第97話 不思議な出会い
「……」
夜中、ふと目を覚ましたハルトは眼が冴えて寝付けなくなってしまった。目を閉じていても再び寝付くことができない。ただひたすらに退屈であった。
「邪魔……」
ハルトは自分にしがみついて眠っているループスの腕を払いのけてベッドから抜け出すと夜更かしに興じることにした。髪と尻尾についた微量の寝癖を直し、普段着に着替えると小さな照明を片手にハルトは一人真夜中の街へと繰り出した。
夜の街は昼間に比べるとかなり寂れていた。通りには人がほとんどおらず、話し声が聞こえる様子もない。明かりがついている建物もごくわずかであった。
わずかな明かりを辿り、ハルトは真夜中のクラフテアの街を散策した。
いくらか街の中を歩くと、ハルトはポツンと明かりの灯った小屋を見つけた。そこに近づくと入り口付近に小さな看板がついているのが確認できた。どうやら何かの店らしい。
「『憩いの家』営業中……?」
看板に書かれたメッセージからはここが何の店なのかはまるで推測ができなかった。だが他の場所とは違う不思議な趣を感じたハルトは小さく入口をノックし、その小屋の中へと足を踏み入れた。
「やあ、いらっしゃい」
「あ、どうも」
ハルトが中に入ると、カウンターの奥で一人暇をつぶしていたと思わしき女性がハルトに声をかけた。様子から察するに彼女がここの主人であるようだった。
「席はどこでも好きなところを使っていいよ」
女主人に案内されるがままにハルトは自分のすぐそばにあった席に腰を下ろした。相変わらずここがどういうところなのかはわからないままである。
「あのー」
「何かな?」
「ここってどういうところなんだ?」
「見ての通り、眠れない夜を明かすための場所だよ。お金は取らないから好きなだけ利用するといい。あ、せっかくだからお茶でもいかがかな?」
女主人はやたらと饒舌になりながらハルトをもてなした。ハルトは困惑しつつも彼女の好意に甘えることにした。
「えっ……」
ハルトにお茶を差し出した女主人はなぜかハルトと向かい合うように反対側の席についた。そしてじっとハルトの顔を覗いている。まるでハルトがなにか反応を示すのを待っているかのようである。
「お茶、飲まないのかい?」
「えっ?じゃあ、いただきます」
ハルトは自由奔放に振舞う女主人にすっかり翻弄されていた。言われるがままに湯気が立ち上るカップを手に取り、必要以上に熱いお茶をちびちびと啜った。
「どうかな?」
「熱すぎてあんまり味がわからないっす」
ハルトはありのままの感想を返した。きっと味はそれなりのはずなのだが如何せんお茶が熱すぎて味がよくわからない。ハルトが特別猫舌なわけではないがこれでは誰でも同じ反応を示すだろうと感じられた。
「はははっ。だろうね」
「バカにしてんのかアンタ?」
そう言うと思っていたと言わんばかりにおちょくる女主人にハルトは軽く腹を立てた。さっきから女主人のつかみどころのない立ち回りに翻弄されっぱなしである。
「ところで君はどうしてここへ?迷子にでもなったのかな?」
「不意に起きたら眼が冴えちまってさ。眠くなるまでの暇つぶしで街をあるいてたらここにたどり着いたって感じだな」
静かな小屋の中でハルトと女主人は語らいを始めた。
「それにしても人が来ないな」
「こんな時間に人が来る方が稀だからね」
ハルトが人がいないことに言及すると女主人はあっさりとそれを聞き流した。人が集まらないのを自覚したうえでやっているようだ。
「そんなので経営大丈夫なのか?」
「心配することはないさ。ここはそもそも店じゃない、私が趣味で真似事をしているだけ」
女主人はあくまで店の真似事をしているだけであり、利益を出そうとも考えていなかった。ハルトはますます彼女に対する理解が追い付かなくなった。
「それにしてもさっきから君の耳と尻尾が気になって仕方がないんだ。勝手に動いているがどうなっているんだい?」
「これか?これは俺の身体の一部だ」
「ほう」
女主人はハルトの耳と尻尾に興味を示した。席を立ってグイっと距離を詰め、至近距離からまじまじとそれを観察する。
「ひゃんっ!?いきなり触んないでくれよ!」
女主人におもむろに耳に触れられたハルトは甲高い嬌声を上げた。だが不思議と触られても悪い気分はしなかった。
「悪い悪い。この形状や大きさからするに君は狐かな?」
「そ、その通りだが……」
「素晴らしい毛並みだね。ずっとモフモフしていたくなりそうだ」
「前も違う奴に同じことを言われたことがある」
耳と尻尾の毛並みはハルトも自負する彼女のチャームポイントであった。頭を撫でられて耳が勝手にピコピコと動いて反応を示す。
「君は実に面白い。気に入ったよ」
「それはどうも」
後ろから人形のように抱かれたハルトは女主人の成すがままにモフモフを堪能させていた。随分と触られ慣れたこともあって他人に尻尾を触られても動じることはなくなっていた。
「なんていうかさ。アンタ『お母さん』みたいだな」
「そうかい?」
ハルトは女主人の腕から母親のような温もりを感じ取っていた。それに対して女主人はまんざらでもなさそうな返事をするものの、ハルトからは見えないその表情からはどこか後ろめたさのようなものがあった。
そんな女主人の腕の中を堪能するハルトの耳に誰かの足音が近づいてくるのが聞こえてきた。足音のリズムからしてその主が誰なのかはすぐにわかった。
「探したぞ……こんなところで何をしている?」
ハルトの予想通り、足音の主はループスであった。彼女もふと目を覚ました際にハルトがいなくなったことに気づき、残り香を追ってここまで来たのだ。
ループスは女主人に抱きかかえられているハルトを見るなり怪訝な表情を浮かべた。彼女にとってはハルトが他の人間と距離を縮めていることが気に食わなかった。そんなループスの性分を熟知しているハルトは気まずそうに弁明を試みた。
「いや、その、これはだな……寝付けなくて街をぶらついてたらたまたまここにたどり着いて、それで成り行きで……」
「そんな言い訳は聞きたくない」
静かにループスはそう言い放つと女主人からひったくるようにハルトを回収していった。
「返してください。コイツを抱いていいのは俺だけです」
「別に俺は許可した覚えはないんだが……」
ループスはとんでもないことをさらりと言ってのけた。それは単なる彼女の願望であり、当然ハルトもそれを認めた覚えはない。
「帰ります。お邪魔しました」
「退屈な夜を過ごすことになったらまたおいで。話し相手ぐらいにはなるよ」
女主人はそう言うと手を振ってハルトたちに別れを告げた。その表情はどこか満たされたような満足げなものであった。
帰り道、ハルトは女主人の振る舞いが誰かに似ているような感覚を覚えたものの、それが誰かを思い出せずにもどかしい思いをしたのであった。
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