245:声という命



「う゛っ、ぁっひぅぅ」

「サトシが泣くのなんて、久しぶりに見た」

「ぁ~~っ」


 イーサ。イーサ。いーさ。

 やっと、イーサが完成した。俺が成りたくてたまらなかった役であり、劣等感と羨望と執着の相手。そして、同時に俺の愛した相手でもあった。

 俺は、“イーサ”を中途半端な世界に放り込まずに済んだのだ。


「仲本君、ほら。これを使いなさい」

「……ぅあ」


 すると、隣から酷く優しい声がかけられた。それは、幼い頃から、ずっとずっと聞いてきた遠くて近い、俺の“憧れ”の声だった。


「が、なに゛様……」

「え?」


 思わず役柄で呼んでしまった。あぁ、もう頭がフワフワし過ぎて一体自分がどこに居るのか分からなくなっている。ここは、一体どこだ?


「ふふ。カナニ様、か」

「あ、ずみばぜ……」


 そんな俺に一瞬だけ戸惑ったような声が漏れ聞こえてきたが、すぐに優しい声が続いた。


「気にしなくていい。私は好きだったよ。君に“カナニ様”と呼ばれるのはね。そう呼ばれる度に、私もカナニであろうと思えた。もしかすると、今作のカナニの声はキミが作ってくれたのかもな?」

「……ぁ」

「役に対するそういった気概は……これからも大切にしなさい。これから先の未来、君がベテランと呼ばれるようになってもね」


 金弥に体を抱き込まれる脇で、「ほら、これで涙を拭きなさい」と、優しく微笑む中里さんから再びハンカチが差し出された。勘弁してくれ。そんな事をされてしまったら、涙が止まらないじゃないか。中里さんの、カナニの声で「未来」なんて言われたら。もう、俺は。


「っう。うぇぇぇっ」


 差し出されたハンカチを受け取る事も叶わぬまま、俺は金弥の体に顔を押し付けていた。こんな酷い泣き顔を他人に晒すワケにはいかない。涙も、きっと金弥のパーカーが吸いこんでくれるだろう。


「中里さん、ダメですよ。泣いてる時に優しい言葉なんてかけたら」

「そうなのか?」

「私にも覚えがあるなぁ。最初に主演をらった収録の終わり……こんな風になったもん」

「最初の主演か……確かにそうかもな」

「中里さんくらい主演の経験が山ほどあっても、やっぱり最初って忘れられないモノなんですか?」

「あぁ、もちろんさ」


 カナニ様に続き、ポルカとソラナの声まで聞こえてきた。そうだ。今日はイーサルートの最後の場面の収録だったから、この二人も居たんだ。

 あぁ、もう恥ずかしいったらねぇよ。


「ずっと頑張ってたもんね。サトシ君」

「そうね。良かったわ。今回の仕事に一緒に参加させて貰えて。初心に返れたっていうか」

「「頑張らなきゃって思った」」


 二人の楽し気な話し声すらも、再び俺の涙に追い打ちをかける。いい加減泣き止みたいのに、一向に涙を止めさせてくれない。

 この二人は今や俺の推し……では、もうない。二人は今や俺の尊敬する“先輩”だ。俺はここで、たくさん成長させて貰った。そう、俺が金弥の背中に手を回しギュッと服を掴んだ時だ。


『……最後に、少しだけ良いですか』


 スピーカー越しに、再び監督の声が響いてきた。

 どうしたのだろう。こんな事は初めてだ。これまでにない事態に、思わず金弥の胸から顔を上げようとした時、俺の後頭部に回されていた金弥の掌にグッと力が入った。そのせいで、俺は金弥の胸の中で監督の言葉を聞く事になった。


『この【セブンスナイト4】という作品は私にとっても思い入れの深い作品になりました。なにせ、私の尊敬する……もうここには居ない彼の声も、この作品に新しい命として吹き込まれていますので』


 監督の独特の声と言葉に、俺の隣から微かに息を呑む音が聞こえてきた。中里さんだ。なにせ、中里さんは……ここには居ない“彼の声”の一部なのだから。


『それに加え、こんなにもメインに新人声優を数多く起用した作品は初めてだ。伸びしろと成長、期待と、未来を間近に見る事の出来る仕事は、今後そうは出会えないでしょう』


 淡々と、しかしジワリと心に染みわたる。

 あぁ、この声に、何度演技を止められ、やり直され……励まされてきただろう。この人の声もまた、俺の声を作った。育ててくれた。俺は滲み出てくる感情に蓋をする事なく、金弥の体に顔を押し付けた。後頭部に触れる金弥の手が、酷く熱い。


『良い“世代交代”を見せて貰いました。次は、今よりもっと成長したキミ達と共に仕事が出来る事を、私はこれからも楽しみにしていますよ』


 監督の言葉の終了と共に、スタジオ内に一斉に拍手が沸き起こる。俺ではない泣き声まで聞こえてくる程だ。


 あぁ、終わった。本当に終わってしまった。


【セブンスナイト4】という作品は、今日という日。

全てのキャラクターに“声”という命が宿されたのだ。


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