143:聞いた事のある声



「まったく、お前らがサトシを毒の中に置き去りにしたせいだ」

「っぐ」

「おい、それは俺が勝手にやった事だから。そんな風に言うな」


 むしろ、テザー先輩が居なかったら、俺は死んでいた筈だ。感謝こそすれ、それは完全なる言いがかりに過ぎない。

 しかし、律義にも先輩は「申し訳ございません」と頭を下げている。先輩の俺に対する立ち位置は一体何なんだと言いたい。


「毒のせいで、サトシの喉は、永続的な麻痺の症状が現れている。放っておけば明日の朝には出なくなるだろうな」

「……そんな」

「まぁ、しかし、だ。俺の体は尊いからな?俺の唾液を飲ませれば、サトシはまた喋れるようになるんだ」


 何を得意気な顔で言っているんだ。

それに、あまり外で「唾液を飲ませる」とか、平気な顔して言わないで欲しいのだが。エーイチなんか、俺の声の話を聞いていた時には泣きそうな顔をしていた癖に、イーサの「唾液」発言のせいで、完全に表情が戸惑いに満ちてしまっている。


 流して、くれないかな。いや、無理か。


「だとしたら、差し出がましいようですが……サトシの声は俺に必要なモノです。サトシに唾液をお恵みください」

「お前にそのような事を言われる筋合いなどない。それに、その言い方は腹が立つ。撤回しろ」

「いえ、撤回できません。サトシに声を、」


 こっちもコッチで凄い言い合いが始まっているんだが!


「ええい!だからお前に言われる筋合いなどない!俺はお前になど言われずとも、サトシに唾液どころか精液だって渡している!」

「は?」

「いいか?しかし、それはお前に言われたからではない!俺の判断だ!俺のこの身はサトシに捧げている!だから、サトシの身も俺に捧げられるのだ!お前の希望の入り込む余地などないっ!」


 テザー先輩がイーサの言葉に、チラと俺の方を見てきた。その顔には「まさかお前、イーサ王子と……」という、ショックの色がありありと浮かんでいた。耳の先が赤くなっているのを見ると絶対に勘違いされている。


 嫌だ!この勘違いだけは絶対に嫌過ぎる!


「ちっ、違う!違うんです!テザー先輩!それは違う!」

「違わない!何でここで否定をする!全部本当のごふっ!」

「お前はもう余計な事を言うな!?」


 俺がイーサの口を掌で塞ぎながら叫ぶと、それを見ていたテザー先輩が、予想通りの勘違いを起こしていた。


「おい、お前……まさか、この方と“そこまで”の仲になっていたのか?」

「違う違う違う!コイツが勝手に勃起して射精しただけです!俺は何も関係ありません!」

「サトシ―。焦って物凄い事言ってるけど大丈夫―?」


 エーイチからの真っ当な突っ込みすらも、今の俺には上手く処理できない。そして、テザー先輩ときたら何故か妙にショックを受けた様子で、この話題から食い付いて離れようとしない。


「そんな、まさかベイリーが……」


 いやいやいや!俺は“ベイリー”じゃねぇからな!?

 キャラと声優混同して考えるタイプのファンかよ!性質ワリィなこの人!


「そのような状況に他人が居合わせるって、それはもう完全に“そういう行為”に及んでいたという事以外考えられないだろう!どうなんだ!」

「違げぇっつってんだろ!ソレで言ったら、テザー先輩だって俺の声で勃起してたじゃねぇか!」

「っ!お、お、お前!気付いていたのか!?」

「あんだけ密着してりゃイヤでも気付くわ!」


 つーか、誤魔化せてると思ってた事に驚きだわ!

だからこの人、今日の出会い頭であんなに素知らぬ顔で俺に話しかけてきたのか!おめでた過ぎだろ!?


そう、顔を真っ赤にしながら此方を見てくるテザー先輩に、むしろ俺の方が驚愕していると、それまで大人しく口を塞がれていたイーサが勢いよく手を剥ぎ取ってきた。


「ほう、貴様。サトシの声で勃起するなど、断頭台に登る準備は出来ているんだろうな?」

「おいおいおい!たったそれだけの事でテザー先輩を処刑しようとするな!?ただの生理現象だろうが!?」

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……ベイリーにバレていたなんて。あ、あり得ねぇっしょ。死にてぇ」

「ほう、では望み通り殺してやる」

「テザー先輩!俺はベイリーじゃねぇから!あと、イーサはマジで殺そうとすんな!?」

「これ、国中に音声配信とかしたら、物凄く儲かりそうだなぁ。ダメかなぁ」

「エーイチ!お前は何でもネタにして稼ごうとすんのは止めろ!?」


 この辺りで、俺達四人の会話は完全に皆の話のツマミとして最高潮の盛り上がりを見せていた。


 だからだろう。

貸し切りである筈のこの店に、別の客が二人も入って来た事に、最初は俺も一切気付いていなかった。ただ、聞こえてきた声に俺は一瞬にして意識を持っていかれてしまった。


「お客さん、すみません。今日は貸し切りになってまして」

「すまない。ドージに用があって」

「親父に?」

「ああ。ドージと、急ぎ話がしたい。頼めるか」

「あんた、誰だ?」

「悪いが名乗れない……ただ、ドージには“また、あの頃の酒が飲みたい”と、言って貰えれば……きっと伝わる筈だ」

「……分かった」


 シバと話す片方の初老のエルフ。その声に、俺はどこかで聞き覚えがあった。どこだろう。この声も、えらく昔から聞き馴染みのある大御所声優の声だ。


 ただ、あまりにも周囲がうるさすぎるせいで、上手く声が拾えない。


 あぁ、気になる。

 誰だ。誰だっけ!この声は!


 もう喉まで出かかっているのに!そう、俺が初老のエルフを見つめていると、何故か、もう一方の若いエルフと目が合った。


「っ!」

「?」


一瞬、俺を見て大きく見開かれる目。誰だろう。記憶にはない。


「サートシ―!どうなんだ!お前はこのテザーも射精させたのか!答えろ!」

「……誰だ?」

「まったく!サトシときたら!一体どこを見ている!こっちを見ろ!」

「うわっ!」


 そうやって突然入ってきた客二人に奪われていた意識は、物理的にイーサによって引っ張られた腕のせいで一気に喧騒の中へと引き戻されていた。

 そして、気付けばあの二人の客は店の奥へと消えていた。


「サトシ!サトシ―!どうなんだ!したのか!?」

「あー、はいはい。うんうん。したした」

「したのか!?あ゛あああっ!」


 一瞬にして俺の思考から消えてしまったその疑問。しかし、その声の正体に、すぐに気付く事になるとは、


「あ゛――――!」

「うるせぇっ!」



 この時の俺は、思いもよらなかった。


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