第5話 あなたは僕のもの

 パーティー会場から手を引かれ、馬車に乗せられて着いた先は宮殿のガゼボだった。


 なにも知らない状態で連れてこられ、ここが宮殿の庭にあるガゼボだと知らないマイラは困惑している。 


(ここはどこなのかしら?)


 マイラに宿る茉依は日本人だ。愛犬と散歩中に事故に遭い、マイラ・カレンベルクの身体で今朝目覚めた。


 茉依の生まれ変わりがマイラだと、理解はしたが、なぜマイラの身体に前世である茉依自分の意識があるのか、分からない。


 人智を超えた力が働いたのかと考えたり、そんなことがあるのかと思ったり、どうにも解せない感情が渦巻く。


 人と接することがなく、ひとりぼっちで過ごしてきた茉依は、人の感情にうとく、空気も読めない。

 マイラの記憶があるが、日本と違う文化で別の世界にいると茉依は感じていた。


 この世界の人たちの髪色はカラフルだ。染めているのではなく、地毛なのだろう。


 マイラのライラック色にリラ色のメッシュという髪色に違和感があったが、水色に白のメッシュやフラミンゴピンクやサファイアブルーの髪色をパーティー会場で見かけて納得する。




 ふわりと風がそよぎ、緩やかに波打つ髪を揺らしながら通り抜ける。甘く上品な香りがマイラのもとに届く。


 香りの元を探すように視線を動かせば、ガゼボのまわりに植えられているバラに目が留まる。

 花の中心が淡い黄色で、花びらの端がピンクに染まり、花姿は華やかで、姿に負けじと芳香を風に乗せている。


 紅茶とケーキが置かれたテーブルの向かいには、パーティー会場からマイラを引っ張り出した男性が小首をかしげ、笑みをたたえている。


 黒髪に狐色のメッシュ、人の心をきつけてまどわすような美貌に、光の加減でブルー、グリーン、イエローっぽく見える、瞳。


 肩幅が広く騎士のような体格をしているが、美貌びぼうのおかげか威圧感はなく物腰が柔らかい。


 まばたき一つで色が変わる、不思議な瞳。マイラは瞳に惹きつけられて、我に返る。


(初めて会う人なのに、その眼差しが懐かしいと感じるのは、どうしてなの?)


 マイラは不思議な思いで男性を見つめる。


(いきなりここに連れてこられ、話しかけられることもなく見つめられている。どうしたらいいのかな? なんだか、居心地が悪いなぁ……)


 手持ち無沙汰ぶさたで紅茶を口にした。花のような華やかな香りが鼻腔びくうをくすぐる。


(とてもいい香り。初めて飲む紅茶だわ)


 紅茶の香りで緊張がほぐれたように感じた。マイラは無意識にほほえみを浮かべたらしい。

 それに気づいたフレーデリックの目は穏やかに細くなり、口角が上がる。


「さて、マイラ嬢。僕の名前は覚えているかい?」


 声をかけられ、男性の顔に目がいく。目が合うと、不思議な瞳に囚われて何も考えられなくなる。言葉が出てこなくて首を横に振った。


「あー、やっぱり? 僕の名前はフレーデリック・ファーレンホルスト。フォルクハルトの双子の弟だ」


(えっ? あの王太子殿下に弟がいるなんて、知らなかった。しかも、まったく似ていない)


 どう反応すればいいのか分からないマイラは無表情のままだ。


 戸惑っている様を見抜き、フレーデリックはクスリと笑う。


「驚いたみたいだね。父上も、僕のことは話さなかったのか」


 フレーデリックに指摘され、マイラは驚いていたのかと理解したが、咄嗟とっさのことで声が出せずに頷いてみせた。


 フレーデリックはケーキに乗っているイチゴをフォークで刺し、一口で食べる。


「イチゴはおいしいねぇ。僕の大好物なんだ。今は生クリームたっぷりのケーキも食べることができる。人間って、いいね」


 イチゴを食べ終え、満面の笑みを見せた。


(人間っていいねとは? どんな意味だろう)


「はぁ……」


 マイラは困惑しながらケーキを小さくカットし、口にした。生クリームがおいしいショートケーキだ。

 イチゴの酸味と濃厚な生クリームが引き立て合い、口の中で調和する。スポンジがすうっと消えていく。


 今まで食べたことのない美味しさに、マイラは夢中でケーキを平らげた。

 紅茶を口にし、満足げに息をついた。ケーキを食べたら元気が出てきた。


「フレーデリック様、なぜ私を連れ出したのですか? それに、ここはどこなのでしょうか?」


 マイラは声をかけた。緊張して、声が震える。混乱の真っただ中に、知らない男性に知らない場所へ連れてこられて、今更だが、恐怖が込み上げる。


 王太子殿下の弟とはいえ、初対面の王子殿下だ。失礼はなかったか心配になり、体まで震え出し膝の上に乗せた手を握りしめた。


「あれ? 言わなかった? 今日からマイラ嬢は僕のものだよ?」


 キョトンとしたフレーデリックが当たり前のように口にする。


(僕のもの、僕のもの? 意味がわからないわ……)


 マイラは卒業パーティーの出来事すら、何が起こったのか、分からないというのに。

 記憶に残ることを思い出し、理解していかなければならないのに、理解不能なことがまた一つ増えたらしい。


 ここがどこなのか分からないが、そろそろ屋敷に戻らなければならない。


「あのう、私、そろそろお暇を……」


 腰を上げた瞬間だった。


「今日からマイラ嬢は、僕の宮殿に住むんだよ?」


 フレーデリックは目がくらみそうな笑みを浮かべ、マイラに告げる。


(――――はっ!? 今なんて言った?? 宮殿に住む? 私が!? ……嘘でしょう?)


 マイラの視界は突然真っ暗になった。






「んっ」


 マイラは目を覚まし、目に入る白い天蓋てんがいをぼんやりと見ていた。


 白い空間に横から黒髪狐色メッシュのイケメンが、瞳の色を変えて心配そうに顔を間近に寄せてきた。


「おぉぅ」


 驚いて変な声が出てしまった。咄嗟にイケメンを手で押し退ける。


「マイラ嬢、ずいぶんな挨拶だな」


 イケメン……フレーデリックは押し戻された顔に手を当てている。


「なっ、な、な、なんでこっ、ここに……」


 何がどうなったのか、訳も分からずにブランケットからはみ出た白いフリルの付いた長袖が目に入る。


(あれぇ〜? ドレスって、長袖だったかな? しかも朝に着ていたパジャマみたい…………って! パジャマでしょ? コレ。なんで私はベッドにいるの? ……パジャマでベッド!?)


「うわぁぁ〜〜!!」


 恥ずかしさが体中を駆けめぐる。慌ててブランケットを引っ張り頭まで被り、亀のように身体を丸めた。

 マイラの突飛とっぴな行動にフレーデリックは目を丸くする。


「パジャマって、誰が着せてくれたのよー? 何でベッドにいるの? どうなっているの? なんなの? わぁ、もう、分からないことばかりだよー!」


 恥ずかしさと状況がつかめず、混乱したマイラは大きな声で喚き散らす。


「マイラ嬢?」


 フレーデリックは突然、喚き出したマイラに驚きながら、心配そうに声をかけながら落ちつかせようと肩に手を伸ばした。


「お願いだから一人にして! 考えさせて!!」


 つい、強い口調で言っていまい、マイラは我に返る。


「……分かった」


 寂しそうな声を残し、フレーデリックはベッドに丸まったマイラに視線を向けたまま部屋を後にした。

 その視線は捨てられるのではないかと怯え、悲愴ひそうにじませていた。

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