無職になったので、世界の果てを目指して旅してます!
三ツ葉
第0章「追放編」
(1)会社、辞めました
「それじゃあ、退職日は6月末に決まったから。お疲れ様」
上司から告げられた言葉を、私は半ば呆然としながら聞いていた。
(え、おれ本当に会社辞めるの? マジで……?)
私はWebのニュースメディアを運営する仕事をしていた。会社の従業員は50人ほどだが、ベンチャー企業らしく次々と新しい事業を打ち出していくイケイケドンドンな勢いがあった。
ただ、新しい事業が次々生まれるということはそれだけ激務という意味でもある。
仕事の成果が認められてそれなりの立場にいた私は、責任に比例して業務量も天井知らずに増えて行き、ついには34連勤だの27連勤だのと生活と仕事の境界が失われたデスマーチな日々を過ごしていた。
デスクの上にリポビタンDの空ビンがピラミッドのように積み重なっていき、髪に白いものが混じり出し、目の周りのクマがなぜか赤く変色してきた頃、私は不注意から結構大きなミスをやらかしてしまう。
幸い被害は少なく、Webサービス業では最も恐れるところであるSNSで炎上するという事態もなかったのだが、この一件で溜め込んでいた感情が一気に“爆発”してしまった。
「すみません。もう無理です。責任を取って会社を辞めます」
多分、この時の自分は自暴自棄になっていたのだと思う。
冷静に考えれば、そこまで致命的なミスではなかった。リカバリーが効かないようなミスではなかった。
だが、私はなだめる声や引き止める声を振り切り勢いのまま退職願を提出してしまったのだ。
この辺りのことはあまりよく覚えていない。
ポケモンに『こんらん』という状態があるが、まさにそれ。訳も分からず自分を攻撃し、瀕死への道を突っ走っていたのだ。
2日ほど経ち『こんらん』が解け、ようやく自分のミスを客観的に考えられるようになった時にはもう遅い。私の退職願はしっかり受理され、会社を辞めることが完全に決定していた。
ベンチャー企業はスピード感が大切と何度も聞かされてきたが、ここまであっという間の出来事だった。
「やっべえ、まだ6時じゃん。空が明るいや……ハハハ」
最終出社日にPCや入館カードを返却してオフィスの外に出ると、初夏の空はまだ青さを残していた。帰り際に見上げる空はいつも真っ暗だったのだが。
激務な日々から釈放されたのに、なぜだか心は晴れない。
自分が情けなかった。
力試しのために入ったベンチャー企業で、何も成すことができなかった。結果として逃げるように会社を去ることになってしまった。
そう、私は負けたのだ。
何に?
うまく言葉にできないが、とにかく何かに負けてしまったのだ——
それからしばらく、品川区のアパートで抜け殻のような日々を過ごした。
カフェでコーヒーを飲みながら買ったばかりの本を読み、近所の居酒屋で一杯引っ掛けて家に帰ると、ネトフリで映画を観て寝る。
あぁ、なんと素晴らしき怠惰な時間。
休みなく働いていた頃に夢に描いていた優雅な生活がそこにはあった。
だけど、なぜか満たされない。
心にぽっかりと空洞が空いたまま、空虚に時間は過ぎていった。
ある日、いつものように本屋に立ち寄って店内をぶらぶら歩いていると、旅行情報コーナーが目に入った。これからの夏季シーズンに向けてか、バカンスや海水浴などの楽しげな言葉が踊っている。
猛威を振るい続けてきたコロナウイルスの脅威もようやく陰りが見え、少しずつだが日常が戻ってこようとしていた。まだ数は少ないが、観光地には外国人観光客もちらほらと見かけるようになってきている。
適当な国のガイドブックを手に取りパラパラめくっていると、空っぽだった心にわずかに火が灯る感覚があった。
知らない土地
知らない文化
知らない人々
遠い異国の風景の写真を見ていると、ワクワクした気持ちがこみ上げてくる。
そうだ。そうだった。
そもそも自分がメディア業界に飛び込んでいったのは、知らないことを知ることが楽しかったからじゃないか。
どうやら社会に出てもがいている間に、そんな初歩的なことも忘れていたようだ。
どうしたらその時の気持ちを取り戻すことができるのだろう?
どうすれば、また無邪気に自分の未来を信じることができるようになるのだろうか?
方法は一つしかないように思えた。
「旅に出ようかな」
私は小さく呟くと、ガイドブックを閉じてもとの場所に戻した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます