156:ちょっとマニアックなお願い

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『飯塚さんの時も思ったけどさぁ。結構マニアックなこと聞くよな。サトシって』



 中里さんが講師としてやって来た“あの日”の事だ。

金弥は、俺の質問ノートを上から下まで眺め、呆れたような声を上げた。


『そうか?』

『そうだよ。なにこの「目が覚めて一番最初にやる事はなんですか?」って』

『え?気になるじゃん。何してんのかなって。モーニングルーティンとかってヤツ?』

『モーニングルーティンねぇ』


 どこか下らないとでも言いたげな口調で復唱してくる金弥に、俺は少しばかりムッとしてしまった。


『いいだろ!俺は気になるんだ!』

『はいはい』


そう、俺は何でも形から入るタイプだ。

だから、憧れの人のモーニングルーティンがあれば真似してみたいし、その人特有の何かがあれば、生活に取り入れてみたい。


 でも、これはどちらかと言えば“声優”という職業に関する質問というより、ファンとして好きな人の事を知りたいって感じの質問だ。だから、


『ソレは別に後回しでいいからな?聞けたらでいいから』

『まぁ、当たり前だよね。俺は聞かないから』

『だから、優先順位としては、最初がコッチで』

『ん?……ちょっと待って!この一番下のヤツ……まさか、サトシ。中里さんにもコレ言うつもりかよ!?』

『ん?んーー……言えたら?』


 金弥からの呆れ気味だった視線に、少しの不機嫌さが混じり始めた。いや!ふざけてるワケではないのだ!俺も真剣なんだ!


『これ、飯塚さんにも言ってたよね!あれ、言って貰えたのってたまたまだからな!?』

『でも、言うだけタダだし』

『……』


 ジトっとした金弥の目が、容赦なく俺を見つめてくる。そんな風に言われると、何だか恥ずかしくなってきた。顔が熱い。


『さとしぃ、その顔。外ですんの……ヤめて』

『……悪かったな。キモくて』

『キモくない。でも、ヤめて』


 金弥から珍しく、俺を否定する言葉が漏れた。こんな事、顔の良い金弥に言われてしまえば「ハイソウデスカ」と頷かざるを得ない。

畜生。俺だって格好良くなりたいわい。今や声優も、顔出しが当たり前の世界なのだ。ビジュアルも良いに越した事はない。

でも、今更それを言った所でどうしようもない。


『話戻すけどさ……ねぇ、これ何?正直、大量に質問するより、ソレ一つ質問する方が大分恥ずかしいと思うけど』

『……元気なくなった時に、頭の中で再生してモチベーション上げたいから』

『頭の中で再生って……!そういうトコがマニアックなんだよ。まぁ、録音するとか言い出さないだけマシか』

『ホントは録音したいけど、許可もなくそんな事したら、相手に失礼だし』

『いや、失礼っていうかさぁ。なぁ、サトシ。こんなの、俺がいくらでも言ってやるよ』

『は?金弥から言われたって意味ないし』

『……俺じゃ不満なのかよ』

『不満って言うか……お前だって、俺にコレ言われたからってモチベーションは上がんねぇだろ?』

『上がるけど!凄く上がるけど!?』

『ちょっ!顔!ちけぇから!』


 鼻先がこすれる程に近寄ってきた金弥に、俺は思わず後ろに数歩後ずさった。

やめろ!他の女の子達も見てるだろうが!漏れなく『ひゃあっ!』って声まで漏れてきたぞ!


『別に!講義の最中にソレを言おうなんて思ってねーよ!中里さんの……帰り際とか。こないだの飯塚さんみたいに、慣れてきたトコで……言えたらなって』

『……だから、その顔止めろって』

『だから悪かったな!?キモイ顔で!』

『ちがうっ!だから、別にそんな事言ってないだろ!』


 と、そんな俺と金弥の言い争いは、中里さんの講義が始まるまで続いた。

講義中、ちゃんと質疑応答の時間もあり、聞きたい事はあらかた聞けたと思う。というか、俺と金弥以外、誰も手を挙げなかったせいで聞き放題だったのだ。ラッキー過ぎる。


まぁ、モーニングルーティンを聞こうとした時は、金弥に口を塞がれて止められて聴けなかったけど。


『ふう……殆ど聞けた!ありがとな!金弥!』

『ん。どういたしまして』


 講義も終わった。あとは、帰り際に中里さんに声をかけて、“アレ”をお願いできたら。今日の俺の望みは全て叶う!

 俺は中里さんが講師室から出てくるのを、今か今かと待ち構えた。そんな俺の隣では金弥が黙って俺を見ている。


『鍵、渡しとくから。先にうちに帰ってていいぞ?』

『いや、俺もサトシと一緒に中里さんを待つ。俺も言いたい事あるし』

『なんだよ、キン。お前何か企んでないか?中里さんに失礼な事言うなよ?』

『それ、サトシにだけは言われたくないんだけど』

『俺?俺はお前と違って常識あるから、変な事は言わないし』

『……はぁ、サトシのそういう天然なトコ、嫌いじゃないけどね』


 イケメンが涼し気な顔で『嫌いじゃない』なんて言えば、それはまるで恋愛ドラマのワンシーンのようだ。問題があるとすれば、台詞の相手が俺という事くらいだろう。クソ、なんか腹が立ってきた。


そんな事を思っていると、それまで静かだった廊下が騒がしくなった。金弥の体ごしに声のする方を見ていると、そこには待ちに待った人物が見えた。


 中里さんだ!


『では今日はありがとうございました。時間は大丈夫ですか?』

『ちょっとギリギリだなぁ』

『タクシー、もう前まで来て貰ってるので!』

『ありがとう』


 何やら急いでいるようだ。

これじゃ、さすがに“あんな事”言っている余裕はないかもしれない。そうこうしているうちにバタバタとした様子で、中里さんが講師室から出て来た。そして、そのままの勢いで俺達の前を駆け抜けて行く。


「お」


ただ、通り過ぎる瞬間。中里さんが、チラと此方を見て小さく微笑んでくれた。きっと、俺達があまりにも沢山質問をしたから、覚えていてくれたのだろう。


『かっこいいなぁ』

『……』


 本当に、年齢の割に凄く若く見える人だ。話しかけられなかったけど、待ってて良かった。そう、俺が感激しまくっている時だ。それまで隣で静かに腕を組んでいた金弥が、廊下の真ん中まで歩いて行った。


そして次の瞬間、金弥の真っ直ぐと通る声が建物中に響き渡った。


『中里さーーーん!』

『は!?おいっ!金弥!何してんだ!』


 俺は何事かと、思わず金弥の肩を掴んだ。しかし、金弥は俺の方など見ようともしない。


--------俺も言いたい事あるし。


おい、金弥。お前は一体何を言おうとしてるんだ?

 そう、俺が金弥の行動に息を呑んで、玄関の方を見て見れば、そこにはタクシーに乗り込もうとした体制で固まる中里さんの姿があった。


『大丈夫。サトシには、俺が言ってあげるから』

『え?』


 そう、金弥の口から漏れたワケの分からない言葉と共に、その顔には、どこか勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。


 え、え、え?まさか。


『“頑張れ!金弥!”って言って貰っていいですかぁぁぁっ!』

『っっっっ!?』


 言った!コイツ!言いやがった!俺がお願いしたかった事を!この状況で!あんなに急いでる中里さん相手に!

うわっ!馬鹿だコイツ!


 しかし、そんな俺の思考は、鼓膜の奥を震わせる、あの艶のある声のせいで一気にかき消されてしまった。


『ははっ!頑張れよ!金弥君!』

『へ?』


う、嘘だろ?あの状況で?中里さん、言ってくれた。遠くから、中里さんの愉快そうな笑い声が聞こえてくる。嘘だ嘘だ!こんなん普通はシカトだろ!タクシーの人だって吃驚してるし!


『う、うそだろ……?』


 違う!違うんです!本当は、それ俺が言って欲しかったヤツなんです!中里さん!


 そう、俺が心の中でどんなに叫ぼうと、時すでに遅し。そして、声に出さねば言葉は相手に伝わらない。当たり前の事だ。

 中里さんは笑いながらタクシーに乗り込むと、バタンと扉を締め、気付けば俺の視界からは消えてしまっていた。


 うそ、だろ。


『……』

『サトシ、帰ろ』

『……』

『なに?その顔』

『……』


 顔を上げて見れば、そこには悪びれた様子など一切ない金弥の顔。でも、確かにそうだ。金弥が悪いわけではない。でも、これは完全に俺への当てつけだ。

 金弥は俺が言って貰いたくて言って貰いたくて堪らなかった『頑張れ、サトシ』を、横からかっさらって行ったのだ。


『……』

『なぁ、サトシ?』

『……』


 金弥が、どこか勝ち誇ったような声で俺を呼ぶ。そして、次に続いた言葉に、俺の頭は完全に頭の中が沸騰した。


『飯塚さんの金言、何だったっけ?失敗を恐れてチャンスを棒に振れ、だったっけ?』

『~~~っっっ!』

『なに?サトシ?俺なんか間違った事言った?』

『っ!』


 悪びれた様子など欠片もない。

そんな、どこか挑発するような金弥の“格好良い顔”に、俺は余りの悔しさに肩を震わせながら叫んでいた。そう、まるで幼い頃に戻ったかのような稚拙な言葉を使って。



『キンなんかもう嫌いだ!もう絶交する!縁切った!』

『……え?』



 その日から一週間、俺は本当に金弥と一切口をきかなかった。




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「あのっ!『頑張れ、サトシ君』って言って貰っていいですかっ!」

「は?」


俺は“あの日”の記憶をその身にやつしながら叫ぶと、その場で土下座をするように頭を下げた。ずっと、ずっと。俺は心残りだったんだ。あの時、横から金弥にチャンスを奪われた事が。


中里さんに『頑張れ、聡志君』って言って貰えなかったことが。



『サトシ!ごめん!ごめんなさいっ!俺が代わりに言うから!頑張れサトシ!頑張れ……って、サトシ!?無視しないで!ごめん……ごめぇぇんっ!』




ずーっと、心残りだったんだ!


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