My Little Sister~君がいないはずの夏休み~
雪村悠佳
序章 しょうゆラーメン
「おにいちゃんおにいちゃん、和広おにーちゃん!」
どたどたどたと勢いよく階段を下りる音と一緒に、元気な声が聞こえてくる。
「一度呼べば分かるよ」
口を尖らせながら、台所にいた僕は答えた。
「おにいちゃんっ!」
すぐそばまで近づいてきた声とともに勢いよく台所の扉が開いて、ちょっと広めのおでこと大きな目と明るい笑みとが顔を出す。両側で二つにくくった髪の毛がぽんぽんと揺れている。
「おひるごはんまだーっ?」
そう言いながら、返答も待たずに台所のテーブルに座る。
「芽衣、ちょっとは落ち着けよ」
苦笑しながら、僕は流しの下の棚をのぞき込んだ。
「インスタントラーメン、みそとしょうゆと、どっちがいい?」
「しょうゆラーメンっ」
即答。
「また?」
「うんっ」
苦笑する僕に、芽衣はやたらと元気よく答える。
「はいはい。じゃあ僕はみそラーメンね」
――まぁ、最初からしょうゆは芽衣用のつもりだったけど。
「じゃあ、今から麺をゆでるからちょっと待ってね」
「うんっ」
明るい声で頷くと、結んだリボンも一緒に揺れる。
「何か手伝うっ?」
「だいじょぶ、インスタントラーメンなんて簡単だからインスタントなんだし……あ、じゃあスープの素を鉢に入れといてくれる?」
棚からラーメンの袋を二つ取り出す。
少し考えてから、二つ一緒に沸騰するお鍋に放り込んだ。なんとなく寂しい気がしたのでもやしを入れて、それも鍋に放り込む。
「お兄ちゃん、お湯も入れておく?」
「いや、お湯はこっちで入れるから、箸とか準備してくれる?」
「うん!」
食器棚を芽衣がのぞき込んでいる。その間に僕は、並んだラーメン鉢に熱湯を注ぎ込む。濁ったみそラーメンのスープと、底が少し透けて見えるしょうゆラーメンのスープが並ぶ。
「レンゲも持って来たよ!」
「ありがと」
そんな話をしているうちに茹で上がったので、半分ずつ入れて、最後に少し余った分は少し迷ってからしょうゆラーメンへ。
「お待たせ!」
既に椅子に座って待ち構えていた芽衣の前に差し出した。
出来上がったラーメンをすすりながら、僕は芽衣の方を見た。
芽衣はやたらと美味しそうにラーメンを食べる。
単なる安物の(しかもスーパーの特売の)インスタントラーメンだというのに、ものすごく美味しそうに食べている芽衣。馬鹿みたいだと人には言われるかもしれない――実際トモダチには「しすこん」だとか言うやつもいるけど、僕にとって芽衣は誰よりも大事な存在だ。
……二年前に死んだお父さんと、仕事で忙しくて留守がちのお母さん。だから、二人で過ごす時間が長かった。好きだとか、そういうのじゃなくて……ただ単純に、かわいいと思う。
小学六年にもなって言う台詞じゃないとは分かってるけど。でも、お母さんも仕事で忙しくて留守がちな今、唯一の家族みたいなものだ。近所でも有名な仲良し兄妹。
人前では言えないけど、やっぱり誰よりも大事な存在だし、大事にしたいと思う。
色々と落ち込んだり寂しくなったりした時、やっぱり芽衣の明るさに助けられてる面もあると思うから。
「お兄ちゃん、ラーメンのびちゃうよ?」
芽衣の声が聞こえて、僕は我に返った。
「あ、うん。早く食べなくちゃね」
何かちょっとぎこちない答えを返して、僕はラーメンを一気にすすった。
芽衣は不思議そうに一瞬ちょっと首を傾げて、またすぐにラーメンを食べ始めた。
食べ終わると、芽衣はすぐに席を立った。
「遊びに行く約束があるから、芽衣、出かけるね!」
そう言いながら、自分の食べ終わった丼を流しのところに持ってくる。僕も自分の分を横に置くと、先に水だけ張っておく。
「気を付けて行かなきゃダメだよ」
「うん、分かってるっ」
こくりと大きく頷くと、玄関に向かってまたばたばたと駆け足で向かう。もう少し落ち着けばいいのに、と思いながら僕も早足で後を追った。
「どこに行くの?」
「真理恵ちゃんとこ」
一度僕の方をちらっと見ただけで、あとは急いで靴紐を結びながら答える芽衣。
「夕方までにはちゃんと帰って来いよ」
そう言いながら、僕もサンダルをつっかけて玄関から外に出る。
ドアを開けた途端に、蝉時雨が玄関いっぱいに飛び込んでくる。梅雨も明けて、夏休みも近づいて、天気は気持ちのいい快晴。
「行ってくるね、お兄ちゃん」
そう言って、僕を追い抜くと、彼女は眩しい光の中へと飛び出していった。
緩い下り坂になった、県道のカーブだった。付近は家も少なく、近くで見ていたおばさんの話だと、芽衣はちゃんと車道から離れて歩いていたらしい。
スピードを少し出しすぎたトラックは、カーブで路肩に大きくはみ出した。
電話がかかってきた時、家にいたのは僕一人だった。
すぐにお母さんの携帯に電話して。……家で待ってなさいとお母さんは言ったけど、僕は居ても立っても居られなくて、自転車で警察へと駆け込んでいた。
芽衣は見たところ、大きな怪我もないように見えた。
……でも、芽衣があの元気な声を聞かせてくれることは、二度となかった。
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