第48話 最終話 旅立ち

 

 ゆっくりと眼を開ける。

 

 視界に飛び込んできたのは、薄水色の美しい装飾の施された見覚えの無い天井だった。

 

「…………」

 

 いや、一度見たことがある。

 あれは……いつだったか……。

 

 

「ああ、やっと目覚めたんだね。三日間目を開けないから心配してたんだよ」

 

 柔らかく、聞き心地よい声がしたのでそちらを見ると、蒼い長髪の男が微笑みながら此方こちらに近づいてきた。

 ぎしりと、自分が寝ている寝台に彼は腰を下ろすと、ところどころうろこのついた手で額に触れる。

 

「もう、大丈夫みたいだね。……まったく、運のいい子だ」

 

 それまで覚醒しきれていない頭で、ぼんやりとその声を聞いていたが、急に記憶が戻りがばりと飛び起きる。

 

「僕……生きて……?」

 

 ズキリと痛みが走り腹部に手を当てると、手当てをされたのか包帯が巻かれていた。

 

「心配無い、ちゃんと生きてるよ」

 

蒼龍そうりゅう……様?」

 

 見覚えがある筈だ。

 ここは、竜のみやだ。

 

 混乱する頭で、思い出してみる。

 あの時、毒を飲んで背中から崖に身を投げた筈だ。なのに何故生きている?

 

 その心を見透かすかのように、蒼龍は説明してくれた。

 

「あの時、桔梗ききょう達の様子が気になってね、下界を覗いたらちょうど君が落ちていく所で、慌てて引き上げたんだ。あの時君は虫の息で、もう駄目かと思ったけど……君、回復力超人並みだね」

 

 そう言って笑った後。

 

「生きている人間を川から引き上げたのは、始めてだよ。本当に君は強運の持ち主だ……おや?」

 

 蒼龍は何かに気がついたように、ゆっくりと立ち上がり部屋の扉を開ける。

 

「お迎えが来たようだよ」

 

 まだふらつく足取りで寝台から立ち上がり、差し伸べてくれた蒼龍の手をとると、外へと繋がる廊下へと出た。

 そこからは、花が咲き乱れる中庭を一望できるのだが、その向こうに見知った顔がふたり。

 

 それは、此方こちらの存在を確認すると驚いたように立ち止まる。そして、ゆっくりと再び歩きだすと徐々に足を速めついには駆け出した。

 

 何かを叫んでいたが、それを聞き取れる距離まで来ると、その表情も確認できた。

 綺麗な顔をくしゃくしゃにし、泣いている。

 

「……ろっ!!玄っ!!」

 

「桔梗ちゃん……」

 

 

 

 ※

 

 

 

 蒼龍は水の神だ。

 この世の中の全ての“水”と、竜の宮は蒼龍の力で繋がっている。

 

 水が原因で死んだ魂は、水の中をさ迷い続ける。それを掬い上げ、蒼龍は魂が浄化するまで、自分の身の回りの世話を彼らにさせながら竜の宮に置いている。

 

 生きた人間を引き上げたという話は聞いた事は無かった。

 だが、“水”と繋がっている蒼龍だ。

 もし、玄が水中に落ちた事に気がついてくれていたら……。

 

 本当に、一縷いちるの望みだった。

 蜘蛛の糸のようにか細い希望。そんな事は奇跡に近いと思った。

 

 それでも。

 少しでも可能性があるのならと、必死に祈りながらこの竜の宮へ訪れた。

 

 

 

 ※

 

 

 

 桔梗は走って来た勢いのまま、玄の懐に飛び込む。涙で濡れた顔を上げ、彼の頬へ両手を当てた。

 彼女はその温もりを確認すると、安堵したかのようにため息をつき、更に大粒の涙で頬を濡らした。

 

「お前……生きて……。良かった、良かっ……」

 

 桔梗は玄の懐に顔をうずめ、肩を震わせ声を殺して泣いた。

 

「ごめん、心配させちゃったね……」

 

「したよっ!!心配」

 

 玄が顔を上げると、今にも泣きそうな顔で白銀が立っていた。

 彼は玄に歩み寄ると、その肩に頭をトスンと乗せる。

 

「馬鹿やろう……」

 

「ごめん……」

 

 人に心配されるというのも案外悪いものじゃない。

 今まで、特定の人間と関わる事なく生きてきた玄は肩に白銀の重さを感じながらそんな事を思った。

 

「でも、お陰で俺達は逃げる事ができた」

 

 白銀はかすれた声で続ける。

 

「ありがとな……」

 

「白君……泣いてるの?」

 

「泣いてない」

 

 白銀は言うと、ずびっと鼻をすすった。

 

 

「僕、毒を飲んだ筈なんだ。山吹やまぶきの前に桔梗ちゃんが置いた毒。覚えてる?」

 

 桔梗は不思議そうな顔で玄を見ると、思い出したように「あ……」と小さく声をあげる。

 

「ああ、覚えている」

 

「あの時の毒、僕が取り上げてずっと持っていたんだよ。それで、飛び降りる前にそれを飲んだ。……即効性で苦しまずに逝けるって、桔梗ちゃん言ってたよね?」

 

 玄は、“何故? ”というように首を傾げた。

 

「どうして、僕は生きてるの?」

 

「お前、あれを飲んだのか?」 

 

 桔梗は、玄の言葉をきょとんとした顔で聞いていたが、急に吹き出した。

 玄同様、白銀と蒼龍も訳が分からないまま、笑う桔梗を見ている。

 

「あの毒は、山吹にだけ効くように作ったものだ。当時、彼女は私の霊薬を毎日のように飲んでいただろう? あの中に幻覚作用のある薬も仕込んでいたんだ。お前が持っていた薬は、それと反応して毒になる。体内でな」

 

「……じゃあ、あの女以外の人間には?」

 

「ただの回復薬だ。だいたい、そんな危険な物を置いて私がその場を立ち去る訳が無いだろう?」

 

 桔梗の言葉に納得したように頷いたのは、蒼龍だった。

 

「成る程、彼の回復が早かったのはそのせいだったんだね」

 

 桔梗の説明を聞いた玄は、脱力したようにため息をつき項垂うなだれた。

 じゃああの時、自分はわざわざ回復薬を飲んで崖から落ちた訳だ。そう考えると、その行動が滑稽に思え、笑いながら片手で顔を覆った。

 

 

 

 

「玄」

 

 桔梗の手が、玄の耳元の髪の毛を後ろにすく。玄がはっとして見下ろすと、変わらず目に涙を溜めながら彼女は微笑んでいた。

 

「お帰り」

 

 その言葉に、一瞬玄は目を見開く。

 桔梗も、白銀も目を真っ赤にして玄を見ている。

 

「……うん、ただいま」

 

 ふっと口元を緩めながら、玄は両手を広げると、ふたりを抱き寄せた。

 

 

 

 

 

 

「蒼龍様。有り難うございました」

 

「いや、私はたいした事はしてないよ。今回は良運が重なっただけだ」

 

 礼を言うと、蒼龍は肩をすくめ笑ってみせた。

 

「さあ、送ろう。チュイ君は置いていくといい。もう、秋も近いからね」

 

 桔梗は、頭上を飛び回る燕を仰ぎ見る。

 生きた虫が主食の燕は越冬えっとうするのは難しい。ここなら、年中暖かいし餌になる虫も豊富だ。

 

「ええ、また春に迎えに来ます」

 

 

 

 蒼龍に見送られ、一陣の風に囲まれたかと思うと、三人は大きな滝の前に立っていた。

 

「さて、これからどうするの?」

 

 目を細め、玄が言いながら滝を見上げた。

 

「どうって……特には決めて無ぇよな」

 

 白銀が桔梗へ答えを求めると、彼女は何かを思い出しかのように白銀を見た。

 

「お前、海を見たことが無いんだってな?」

 

「……え? 俺、桔梗に言ったことあったっけ?」

 

「僕も、海は見た事が無いなあ」

 

「なら、決まりだな」

 

 桔梗はふたりへ手を伸ばす。

 

「行こう。海を見に」

 

 そんな桔梗に、白銀と玄は顔を見合わせると頬を緩めながらその手を取った。

 

 三人は軽い足取りで歩きだす。

 頬を撫でる風は、心なしか秋めいていて数日前より冷たく感じる。

 

 道端に咲く秋桜に止まった真っ赤な秋茜あきあかねが、緩やかに風に揺られていた。

 

 

 

 

 

 ~終~

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