしまう可能性。


 そもそもが人間に敵対しているカイギョの壊疽を仲間に加える、というスキルなのだ。


 つまり自由意思を奪って、対象をペット化する能力――それをほぼ人間である井上さんに使った時、どうなるかなんて未知数だったから。


 結果としては、やっぱり私の命令に従うようになっちゃったみたいだけど、井上さんとしての意思も残ってるから問題は無さそうだ。




「体の調子はどう?」


「おかげさまで絶好調よ」


「私に支配されてる実感は?」


「言われたら逆らえないのは変な感じだけど、それ以外はいつもと変わらないわ。でも……」




 井上さんは自分の手のひらを見つめ、表情を曇らせる。




「本当に生き残っちゃった、って?」


「……ええ」


「生き残ったからには落ち込んでも意味ないよ。せいぜい妹さんと牛沢さんのことを可愛がって余生を過ごしてね」


「そうね……なってしまったからには、そうするしかないわ」




 どうにも彼女は倫理観が強すぎる。


 やっぱり警察官だからなのか。


 せっかく生き返れたんだから、思う存分に幸せになってほしいんだけどな。




「じゃあ改めて、避難誘導をお願いね真恋」


「まったく。情報共有は大事と言っていたのは誰だったか」


「時間は有限だから、伝える情報の取捨選択も大切なの」




 一部始終を見届けた真恋は、日屋見さんたちと合流すると、人質たちが逃げ込んだ施設へ急ぐ。




「あたしもそっちに向かっていいかしら」


「もちろん。こっちは私と令愛だけでいいから、他のみんなも先に出口に向かっといて!」




 井上さんは緋芦さんと牛沢さんのことが心配で仕方ないはずだ。


 緋芦さんたちの方も心配してるだろうし、早く顔を見せてあげてほしい。


 ネムシアやギィも、私の指示に従って出口に向かって走りだす。


 これで、残ったのは私と令愛だけになった。


 令愛は私が投げ捨てたボロボロの大木の前に立ち、無表情で見下ろしている。




「令愛……ああ、令愛……私、間違ってたのかしら……」




 か細い声でそう語る大木。


 まるで被害者のように悲劇に浸る彼女に、令愛は淡々と告げた。




「そうだよ、ずっと間違ってた。お父さんは最後まであなたを信じて愛してくれていたのに、それすら信じられずに裏切ったんだよ。きっと、まっとうに幸せな家族になれる道だってあったはずなのに」


「……そう。私は、間違っていたのね」




 大木は過ちを認め、目を閉じて息を吸い込む。


 そして今まで聞いたことのない、世間一般で言う母を想わせる穏やかな声で言った。




「ごめんなさい、令愛」




 それを受けて、令愛は――大木の顔を、思いっきり踏みつけた。




「がふっ!」


「今さら何を言ってるの!?」


「れ、令愛っ? あぶっ、ぐ、令愛ぁっ!?」




 さらに何度も何度も強く踏みつける。


 私みたいに憎悪をにじませた顔をして。




「過ちを認めれば楽に穏やかに死ねると思った? もうそんな時間はとっくに過ぎてるんだよッ!」


「ぁ……ぇ……?」


「お父さんがどれだけ悲しんで、傷ついたか! あたしがどれだけ苦しんで、今も痛みに耐え続けてるかわかる!? 家族の愛を奪った! 大事な友達も失った! 大木藍子ぉッ! お前は、あたしの人生を、何年分も台無しにしたんだッ!」




 声を嗄らしながら叫ぶ令愛。


 きっと今、彼女が吐き出しているのは、私を構成する物質とほぼ同質のもの。


 誰の目からも見ても醜いその姿は、猛烈に愛おしい。




「ごめっ、ごめんなさっ、ごめんなさいぃっ!」


「その謝罪の言葉だって自分を守るためでしょう? 楽に死ぬためにプライドすら捨てて、今度は戒世教を裏切ってみせる! そういう軽薄な人間だから、最後は誰にも愛されずに、恨みで殺されるんだあぁぁぁあッ!」




 ひときわ強く顔を踏みつけると、大木の歯が折れ、鼻がひしゃげて曲がった。


 彼女は「あが、が」としか言えなくなり、口から血の混じった涎を吐き出しながら体を痙攣させている。


 その様を見て少し頭が冷えたのか、令愛は天を仰ぐと「はあぁ……」と震えた息を吐き出す。


 そしてゆっくりと私の方を見て、不安げに囁いた。




「……依里花」


「ん?」


「あたし……今、すごい顔しちゃってたかも。もしかしたら、今もしてる?」




 ああ、そんなことを――そんな可愛らしいことを不安に思っていたの?


 自分じゃなくて。


 母親でもなくて。


 私のために。


 私にどう見えているのか、って。


 たぶんそれは、どんな言葉よりも痛烈な求愛で。


 私は彼女に歩み寄ると、その美しく憎しみに引きつる頬に手を当て、告げる。




「かわいい」


「っ……」


「令愛の新しい一面を見れた。もっと、前よりずっと好きになった。ていうかさ、むしろそれを見て笑ってる私の方が嫌なやつだよ」


「そんなことないっ! 私が手を下すことで大木が苦しんで、依里花が喜んでくれるならっ、それってただの復讐よりも素敵なことだと思うから」


「そうだね……そのために、一緒に殺ろうって言ったのかも。下心だね」


「下心も……好きな人からだと、嬉しかったりするよ。あ、でもよかったの? ほとんどあたしがやっちゃったけど……依里花もやりたかったよね」


「良いものを見せてもらったから満足してるよ。それにちゃんと最後は残してある」


「さすがにそこは、絶対に二人でって思ったから」




 私は横たわる大木の前で膝を付き、ドリーマーを握る。


 令愛は大木を挟んだ向かいでしゃがみ、包み込むように手を重ねた。


 令愛は潤んだ瞳で私を見つめている。


「はぁ」と熱っぽい吐息をこぼす。


 私も同じだ。


 心音が高鳴る。


 触れ合う手が汗ばんで、緊張に震える。


 でも心地よい緊張だった。


 それは期待から来るものだったから。




「お、お願いよ、令愛……せめて、私を、見て……」




 何かが聞こえる。


 でもその声は、私たちの世界には届かない。


 この瞬間を互いに分かち合える喜びだけを感じて。


 ここで失われる命のことなど、もはや私たちにとってはどうでもよかった。


 すとん、と刃が落ちる。




「ぅ……」




 心臓を貫かれ、大木の体がビクンと震えるのが柄越しに伝わってきた。




『モンスター『人間』を撃破しました。おめでとうございます、レベルが99に上がりました!』




 そして、“死”を明確に伝えるメッセージが頭に響く。


 ぞくりとする。


 私が昏い歓びに満ちた笑みを浮かべると、令愛は熱情に瞳を濡らして、色っぽく微笑んだ。


 重ねた手が擦れ合う。


 汗ばんだ手が、にちゃりとわずかに音を立てる。




「殺しちゃった、ね」




 私がそう言うと、令愛は噛み締めたように答える。




「うん、殺した。依里花と一緒に、母親を、殺した」




 冷たい鎖が私たちを繋ぐ。


 二度と離れることのない絆として、刻まれる。


 その感触にうっとりと目を細めながら、私はその余韻に浸っていた。


 けど残念なことに、世界はそこまで待ってくれない。


 崩壊はどんどん進んでいて、このまま止まっていればいずれ呑み込まれてしまう。


 それじゃあ意味がない。


 外に出て、この異常な世界だからこそ育めた、罪深い甘さの愛情を、正常な世界で狂ったように堪能するまでは死ねない。


 だから私たちは徐々に正常に浮上する。


 もっともその“正常”はとっくに冒されていて、元の形とは違うものになっているのだけれど。




「終わったぁ……はは、お母さんのこと、殺しちゃった」


「お疲れ様」


「ん。依里花こそ」


「私は気持ちいいだけだったから」


「あたしも……気持ちよかった。でもそう思えたのは、依里花と出会えたからだね。一人だったら、どんな裏切られても、あたしはお母さんのこと振り切れなかったんだろうな」


「普通の家庭がどんなものか知らないけど、きっとそうなんだろうね。親との関係が薄い私が令愛に影響を与えちゃったなら……」


「責任、取ってくれる?」




 いたずらっぽく笑う令愛。


 私は堂々と答えた。




「取るよ」




 そして繋がれた手の甲に、唇を当てる。




「っ……依里花って、そ、そういうことできちゃうの!?」


「だって、私の恥に意味なんて無いから。だったら、令愛が喜ぶことしたいと思って。あ……嬉しく、なかった?」




 ちょっとかっこつけすぎかなとは思ったけど、これぐらいやっていいと思う。


 遅かれ早かれそうなるんだから、私だって腹をくくらないと。




「そんなことないないぜんぜんないっ! すっごく嬉しかった!」




 令愛は顔を真っ赤にしながら、手をぶんぶんと上下に振り回した。


 彼女もかなり大胆なことを平気で言ってると思うんけど、恥ずかしがることはあるんだ。




「あと、その、次も……期待、してます。なんちゃって」




 しかも恥じらいながらも、“次”なんて言えちゃうし。


 それ、手とか額とかじゃなくてって、ってことだよね。


 ……まあ、今でもやろうと思えばできそうかな、令愛相手なら。


 でもさすがに、今は時間がなさ過ぎる。




「……えっと、あはは、行こっか」


「うん、一緒に行こっ!」




 私たちは立ち上がると、手を繋いで走りだす。


 やがて地面は崩れはじめ、大木の死体は闇に飲み込まれて跡形もなく消えた。




 ◇◇◇




「リザレクション!」




 私は、先に逃げていた面々と合流後、ファンタジーランド入り口付近まで移動し、赤羽さんを蘇生した。


 もっとも、ギィと井上さんにリザレクションを使ったことでMPが枯渇してしまったので、ネムシアにMPを分配するスキルを覚えてもらったんだけど。




「お父さん……お父さぁぁぁあんっ!」


「佳菜子。すまないな、情けない姿を見せてしまった」


「情けないとかどうでもいいよぉ! 私だけ置いて死なないでよぉおお!」




 死体から蘇った父に、涙を流して抱きつく娘。


 正常な親子の形。


 面白いと思ったのは、それを見つめる表情で、家族との関係性がわかるところだ。


 令愛は父親を残してきているからか、思うところがあるらしく、目に涙を浮かべていた。


 ネムシアも、もういない父を想い神妙な表情をしている。


 井上姉妹や牛沢さん、巳剣さんなんかも、両親とは仲が良好なのか素直に感動していた。


 一方で日屋見さんやギィは、特に何も感じていない様子。


 かくいう私もそっち側なんだけどね。


 一番引っかかったのは真恋かな。


 唇を噛んで、嫌がってるような、苦しんでるような、そんな表情を見せていた。


 そうして観察していると、いつの間にか赤羽さんが私の前にやってきて頭を下げている。




「倉金さん、ありがとう。もっとスマートに誘導できる自信があったんだけどね」


「娘さんのためなら無茶しそうな雰囲気はあったから、パーティに入れておいてよかった」




 赤羽さん、ファンタジーランドのスタッフとしての責任とかも感じてそうだったからね。


 だからって娘の前で死ぬのはやり過ぎだけど。




「さて、じゃあそろそろ遊園地から出ようか。全員揃ってるよね?」




 このフロアで生き残ったのは、井上姉妹、赤羽さん、そして大木たちにさらわれた人質と、元から大木たちにこき使われていた生存者たち。


 何だかんだで、合計30名近くの大所帯だ。


 この先も異界が続くのなら、どれぐらいが生き残って脱出できるのか。


 人をまとめるのは苦手だし、そのあたりは赤羽さんに任せてもいいかもしれない。




「ゲートを塞いでいた壁は消えたのね」




 井上さんは、一度入り口が塞がれている様子を見ているから、その変化がわかる。


 もっとも、その先には1階のように階段などなく、どこかに続く道があるのみだ。


 でもどうせ遊園地はじきに崩壊する。


 進むしかない。




「よし、行くよ。はぐれないようにね!」




 私が先頭を歩き、ついに光乃宮ファンタジーランドを出る。


 その先にある道はただ一直線に続いているだけ。


 背後からゴゴゴ……と何かが揺れるような音がする。


 振り返ると、無数の遊具が傾き、大地に飲み込まれてく姿が見えた。


 空も割れて落ち、真っ黒な虚無が広がっている。


 まるで世界の終末みたいだ。


 一方で私たちが進む道は、突如としてまばゆい光に包まれはじめた。


 さらには足元がぐらつき、まるで浮かんでいるような感覚に包まれる。




「きゃあぁああっ!」




 令愛が声をあげ、私に抱きつく。




「どうなっているのだ!? 我々はどこに飛ばされようとしておるっ!」




 混乱するネムシアの声が聞こえる。


 生存者たちも各々困惑の声をあげ、あたりは一気に騒々しくなる。


 でも声が聞こえるということは、散り散りになったわけではないということ。


 やがて少しずつ光は晴れて、今までとは違う景色が見えてくる。




「ここが最後のフロア――」




 いつの間にか地面に両足を付いていた私は、そこに広がる光景に息を呑んだ。


 校舎でもない。遊園地でもない。


 おそらく日本ではありえない景色だったから。


 鮮緑の草原。


 その中央に伸びる古めかしい石畳の街道。


 その先にある――石造りの住宅と大きなお城。




「帰ってこれたのか」




 気づけば遊園地にいた全員が近くにいた。


 その中から、ネムシアが一歩前に出て声をあげる。




「我が故郷、アドラシア王国へ!」



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