第6話 農場見学-3

 雪は少し休憩をしようと言って、農に一杯のコーヒーが出された。


 現在進行中の案件で、ここで育てたコーヒー豆なのだそうだ。味はある程度焙煎頼みで、一株から採れる豆の数と生育期間を重要視しているという。果物などの木で生育する植物は、農場工場で育てようとするにはまだまだ課題多くて苦戦を強いられているのだという。


「焙煎頼みということは、バリスタでも雇っているんですか?」


 農はそう訊くと、雪はニヤニヤしながら自分を指さし、『うん、私』と言った。

「えっ?」


「だから、私がバリスタ」


 コーヒー豆を栽培することが決まってから、雪はこのためにバリスタの資格を取ったのだという。


「ということは、この素敵なアライグマみたいなラテアートは綾目さん作ですか?」

「そうだよ、私の作品。アライグマじゃなくてパンダね。かわいいでしょー。ジャイアントじゃないよ、レッサーだよ」


 雪は素敵なドヤ顔で答えた。ただ、ベテランのバリスタがいるカフェにコーヒー豆を持って行き、意見を聞くこともしばしばあるようだ。


 コーヒーが飲み終わった頃に、研究員から雪への連絡があった。


「綾目さん、そろそろ出動の時間です。今日はうちの当番ですよ」


「あっ、そうだった。忘れてた。それではやぎくん、行くよ」


 出動?どこへ?もちろん農にとって意味不明のやりとりだった。


 なぜかつなぎに着替えた雪に連れてこられたのは先ほど味来と来た農場フロアだった。


「はい、これ使ってね」


 農は雪からハサミを渡された。これから野菜の収穫をすることが予測された。


 いろいろハイテクが使用されているように見えていたが、これは人海戦術なんだと農は思ってしまった。


 三十メートル程ある畑(と言って良いのだろうか)が何列も並んでいて約五メートル間隔に人が並んでいた。農作物の収穫としてはなんとも不思議な光景だった。


 は人がやるとしても研究・開発部がすることはとても驚きだった。

「いつも研究・開発部の人たちが収穫するんですか?」


 農は雪に尋ねた。


「収穫があるときは各部署が当番制でやっているんだよ。といっても適当にやっているわけじゃないよ。この会社にいる人はみんな収穫の研修を受けているからね。社員全員必須のスキルなのです」


 そう言いながら、研究・開発部長である雪が農に収穫の仕方を丁寧に、そして得意げに伝授した。野菜を傷つけないように根元をハサミで切ってコンベヤに乗せる。の繰り返し。


「危ないからちょっと下がって」


 担当の範囲の収穫が終わり、雪がそう言うと畑が上に動き、天井の上へと消えていった。そして、また収穫できる状態の農作物が沢山実った畑が床から出現した。畑が床から現れ天井に消えていく。リフトが動く時の機械音は『工場』いや『農場工場』という言葉を思い出させる。『床注意』『巻込まれ注意』などの安全標識が表示してあるのも工場らしさが現れている。


 そしてまた先ほどと同様の収穫作業が始まる。の繰り返し。


 何段繰り返したかわからないが、一時間くらい経っただろうか。『お疲れさま』の雪から労いの言葉があった。今日の収穫作業は終了のようだ。


 収穫というには量も時間も中途半端な気がした。なるべく採り立てを注文者に届けるように収穫時間と量を計画しているとのことだった。


 屋外と異なって気候や気温に左右されことがないので、収穫時期・収穫量が計算・調整しやすいため、注文者に対する要望にも答えやすくという。


 これらを考慮して収穫時間や量が決められ、各部署による収穫のスケジュールが決められるのだという。よって、毎日決まった時間や量の収穫作業が行われるわけではないらしい。


『ここの社員は全員これを体験しているということか』農は素晴らしいことだなとやや上から目線で思ってしまうのだった。『これもコスト削減の一環なのかも』と付け加えて思った。


 作業も終わり、雪が時間を確認して、『少し早いけどお昼にしよう』と昼食に誘ってもらい、つなぎのまま社員食堂に行くことになった。確かに昼時には少し早いせいか食堂にいる人は疎らだった。


 メニューは定食二種と麺類、カレー、丼から選ぶ仕組みとなっていた。ここまでは今まで見たことがない、経験したことのないことばかりだったため、『普通の社員食堂だ』と農はホッとした。


 雪と農は同じ定食を注文した。『ごはん』『野菜多めの味噌汁』『コロッケ』『生野菜たくさんのサラダ』『おひたし』とボリューム満点である。


 さすがの食堂といった感じだった。収穫した際に売り物にできない傷物や小さいものが発生する。安く売るのは手間と販売するためのコストがかかる。廃棄するのは問題外。味はほとんど変わらず食べられる。そういうロスになるものは食堂で提供されているという。


「ちなみにこれを、うちの食材をこれだけたくさん使っている定食を他で食べようとしたら五倍くらいするんじゃないかな。会社から補助が出てるのもあって私たちは格安で食べられてるけどね」


 農と雪は社員食堂とは思えないくらいのクオリティの定食をとてもおいしくいただいた。


「綾目さん、ごちそうさまでした」


「どういたしまして」


 支払いは給与天引きらしく、雪にごちそうになることになった。


 今日の見学は終了ということで、雪にお礼を言ってから農は味来に挨拶をするために十九階の社長室へ向かった。


「失礼します」


 農は社長室に入ると味来の他に一人の女性がいた。その女性と先に目が合ったので先に挨拶をした。


「今日、農場の見学をさせてもらっている保料農といいます」


「あら、あなたがやぎくんですね。秘書をやっている山東 菜々さんとう ななです。お話は伺ってますよ」


『お話』の内容がかなり気になるが、この時代に来て初めてきちんと自己紹介ができたように思えてうれしかった。


 菜々は味来に『先にお昼行ってきますね』と声をかけて社長室を出て行った。

「やぎくん、農場見学はどうだった?」


「初めて見たり体験することが多く、とても驚いたしとても勉強になりました。綾目さんにお昼もごちそうしていただきました。今日はありがとうございました」


「それはよかった。突然だけど、僕は未来から来たんだよ」


「えっ?」


 当然のように農の思考は停止した。本当に突然この人は何を言っているんだろうか。


「そんなに驚いた顔をしなくてもいいんじゃないかい?君だって十年前の過去から来たんだろう?洞爺から聞いたよ」


 タイムスリップを経験した本人が他人のタイムスリップの話を聞いてこんなに驚くのは確かに変なような気がした。


 農にとって、いやこの国で生活している人々にとっては信じがたい内容が味来から語られることになる。


「五年後、この国で争いが起こり多くの人が死ぬ」


 農や味来が今いるこの時代から五年後には農場工場は徐々に普及していった。しかし、世界人口のさらなる急増加と気候変動により食料供給が不安定になると共に食料不足が加速していく。


 人口の増加と食糧不足により物価の急増し、貧富の差も広がっていった。国内外で武力による物資の奪い合い、農場工場のような生産施設の情報の奪い合いなどが加速していった。


 各メーカーの農場工場で培われたレシピなど、より有益な情報は高値で取引きされた。農場工場の建設費用、研究・開発費用を販売価格や特許料により回収することは企業としては当然のことだった。技術はあっても普及しづらく、食料供給が人口に追いつかない状況に陥っていった。


 この国の少子高齢化はさらに進み、農業を行う人も少なくなっていった。そして米や野菜、家畜の飼料の自給率がどんどん下がっていった。食料自給率を下げないために農場工場などの設備をつくっていくが、初期費用も高額のため普及速度が遅い。よって、食料輸入量が増えていった。


 国レベルで貧富の差により必要な場所で必要な情報を入手しにくい状況が拡大していき、食料を巡って世界各地で争いが頻発するようになった。


 自国で食料を確保するよりも外国から輸入する方が安価に済んでしまう。このような国の状況が争いの火種になっていることもあった。そして、このような国が争いの標的になることも・・・・・・。


 高額でも支払い能力がある国とない国の格差が、妬みや怒りとなり争いへの変化していった。そういった知識や情報がある人は多くいるだろう。


 いつもの『日常』、お金を支払えばなんでも手に入る、解決できる『日常』。それが一瞬で崩壊する。よく考えれば可能性があった出来事。それが起こるきっかけは常に存在している。こんな状況が本当に自分に訪れることになると思っていた人がこの国にどれくらいいただろうか。


 味来がタイムスリップする以前、弟が経営する農場工場の会社に勤めていた。農場工場が普及し始めていたが、まだ一般的とはいえない時代だった。安定した収穫のメリットよりも、建設費・維持費・その費用回収問題などのデメリットの方が目立っていた。


 味来はそんな農場工場を普及させることを目的とした部署にいた。そのため、浅く広い知識と会社内外の広い人脈が構築されていった。


 農場工場では、農業の知識はもちろん品種改良には生物、レシピ作成管理にはIT、その他多くの分野の知識と経験が必要とされる。そして、資金調達能力。


 メーカーや国の機関とのやりとりもすることが多かった味来には、知識と人脈が求められ、仕事を進める中で自然と身につき広がっていった。


 そして、想像もしていなかった出来事は大地震のように突然起こった。


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