第24話 恋心

 

 

 無言のままの帰り道。

 先を歩く桔梗ききょうの背を見ながら白銀しろがねは考えこんでいた。

 

 先ほどの桔梗との出来事が頭から離れない。不可解なのはその時の自分の感情だった。

 青葉の時も同じように身体が密着した事が何度かあった。全て彼女から近づいてきたものだったが……。その時は何とも思わず、ただただ迷惑でしかなかった。

 

 だが、桔梗の時はどうだ?

 その時の彼女の細い肩の感覚が手に残り、それを思い出すと再び胸の辺りが妙な感覚になる。

 

 ────ずっと桔梗の傍に居たいんだ。

 

 昨夜の自分の言葉だ。

 

 あの時はなぜそんな気持ちになったのか不思議だったが、今分かった気がする。

 白銀にとって、桔梗という存在が特別なものになっていたのだ。

 この感情が、何と表現されるものかは知らない。だが、祖父に抱いていた感情とも少し違うような気がした。

 

 そういえば、青葉はやたらと自分に身体を密着させようとしていたが……。

 さっき桔梗が白銀から離れようとした時、それが嫌で彼女の肩を押さえてしまった。もし、青葉の自分に対する感情と、自分の桔梗に対する感情が同じものだったとしたら……。

 

 桔梗の背中を見つめながら、そんな考えが白銀の頭をぐるぐると巡る。白銀はため息をつくと、背中のかごを背負い直した。

 

 

 

 

「やあ、お帰り」

 

 庄屋の家に着くと、くろが何人かの村娘に囲まれていた。

 

「あ、ああ。ただいま。私は自室に戻っているから」

 

「お、おう……」

 

 ぎこちないふたりに、玄は探るような目を白銀に向けた。

 

「何かあったの?」

 

 桔梗が先に家の中に入ると、玄は赤い目を薄く開いて白銀に訊いた。

 

「えっ!?何かって……何がだ?」

 

「うーん……何となく?」

 

 とぼける事もできた。だが、桔梗の事について話せる共通の人物は玄しかいない。白銀は少し考えた後、真面目な顔で玄を見た。

 

「ちょっと相談したい。いいか?」

 

 玄はそんな白銀の言葉に少し驚いた顔をしたが。

 

「いいよ。じゃ、中で話そうか?」

 

 言うと玄は村娘達に別れを言い、白銀を家の中へとうながした。

 

 

 

 

「それって、桔梗ちゃんの事が好きって事じゃないの?」

 

 しれっと言う玄の言葉に、対面に座る白銀は小さく首を振った。

 

「そりゃあ嫌いな訳ないだろ? あいつは俺に色々教えてくれるし」

 

「あー……いや。そういう“好き”じゃないんだよ」

 

 玄は難しい顔で、くせ毛の強い髪の毛をがしがしと掻いた。

 

「何て説明すればいいんだろうね……」

 

 白銀は幼い頃から山で育ったと聞いている。まともに接触があったのは祖父代わりの山犬だけだとも。

 この歳になるまで同年代の異性という存在を意識する事も無かったのだろう。もちろん恋愛感情という概念がいねんも。

 

「僕は桔梗ちゃんも白君も好きだよ」

 

「えっ?」

 

 玄の意外な告白に白銀は目を丸くした。

 

 嘘ではない。

 このふたりについて来たのは、もちろん面白そうというのもあるが、妙にお人好しなこのふたりが心配でもあったからだ。

 特にこの白銀はすぐ騙されそうだったから。

 

「でも、その“好き”と白君の桔梗ちゃんが“好き”は性質が違うんだ」

 

 まるで子供相手に教えているみたいだ。と玄は思った。

 白銀は黙って聞いている。

 

「君が抱いているのは、異性……男女間で生まれる感情って事。例えば、身体に触れたいとか、ずっと傍に居たいとか」

 

 玄が片手を床につき前屈みにもう片方の手を白銀にゆっくり伸ばす。

 

「それから……」

 

「?」

 

 しなやかな指が白銀のあごを持ち上げた。そのまま、玄の顔が白銀に近づく。

 

「こうして、唇を重ねたくなる……とか」

 

 唇同士が触れるまであと少しという所で我に返った白銀が、玄の顔を両手で阻止した。

 

「──っ!!何のつもりだっ!!」

 

「ふふふ、ごめん。ちょっとからかいたくなってね」

 

「ったく……」

 

 白銀はため息をつくと、ふと昨夜の青葉と玄の行為が重なった。

 好きな相手にはああいう事をしたくなるものらしい。

 

「で、白君は桔梗ちゃんを抱き締めたいって思ったんだよね」

 

 黙って頷く白銀の頬が赤く染まっている。

 

「それは、男女間の好き……」

 

 玄は、あぐらをかいた脚の上で両手の指を組み。

 

「恋ってやつだ」

 

 そう言って楽しそうに白銀を見るとニッと笑った。

 

 

 

 

 

 

「玄、居るか?」

 

 夕食を済ませ玄が部屋でごろりと横になっていると、ふすまの向こうで桔梗の声がした。

 

「どうぞ」

 

 言いながら玄が起き上がると同時に襖が開き、部屋の中を見渡しながら、桔梗が薬湯を持って入ってきた。

 

「白君は風呂だよ」

 

「そうか……」

 

 そう言って玄の前に座る彼女の顔は、少しホッとしたように見えた。

 

「身体の調子はどうだ?」

 

 薬湯を玄の前に置きながら聞くと、玄は腕組みをしながら答える。

 

「とてもいいよ。咳をする回数もだいぶ減ったし、血も吐かなくなった。霊薬師の作る薬って霊薬じゃなくてもよく効くんだね」

 

「そうか、なら良かった」

 

「ひとつ、訊いていいかな?」

 

「何だ?」

 

「僕達、出会って間もないよね。なんでこんな事してくれるの? 君には何の得も無いのに」

 

「…………」

 

 玄の問いに、桔梗は少し考えた後。

 

「近くで苦しまれるのもわずらわしいからな……それに」

 

 桔梗は目を泳がせる。どう伝えようか迷っているようだった。

 

「私が霊薬師と知ってもお前は態度を変えなかった。それが、嬉しかったのかもしれない……」

 

 そして、目を伏せると小さく笑う。

 

「貴重なんだ。そういう奴は」

 

「…………」

 

 玄は驚いたように目を見開いた。

 

 なんて悲しそうに笑うのだろう……。

 そして思った。皆に神のように扱われる霊薬師の桔梗。忌み嫌われる殺し屋を生業なりわいとしている自分。

 まるで正反対のようだが、“孤独”という意味では同じ思いをしてきたのかもしれない。

 もっとも、玄は自分の孤独さを特に悲観した事は無かったが。 

 

 “ぽふ”

 

「──っ!?」

 

 桔梗が、驚いて固まった。

 玄が右手を桔梗の頭に乗せたからだ。

 そのまま、優しくぽんぽんと撫でられる。

 

「な、何のつもりだっ!?」

 

「ん──? 何だろねえ……死期が近いせいかな」

 

 頭を撫でながら、玄がにっこり笑う。

 

「珍しく感傷的になってるみたいだ」

 

 恥ずかしそうに頬を染める桔梗は、それでも玄の手を拒絶する事はしなかった。

  頭を撫でられた記憶が桔梗には無い。

  気恥ずかしいが、悪くない感覚だった。

 

「玄……。“病を治してくれ”と言ってくれ」

 

「…………」

 

「そうすれば直ぐにでもっ──」

 

 目の前の玄は、笑顔のまま小さく首を振る。桔梗は食い下がろうと口を開きかけたが、諦めたように目を瞑った。

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