第3話 根岸という男

──やっぱり紫影隊長がいいです!

 贄生である裏葉の言葉が脳内に響く。泣きそうに顔が歪んで、願いを請う姿は恋をしているように見えた。

「眠れない……」

 紫影がいいとはどういうことだろう。贄生と警備隊にしか分からない会話で、蚊帳の外だ。おそらく、贄生のみが行う儀式の内容に関わるものだと察する。

 だからといって、贄生などなりたくない。自由のきかない世界で友人とも授業を受けられなくなり、白塀の限られた空間がさらに狭い世界になる。

 ふと窓の外を見ると、まだ幼い子蛇が張りついていた。

 ベッドから起きて目を合わせると、舌を出し、じっとこちらを見ている。

 学園内には多数の蛇がいた。恐怖に慄く生徒はあまりいない。蛇は信仰対象であり、白蛇を見たものは幸福が訪れると教わるからだ。

「なに? どうかした?」

 頭に直接訴えかけてくるが、窓越しなのか分かりづらい。かろうじてかすれた音が届くだけで、聞き取ることはできなかった。

 蛇とは切っても切れない縁があるし、助けを求めているのなら助けたい。

 子蛇は舌を出し、しばらくそのままこちらを見つめていた。


 一組と二組の合同体育は一限目から行われ、体育着に着替える手が遅い。

「よお、咲紅」

 隣のクラスである黒羽くろばは、恵まれた体格を持った贄候補生だ。

 ムードメーカー的な存在で、いつもクラスを盛り上げている。特に身体を動かすイベントごとでは、誰からも頼られていた。

「この前、本署に行ったんだって?」

「ああ……反省文を持っていっただけだ」

 特に深い意味はないと、素っ気なく答える。

「反省文? 何をやらかしたんだ?」

「なんでもいいだろ」

 突っぱねると、無理やり肩を組まれた。

「可愛くねえな」

「可愛くなくて結構。俺は男だ」

 重いと文句を言いつつ引っ剥がし、千歳を探した。

 壁際でぽつんと佇み、遠くを見ている。窓の向こうに何かあるのかと見てみるが、方角は警備課本署や贄生がいるフロアだ。

「千歳、バスケ始まるぞ」

「うん。すぐ行く」

 一組と二組の対決ではなく、適当に組み分けされたチームは黒羽と千歳も一緒だった。

  身長が百七十ほどの咲紅は黒羽ほど身長は高くない。その代わり俊敏に動いて相手チームを翻弄していく。スポーツでも勉強でも、ライバルと呼べる関係だ。

「千歳、シュート!」

 咲紅が叫ぶと千歳は膝をかがめてボールをコート目掛けて放り込む。

 惜しくもなく、網にすら触れずに壁に当たった。

「ご、ごめん……」

「ったく、なにやってんだよ! 肝心なときに千歳にパスするなよな!」

 黒羽が叫ぶと、千歳は小さな身体をさらに縮こませた。

 愛くるしいえくぼが見え、唇をへの字に曲げる。子供の垢抜けない顔がじわりと歪み、大きな目は濡れていった。

「そういう言い方はないだろ!」

「お前たち、何を揉めている!」

 生活指導課──根岸がやってきて、咲紅を見下ろした。

 頭の先から目、唇、首筋、胸。足の付け根には蛇のようなじっとりとした目を向ける。

 悪寒が走るが、何かされたわけでもない。ここで声を上げてもしらばっくれるだけだ。こらえるしかない。

「黒羽、咲紅、あとで指導室へ来い」

 クラス中がざわついた。指導室へ呼ばれるということは、懲罰房か反省文のどちらかだ。後者でありたくても、生徒同士の問題行動は反省文では済まない場合が多い。

「ごめん……僕のせいで……」

「千歳は悪くない。懲罰房は慣れてるから大丈夫だ。黒羽とも本気でやりあったわけじゃない。言い合いなんていつものことだ」

 親友に心配させまいと、千歳の肩に両手を置く。

 制服に着替えて地下の指導室へ行くと、すでに黒羽はいた。なんとも言い難い困惑した顔をしている。

「どうしたんだ?」

「懲罰って教師が決めていいのか? 警備課の人が決めるんじゃないのか」

「教師に決める権限はないはずだけど……」

 小声で話していると、わざとらしく咳払いをしながら根岸が入ってきた。

 机には茶封筒があり、黒羽の罰は決まったようだった。

 根岸は咲紅を別室へ連れていく。

 そこで言い渡されたのは、禁固二日の刑だった。友人と言い合いをしただけなのに、あまりに重い。

「前回授業をサボった分も含め、それを踏まえての二日だ」

「あれは反省文五枚でカタがついた。なんで過去の話を持ち出すんだ」

「禁固五日がいいのか?」

 ぎろりと睨んできて、押し黙るしかなかった。こちらの分が悪い。

 渡された着替えに袖を通し、懲罰室の中へ入る。

 冷暖房は利いているが、簡易ベッドと数冊の本しかない。白蛇を崇める宗教団体が書いた本だ。白蛇の存在、教祖とはどうあるべきか、団体としての希求──。

 昼食の時間まで筋トレでもしていようかと思ったが、時刻を過ぎてもトレーが来ない。

 見回りにきた教師を掴まえる。

「昼食って何時頃になるんですか?」

「ああ……それなら本日はない」

「ない?」

「二日間、水も飲ませず反省させろと上からお達しがあった」

「誰から?」

「それはお前が知るべき話ではない」

 ぴしゃりと言いのけられ、鉄格子を強く掴んだ。

 食べるものはどうにかなっても、水は死活問題だ。

 こんな命をかけるような懲罰を下すのは、警備課の人間ではありえない。厳しいが、彼らは生徒を争いから守り、常に治安を考え行動する。

 となると、警備課ではなく生活指導課の人間が関わっていると推測した。

 どうにかして警備隊と連絡を取りたいが、独房に入れられた今ではどうにもならない。

 ぼんやりと幻のように浮かんでくるニヒルな顔があるが、首を振って消した。

 去っていく教師に何を言っても無駄だと考え、咲紅はベッドに倒れ込んだ。ベッドの軋みが空腹を知らせる音を打ち消し、目を閉じる。

 水も飲めない中、今できることは空腹を紛らわすこと。そして無駄な体力を減らすこと。

 次第に意識が遠退いていき、咲紅はまぶたを閉じた。


 咲紅は夢を見ることが多かった。

 内容は決まって蛇が出てくる。卵の殻を破ったばかりの蛇や、ある程度成長した姿の蛇が、こちらを見て何か語りかけてくる。

 一度だけ、巨大な白蛇が登場したこともあった。人を丸飲みできそうなほどの白い巨大な蛇が口を開き、咲紅は大声で叫んだ。何度も来るな、二度と近寄るなと怒鳴り散らした。

 すると大蛇は夢に出なくなったが、それでも蛇は相変わらず夢に出る。

 金属がぶつかる音で目が覚めた。

 身体はだるく、指先すら動かすのが億劫だった。

 視線だけで音の方を向くが、二十一時には灯りが消える懲罰室では誰か確認することができない。

 足音は独房の前で止まり、ガチャガチャと鍵を慣らす。

 影からして男だった。走ってきたわけでもなく、息が荒い。

 鍵を開けた男は簡易ベッドまで来ると、布団の隙間から手を入れた。

「──っ……、…………」

 冷えた手は肩や二の腕を撫で回し、胸、腹部、太股へと下がってくる。

「起きてるんだろ?」

 かっと目を開けて布団を吹っ飛ばそうとしたが、それより先に男が上にのし上がってきた。

 ベッドは悲鳴を上げ、身体が数センチ埋もれていく。

「お前……っ……なんで…………」

 懲罰室へ閉じ込めた張本人である、根岸だった。

「お前だと? 年上に対する口の聞き方がなっとらんな」

「ふざけ……るなっ……どけろよ……!」

「教師に逆らうとどうなるか、身を持って教えてやる」

 ようやく暗闇でも目が慣れてきたが、上に大の大人が乗られ、身体を捻っても抜け出すことさえままならない。

 水分すら取っていない状態では、太刀打ちできるものがなかった。

 ふと、考えがよぎる。水も与えられない状況を作ったのは、まさか──。

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