邪悪なモンスター『人間』を殺してレベルアップ! ~虐げられた私は、ダンジョン化した学園で化物と戦う力を手に入れました。人助けも復讐もやりたい放題です~

kiki

Floor1 帰巣-Homesick-

第1話 本物の化物

 



「お前、なんでまだ生きてるんだ?」




 授業中――廊下の向こうからわずかに教師の声が聞こえてくる中、私はなぜか、男子トイレの壁に押し付けられて、そんなことを言われていた。


 目の前の男は私を睨みつけている。


 同じクラスの集堂しゅうどうたける


 彼の身長は180センチを越え、運動部だけあって体つきも屈強だ。


 身長約150センチで痩せ型な私の体は、片手で首を締められながら軽く浮いていた。


 もちろん苦しい。


 けど慣れたものだ、むしろ苦しさに生の実感を感じて気持ちいいぐらい。


 至近距離で向けられた冷たい目も、『死ね』と言わんばかりの無慈悲な言葉も、親の声より聞き慣れたなので平気だった。




「こういうの嫌だろ? じゃあ質問だ。こうなったのは、誰が悪いと思う?」


「ぁ……う、が、ぁ……」


「ちゃんと答えろよ。お前だよ、この世に必要ないのに生きてるから苦しむんだ。存在しちゃいけないのに、なんでここにいるんだよ!」




 私はいじめられている。


 この行き過ぎた暴力を『いじめ』と呼ぶのなら、たぶんそういうことなんだろう。


 殴られ蹴られるのは日常茶飯事。


 よくイタズラで髪を切られるせいで、せっかく短めに整えた髪の長さは不揃いになってしまったし、体育の時間の間に夏服が破られ捨てられたため、暑いのに冬服を着てきている。


 ちなみにその後、体操服も無事にゴミになった。


 教科書は無事に読めるページを探すのが難しいぐらい。


 というか半分ぐらいは燃やされている。


 家族はそれを見ても何も言わない。


 机は当たり前のように落書きだらけ。


 教師はそれを注意しない。


 食べ物は踏み潰されるのが常なので学校では何も食べない。


 私に関わった人間は同じ目に合うので友達はいない。


 誰も私の存在を認めてくれない。


 私はここいてはいけない。


 地上に打ち上げられた魚のようなもの。


 存在が間違っている。


 苦しい。


 痛い。




「聞いてんのか、おい!」




 表情一つ変えずに、空いた手で私の頬を殴りつける。


 血の味がじんわりと口内に広がった。




「感謝しろよ。ここにいさせてもらってありがとうございますって言え!」




 殴って、殴って、髪を引っ張って何度か後頭部を壁に打ち付けた。


 すごいな、尊敬に値するな、と思う。


 ここまで罪悪感ゼロで他人を傷つけられるなんて。


 彼みたいな人間になれたなら、どれだけ人生は薔薇色だろう。


 弱い私は、そう思わずにはいられなかった。


 ふと、首から手が離れる。


 私はタイルの床に落ち、力なく座り込んだ。


「げほっ、ごほっ」と喉を押さえながら咳き込むと、集堂くんの足が私の側頭部を叩く。


 その衝撃に倒れる私。


 さらに彼は顔を踏みつけ、ぐりぐりと足裏を押し付ける。


 トイレのタイルの冷たさを頬に感じる。


 ごめんねタイルさん、汚い私に触れさせて。




「ったく、本当に使えねえやつだな。生きてることを謝れよ。そして俺たち全員に何度でも感謝しろ。その薄暗くて不気味な面自体が不愉快なのに、ここにいることを許可してやってんだぞ?」


「ぁ……うぅ……」


「あ? ついに喋れなくなったのか? こりゃいい、誰もお前の声を聞きたいやつなんていねえしな。よし、このまま俺が喉を潰してやるよ、ほら!」




 今度は首を蹴りつけられた。


 何度も踏みつけられた。


 咳き込みながらうめき、上手く呼吸もできず、私の意識は朦朧とする。


 私の手は、制服の内側、胸のあたりに隠し持っている“お守り”をぎゅっと握っていた。


 布越しに堅い柄を握ると、少しだけ落ち着く。


 そして私は考えていた。


 彼に問われた通りに、どうして自分が生きているのかを。


 考えても考えてもわからない。


 親も望んでいない、周囲の人も望んでいない、だったらどうして私は生きているんだろう。


 どうして私は生まれてきたんだろう。




「あぐっ、ぐぅっ」


「お前さ、もうちょっと反応しろよ。サンドバッグとしても使えねえやつだな! 今度は腹ァ潰してやるから音鳴らせよ!」


「ぐげぁああぁっ」


「ははっ、やればできるじゃん! その調子その調子! もっと汚い声で鳴け!」




 別に生きていたいと思ったことはない。


 産んでほしいとも思っていない。


 ただ――死にたいとも思わない。


 ゼロだ。


 私はただただ無の中にいて、だからこんなことをされても、平気でいられる。




「がふっ、げうぅっ」


「誰もお前を心配しない! 誰もお前が笑ったって喜ばない! でもお前が苦しめばみんなちょっとだけ楽しいわけ。つまりお前はな、苦しむ以外に存在意義が無いんだよ! だから苦しませてやってんだ、優しい俺らが! 仕方ねえよなあ、生きてちゃいけないのに生きてるんだから!」




 何も無い。


 私は、何も。


 心は無で、頭は真っ白で、中身は空っぽ。


 そうすることで自己防衛する。


 自分を守って何の意味があるかわからないけど、本能的に守る。




「げぶっ、ぶ、ぐぶっ」


「汚ねえもん口から出しやがって。大人しく苦しむこともできねえのかよ、出来損ないが!」




 本当に何も無いの。


 何も、何も。




「死体の方がマシじゃねえか。そうだな、生きてちゃいけないのに、生きてるなんておかしいもんなあ。いっそ死んじまうかぁ、倉金ぇッ!」




 どれだけ痛くて、苦しくても、何も――




「ああぁぁぁああああああッ!」




 だからそれ・・は、私にとっても予想外の出来事だった。


 気づけば私の喉は勝手に叫んでいた。


 そして私の手は決して使われないはずの“お守り”を握り、振っていた。




「っ!?」




 それは可愛らしいウサギのストラップが付いた、鋭利なナイフだ。


 刃が集堂くんの脛を裂く。




「いってぇ……てめえ、何しやがる!」




 ズボンと共に皮膚が斬れ、傷口に血がにじむ。


 まだ傷は浅い。


 だから彼は痛みよりも怒りを優先し、私を蹴りつけようとした。




「そんなもん取り出して、マジで死にてえのかよッ!」




 だが切り傷のせいか動きは鈍い。


 理性の制御を受け付けない私の殺意の方が遥かに早く、私は床に這いつくばったまま、握ったナイフで集堂くんのふくらはぎを突き刺した。


 鋭利な刃が肉に沈んでいく。


 肉を斬るのは、中学の調理実習以来だ。




「が、あぁああっ! く、倉金、お前っ! お前えぇぇっ!」




 集堂くんの額に脂汗がにじむ。


 ふくらはぎを刺された彼は立っていられなくなり、尻もちをつく。


 痛みに歪む顔。


 いつもは私がする顔に、今日は集堂くんがなっている。




「えへ」




 私の口元も歓びに歪む。


 情けない笑い声も出た。


 ああ、なんてことだ。


 私はずっと、何も感じていないと思っていたのに――それはただ、憎しみ渦巻く“本心”から、理性を分離させていたに過ぎなかったのだ。


 見て見ぬふりをして。


 存在しないものだと言い聞かせて。


 だけど心に蓄積した憎悪は、不運なことに今日、この瞬間に我慢の限界を超えてしまった。


 だから私は止まらない。


 止めろと言っても、“私”の殺意は彼を殺し切るまで止まらないだろう。


 私の手が集堂くんの足に伸びる。


 ズボンの裾をつかむと、今度はもう一方のふくらはぎ――柔らかい部分の肉に、血と脂で光るナイフの刃を突き立てる。




「おい、やめ――うわあぁぁあああっ!」




 飛び散る血と、男の叫び声。


 ついに集堂くんは怒声をあげなくなった。


 恐怖と痛みに支配された、昔の私みたいな女々しい声をあげる。


 快感だった。


 解放された気分だった。


 肉を引き裂くぐちゅりという感覚を柄から感じて、まるで手のひらが幸福を生み出す工場にでもなった気分だ。


 脳内が幸福感に包まれてふわふわする。


 生まれてから今日までで一番最高の気分だ。


 ああ、やだなあ、私ってばこんな、こんな――ありふれた、わかりやすい復讐を求めていたなんて。


 失望しちゃう。


 せめて無様なりに、クールな私でいようと思っていたのに。


 これを知ってしまったら、カッコつけることなんてもうできない。




「やめろっ、やめろぉおおっ!」




 ふくらはぎから引き抜いたなら、這い上がって今度は太ももに。


 太ももはお肉もたっぷりあって、血もたくさん出て刺し甲斐がある。


 入念にやっておこうと思う。




「ぐああぁあっ、ひっ、ひいぃぃっ! いてえっ、ち、血がっ! た、たすけっ、誰かぁああっ! 誰っ、ひゃ、があぁあっ!」




 太ももはあっという間に血だらけ穴だらけ。


 刺し心地も悪くなってきたので、今度はお腹に移ろうと思う。


 手を伸ばして、ずるりと体を動かして、赤い腕を振り上げ、ぐさり、ぞぶり、ぐちゅり。




「は、がひいぃぃ……お、ごぶっ……ひいぃぃ……も、もう、ゆるひ……っ」




 私の視界が赤で染まっていた。


 眼の前が血で汚れていたのもあるけど、それ以上に脳みそから溢れ出した憎しみが私の視神経に流れ込んで、世界を赤に染めたに違いない。


 同時に意識も飛んでいた。


 私は無我夢中で集堂くんを刺し尽くした。


 彼の断末魔を挿入歌代わりに、私の解放された本能は殺意を片手に暴れまわる。




「ああぁぁあああっ! あはっ、はっ、はあぁぁあああっ!」




 獣のような興奮と化物のような歓喜に、私の喉は意味をなさない声を作り出してこの世に吐き出す。


 軽い。


 体が軽い。


 こんなにも私の体の中には“淀んだもの”が溜まっていたんだ。


 本当はずっと吐き出したくて、




「死ねぇええっ! 集堂ォッ! お前が死ねばっ、私の世界は、ほんのちょっとだけマシになるんだよぉおお! ちっぽけな理由のためにッ、惨めに死んでしまええぇぇええええッ!」




 人間、ストレスなんて溜めるもんじゃないなあ。


 今の私は、すっかり理性の言うことを聞かない本能の塊。


 頭は真っ白で、ただ衝動が任せるままに、何度も、何度もナイフを突き立てた。


 そして――




『モンスター『人間』を撃破しました。おめでとうございます、レベルが1に上がりました!』




 聞こえてきた機械音声が、加熱した意識を急速に冷却する。


 気づくと、目の前には滅多刺しにされて動かなくなった集堂くんがいた。


 私の手やナイフ、制服は血でべっとりと汚れていて、感触から顔も返り血を浴びているのがわかった。


 生ぬるくて、一部だけ冷たくて、ぬめりけがあって――とても気持ち悪かった。




「……集堂くん?」




 私は床に横たわったまま動かない彼の体を、両手で揺らす。


 すると傷口からごぷりと血が溢れ出て、タイルの網目に沿って流れていく。




「集堂くん、集堂くんっ!」




 何度呼んでも、彼はもう動かなかった。


 体も冷たい。


 もう集堂くんは――死んでしまったのである。




「そ、そんな……集堂くん、死んじゃった……私が、殺しちゃった……」




 手からナイフがこぼれ落ちる。


 私は血まみれの手で顔を覆って、絶望した。


 いくら憎しみのキャパシティを超えたからって、あんな風に簡単に殺してしまうなんて。


 これは反省しないと。




「やだよ集堂くん……死んじゃうなんて……ダメだよ集堂くん……こんな簡単に死んじゃったら……」




 なんてことだ、私は彼が死ぬ瞬間を見ていない。


 なんてことだ、私は彼が苦しむ姿をさほど堪能できていない。




「全然苦しみ足りないよぉおおおッおおお!」




 なんて――なんて悪夢。


 あの・・集堂くんを、こんなありふれた苦しみで終わらせてしまうなんて!




「集堂くんはっ、私にたくさんひどいことをしたんだよ。一度や二度死んだだけじゃ足りないの。もっと、もっと苦しんで、時間をかけて死ななきゃいけなかったのに! 刺されてあっさり死ぬなんて、あんまりだよぉおおおっ! どうして死んじゃったの、集堂くぅぅぅんっ!」




 私の叫び声は、きっと廊下まで響いたに違いない。


 そもそも集堂くんだって叫んでいたのだから、とっくに教室の誰かが声を聞いているはずだ。


 彼の死が学校中に広まるのは時間の問題。


 私は殺人犯となり、人生は破滅する。


 まあ、それはどうでもいいことだ。


 だって最初から私は破滅しているから、失うものなど何もない。


 問題は――彼の死に方にある。


 正直に言えば、殺せるとは思っていなかった。


 少なくとも卒業までは、私にはそんな“勇気”は湧かないだろうと思っていた。


 けどどうせ殺すなら、もっと苦しめて殺す方法があったはずだ。


 何ならこの場でだってすぐに思いつく。


 このナイフを使って、一枚一枚爪を剥がして、指先から少しずつ輪切りにしていっても楽しいし、顔を削ぎ落としていっても、今よりずっと苦しめられたはず。


 だって私は知っている。


 死ぬより、生きている方が辛い。


 長く生きる方がずっとずっと辛いのだ。


 なのに、なのに――




「う、ううぅう……もったいないよ……命をそんな無駄に使うなんてえぇぇえっ!」




 悲劇に直面し、嘆く私。


 けど、ふと聞こえてきた声のことを思い出して、ぴたりと嘆くのをやめた。




「あ、そういえばあれ、何だったんだろう」




 私は疑問符を頭の上に浮かべ、首をこてんと傾ける。


 そしてスマホを取り出して画面を見ると、見慣れないアプリが勝手に起動して、先ほどの言葉と同じ文章を表示していた。




『モンスター『人間』を殺害しました。おめでとうございます、レベルが1に上がりました!』




 背景ではクラッカーが弾け、紙吹雪が舞っている。


 まるで懸賞にでも当たったような、実におめでたい画面だ。




「こんなゲーム、インストールしてたっけ」




 下手にアプリを入れると、スマホを取られたときの嫌がらせに使われるから、ほぼ初期状態のままだったはず。


 それでもゲームは入ってたけど、それが勝手に起動するなんてことは――


 訝しみ、血まみれの手で画面に触れる。


 すると表示が変わり、文字と数字の羅列が映し出される。




倉金くらがね 依里花えりか

【レベル:1】

【HP:10/10】

【MP:10/10】

【筋力:5】

【魔力:5】

【体力:5】

【素早さ:5】




 まるでゲームのような表記。


 ただ妙なのは、私の名前がすでに入力されていることだった。


 スマホから勝手にデータを抜き出して使ってる?


 いや、そもそもこのアプリは何?


 確かさっきは、モンスターを撃破したとか言ってたけど……。




「……私は勇者にでもなったの? じゃあ、もっとたくさんモンスターを倒せば、世界は平和になるのかな」




 床には血まみれのナイフ。


 私はそれを拾いあげると、ふらりと立ち上がる。


 そしてトイレの鏡の前に立った。


 血の化粧で彩られた私が薄ら笑いを浮かべている。


 よく見る下賤な悪役みたいで、とても嫌な顔だと思った。


 私は私が嫌いだ。


 だけど今日の私はいつにも増して醜い。


 集堂くんが死んだのは悲しい。


 自分がありふれた醜い憎悪の持ち主だったという事実も嘆かわしい。


 でも――それでも――それ以上に、ふわふわとした高揚感が全身を包んでいて――




「どうせ終わるんだもん。だったらその前に、もっと沢山“邪悪なモンスター”を倒してみる?」




 私は破滅的な欲望を胸に、血だらけの男子トイレから出る。


 ちょうどその時だった。




「きゃああぁぁああああっ!」




 女の子の叫び声が聞こえてくる。


 私の姿を見て叫んだのかと思ったけど、それにしてはタイミングが早すぎる。


 声のした方を見ると、そこには異様な光景が広がっていた。




「グウウゥゥゥ……」


「こ、来ないで……来ないでえぇえっ……!」




 尻もちをつき、体を震わす女子生徒に迫る、ボロ布を纏った大人の男。


 だがその皮膚はぐずぐずに爛れており、口からは涎が、瞳からは眼球が垂れている。


 そしてその男の足元には、首から大量の血を流す少女の死体――彼の口元が血で汚れているのを見るに、おそらく“喰った”のだろうと推察できた。




「ふ、ふへ」




 思わず私は笑う。




「勇者の次はゾンビ? 私は幻覚でも見ているの? 本当に邪悪なモンスターが出てくるって、そんなのある?」




 私みたいな非力な存在が、都合よく集堂くんを殺せるとは思えない。


 つまり、これは夢なのかもしれない。


 彼に首を絞められて意識を失った私が見た、浅ましい願望に満ち溢れた夢。




「やだ……や……っ、助けて……お願い……誰か、誰かあぁ……っ」




 弱々しい声を出す女の子。


 すると、救いを求めてさまよう彼女の視線が私の姿を捉えた。




『たすけて』




 恐怖のあまり声すら出せていなかったが、そう告げているのはわかった。


 助ける? 私が? 人殺しなのに?


 でも――踏み出せば、何か変わる気がする。


 罪悪感ゼロで暴力を振るえる立派な人間にだってなれる気がする!


 今まで何度もその期待に裏切られてきたくせに、私は性懲りもなく駆け出した。



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