沈黙は金
私見を述べる。
兵庫県知事に返り咲いた齋藤元彦氏についてである。真偽の定まらぬ不当な疑惑をかけられ、任期途中で失職に追い込まれた彼が、再選を目指す選挙期間中、自らに浴びせられた見当違いの非難に対して一切の抗弁をしなかったのはなぜか。彼は、3年間築いてきた自らの県政の転覆計画の存在も、自分に向けられる非難が転覆を画策した者達の流したデマであることも承知していた。にもかかわらず、その事については選挙期間中一貫して沈黙を貫いた。彼が言葉にして訴えたのは、自分が始めた改革を継続し、県政を立て直したいということだけだった。今振り返ってみると、これは選挙戦略として極めて真っ当なやり方だった。疑惑に対する抗弁などしようものなら、やったやらないの水掛け論になることは目に見えていたし、言葉にせずとも自分の真意を読み取ってほしいという思いもあっただろう。
『沈黙は金』という言葉がある。彼はそれを実践した。勿論、選挙戦に勝つための戦略としてである。沈黙は往々にしてあらぬ誤解を招くことがある。しかし、彼は能弁をもってではなく、沈黙をもって語ったのである。そして、見事世間の信頼を勝ち取った。ただ、彼がこの戦略を採ったことにはもう一つ理由があった気がしてならない。彼は政敵や県の幹部職員の一部が彼を知事の地位から引きずり下ろそうとして、あらぬ風聞を流したことを知っていた。自らを弾劾する怪文書の存在を知ったとき激怒したという話も、彼が潔白であることと、県政に関わる者の中に彼に敵対する勢力のあることを、遅くともこの時点においては認識していたことを示している。能弁をもってよしとする昨今の世相を思えば、このような動きに対しては、反対声明を出してしかるべきである。しかし、彼は敢えてそれをしなかった。世間の疑惑に対して沈黙をもって答えるのは相当覚悟のいることである。その点を鑑みるに、一見非合理な彼の行為は彼の性格に起因するように思われる。おそらく、彼は世間一般で考え得る以上に高い倫理観とプライドを備えた人物なのだろう。利害の対立があるとは言え、信念に従って職務を遂行しようとする人間を意図的に陥れようとする輩と同じレベルに立って泥仕合をするのがいやだったのだ。いやだったと言うよりも、そういうことが出来ない性格なのだ。これを鼻持ちならないと見る向きもあろうが、彼の沈黙は彼の精神の高潔さを示している。選挙を戦う上での思惑はあったにせよ、世間が動いたのは、彼の沈黙の中にこの真実を見たからだろう。
さらに、世間を動かしたもう一つの要因は、『弱者への眼差し』である。これは、県立高校の施設整備や不妊治療補助など、彼がこれまで推し進めてきた政策を見れば明らかである。その彼が出直し選挙で勝利を収めたことは、県議会や市議会、ゼネコン、県幹部に根回しをし、固定票を固めて選挙を戦う従来の政治のあり方への痛烈な批判となり、また教訓ともなった。政治家がどこを見て政治を行っているか。所謂エスタブリッシュメント層(支配者階級・権力者)を見て保身のための政治ゲームをしている人間か、我々一般大衆の方を見ている人間か、そこを見極めれば、一票を投じる先を迷うこともなくなろう。
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