閑話:絆と朱音
こちら閑話になります。読まなくても本編に影響はありません。
ただ、読めば話をより一層楽しめるかもしれません。
──────
「ん……」
「おや、絆ちゃん。ようやく起きたかな?」
助手席で寝ていた絆が
眠い目を擦りながらゆっくりと
北城村へ引っ越す以前によくお世話になっていたご近所さん──瀬戸 朱音の姿である。ぼんやりであるが、こちらを覗き込んでいるであろう朱音の顔が徐々に浮き上がってきた。
その顔が朱音だと理解した瞬間、絆は「はっ」と跳ねるように身を起こした。助手席の
「朱音さ──」
「しー、静かに。皆寝ているからね」
朱音が人差し指を縦にする仕草を見せる。それ以上に何も言われなかったが、状況を察したのか絆は小さく頷いた。
そっと後ろの方へ振り向けば、桜をはじめ皆が薄暗い車内に寝息を立てて横たわっていた。かなり熟睡している様子であるが、大きな音を立ててしまえば起きてしまう可能性も高い。
そんな様子を確認した絆は
今いるこの場所は、朱音達が助けに来てくれた時に運転していたキャンピングカーだ。寝る寸前までの記憶を探れば
運転席では流石に沈黙の中で一人でいるのも落ち着けないと朱音が感じたのか、今は小さな小さな音量でカーラジオが流れており、曲調はチル系のジャズミュージックであろう。随分とローテンポであった。
絆が身体の向きを変え、車窓から外を見る。明るい電灯が灯る建造物が目に留まった。独特な形をした給油設備に自動販売機。見るにどこかのガソリンスタンドに停車したものと伺える。
空の様子を見る限りでは明け方までまだ数時間はあると思われる程に暗くそして……
寝起き間際、回らない頭の中でも今がどういう状況なのか大方察することができる。気づいた絆は焦りながら顔を赤らめた。
「あたし、結構寝ちゃってたみたいですね」
北城村近辺で朱音と再会した時である。3年ぶりに出会う朱音の姿を見て思わず泣いてしまった。けれど泣いている中絆の緊張の糸が途切れたのか、疲労感がどっと襲いかかり泥のように眠ってしまったのだ。絆自身も寝る寸前の記憶が全く無いくらい、言わば『爆睡』状態であった。
何時間寝ていたのか、ここが何処なのかも全く分からない状況だ。絆は近くに時計がないかきょろきょろと目を配らせたがすぐに見当たらない。
「うん、ぐっすり。お陰で絆ちゃんの可愛い寝顔が拝めましたよ」
朱音が茶化すようにして絆の頬を指先で軽く
あれからもう3年も経っているのだ。絆も小学生から中学生になり成長しているはずなのに……
それなのに、いつまでも子供扱いする朱音に少しだけヤキモキしてしまった。
それでも朱音の隣である助手席でばっちり寝てしまったのは事実に変わりない。そりゃ、朱音に茶化されるだろうなぁと内心思いつつ、目を背けるようにして外を見やった。
ややあって絆が「朱音さんは寝なくて大丈夫なんですか?」と切り出していく。
「アタシ? 大丈夫だよ、後ろの子達が先に寝かせてくれたからね。いつもより睡眠時間少ないけどアタシも
「そうだったんですか……」
例の化物の件がある。いつ襲われてくるか分からないため朱音達が交代で寝ていたのであろう。無神経に一人で寝てしまっていた絆は沸々と申し訳なさも感じてしまう。
そこまで勘づいた絆に気づいたのか、朱音が「もしかして、心配してくれてる?」歯を見せた。
絆に気遣われて嬉しかったのであろう。本意半分茶化し半分といったところだ。相変わらずのマイペースぶりに絆は「もう!」と頬を膨らませ、またこれを面白いと感じているのか朱音は声を殺しながら笑うことに。
しばしカーラジオの奏でる緩やかなジャズミュージックを、絆は身を預けるようにして聞いていた。
「絆ちゃんも本当に久しぶりだね。
「え、ええ……なんとかですけど」
改めてこうして2人で話すのは恐らく3年ぶりであろう。
北城村で朱音と出会った当初は、絆も感情が入り乱れすぎてごちゃごちゃになっていた。その為一方的に自分の思いを吐き出してからすぐに寝てしまったので、まともに話すことができなかったのだ。
絆から見れば、3年経っても朱音は何一つ変わっていなかった。声も顔色も、髪型も離れる以前のままであり、3年間の時を感じさせなかった。この調子であれば恐らく性格も大きな変化はないだろう。
だから、いつも知っている朱音として絆は気楽に接することができた。懐かしさと嬉しさが相まって鼓動が早くなっていることは朱音には内緒であるが……
そんな絆の返事を聞けば、朱音も安心したかのように「そっか」と呟き眠そうに目を細めた。
「長い間会えなくて寂しかったでしょ?」
「もう、朱音さんってば!」
強がってみせるが、現に絆は嬉しさのあまり朱音の前で感極まって泣いてしまったのだ。
朱音の仰る事は悔しいことに全くその通りで、絆が心の底から会いたくて会いたくてたまらない人物であったのは本人も認めざるを得なかった。
今更隠すことはできず絆は「分かってるくせに……」と口を
これには流石の朱音もやりすぎたと感じたのか「冗談冗談」と
「
撫でながらそう聞いてくる朱音に対して絆は「もちろんですよ」と踵を返す。
「あたしも家事とか色々できるようになったんですからね」
絆は得意気な口調で話を続けた。
料理ができるようになったこと。誕生日の日に桜の好きなものを作ったら喜んでくれたこと。雪の日でも歩いて買い物に出かけたこと。姉が疲れている時には家事炊事を全部やったこと。
時折誇張を
もちろん、朝寝坊しがちで桜によく起こされた話等はしなかった為、どれもこれも頼れる絆が出てくるエピソードばかりである。あまりにも立派な
当の朱音は話の内容より
「あの子はなんでも一人で抱え込んじゃうタイプだからね。絆ちゃんがしっかりと助けてあげないと桜ちゃんパンクしちゃうからさ」
「そ、それも分かってますよ。お姉ちゃんはあたしに任せてください。」
朱音は嬉しそうに「うんうん」と頷いた。
その後どこか懐かしむような表情で「頼むよ、絆ちゃん」と言ってくれた。朱音には似合わない真剣な顔つきで。
「分かってますよ……朱音さん」
言われなくても分かっている。例え、また桜と2人になっても姉を支え続ける姿勢は変わらない。お互いに助け合って生き抜く覚悟はすでにできているのだ。
それに……
今自分がしっかりしないと桜は間違いなく道を誤ってしまうだろう。
夏希という呪縛のような存在に囚われ、見えない何かを探るかのように追い続けている。
まるで、血縁が呪いのように桜へ付き纏い、彼女を苦しませているのだ。
そんな桜の因縁を断ち切ることができるのは、他の誰でもない『自分しかいない』と絆は自覚していた。夏希とも、桜とも血の繋がりが無い『売木絆』にしか出来ない使命であると。
だから、自分がしっかりと支えて彼女の目を
「ねえ、朱音さん」
「ん? どうしたんだい?」
流れを変えようと絆が声をかける。朱音はいつもの調子で返事をしてくれた。
「お姉ちゃん……また、夏希姉さんに似てきましたよね?」
絆の言葉を最後に沈黙が少しの間だけ続く。朱音の顔色を伺うと『それ、言っちゃうんだ』と言いたげに目を丸くしていた。てっきり朱音のことだから笑いながら流してくれると思っていたが、そうでもなかったらしい。朱音は歯切れが悪そうに「う〜ん」と声を漏らしていた。相当言葉を選んでいる様子だ。
「あ〜。それは確かに思ったね。流石に本人の前では言えなかったけどさ……」
それこそ3年前までならネタとして朱音も笑ってくれていたが、今となってはそうもいかないようだ。自分があの売木夏希の妹だから気を遣ってくれているのか、『笑えない程』になってきたかのどちらかだ。
「いいですよ、気を遣わなくて。あたしも一緒にいて思うんです、日を追うごとに夏希姉さんに似てきているなって」
「似ている……ねえ。久々に会ったけど驚いちゃったよ。話し方とか、声とかも夏希ちゃんに似てきたしさ。見るだけで昔のことを思い出しちゃったよ。夏希ちゃんもあんな感じだったんだよねぇ、17歳の時も……」
昔の夏希については
そんな売木家のことをよく知る、朱音が驚くぐらいなのだからその酷似っぷりは相当なものであろう。
「
「ふふふっ。零佳姉さんと弥生姉さんは逆に極端ですよね」
朱音の言う通り、当の双子である零佳と弥生は全く似ていない。性格も、顔つきも、体つきもそして生活スタイル含めて何もかもが異なっていた。普通の人があの2人を見て双子であると当てるのはまず無理であろう。
「でも、あんまり桜ちゃんに似てる似てるって言うのは本人に失礼だからさ、アタシも控えてはいるんだけど…… いくらなんでも似すぎだよねぇ」
「そうですよね……」
夜のことを思い出す。化物相手に立ち向かった桜の姿は、絆の目から見てもあの夏希の姿そのものであった。あの時の桜を仮に朱音が見ていたら何て言うのだろうか。『似すぎ』という表現では恐らく落ちつかないだろう。
絆は思う。
桜の呪いを解放する為には朱音の力も必要不可欠であると。もちろん彼女から率先して変えるように働きかけてくれることが理想であるがそうもいかないだろう。
彼女が持つ姉の情報は今の絆にとってとても貴重なものであった。絆はあの夏希と同じ屋根の下を過ごしていたとはいえ事件が起きるまではそこまで強い興味を持っていなかった。自分にとっての一番上の姉。一番近い姉である桜に似ているけどその程度。言うなれば普通の家族の一員として過ごしてきただけである。
──桜お姉ちゃんの中から、夏希姉さんが離れるには一体何が必要なんだろう。
皮肉なことに化物と遭遇して、より一層強く感じてしまった。命懸けで自分を守ろうとしてくれた姉だからこそ救ってやりたい。そんな思いが大きく膨らんでゆく。
例の異形の化物との邂逅。とても怖かった、とても辛かった。けれどあの
──それに、あの黒の化物……?
禍々しい姿、忘れたくても忘れられない程のショッキングな見た目をしていたのは間違いないが……
「あ〜あ、ダメだね。昔を思い出したらついおセンチな気分になっちゃったよ。こうしてアタシも歳をとっていくのかねぇ〜」
絆の思考を遮るかのように朱音が隣でそんなことを言い始めた。どうやら夏希の話から一人勝手に思い出に浸っていたようである。
絆は考えるのを止めて、小首を傾げてこう言った。
「歳って…… あれ?朱音さんっていくつでしたっけ?」
「今年で27だよ。はぁ…… 歳はとりたくないもんだねえ」
そういえば、桜と朱音は10歳差であったことを思い出す。よく朱音が「10年一昔って言うから、アタシと桜ちゃんは
一昔……10年……
10年という月日。考えてみれば絆と朱音が出会った頃から丁度10年経っている。
絆も桜も小さかった10年前。あんまり覚えていない10年前。あの朱音も17歳であった10年前。
10年前は一体どんなことがあったのだろうか。姉達のことはもちろんだけど……
あたしは……
全く聞いた事のなかった10年前の話。学校では『当時戦争中』であったと教えられていた。何年かにわたり繰り広げられた内紛『権威戦争』。あの皇女が尽力しなんとか終戦させた『権威戦争』。
けれど、言ってもその程度。自分も周りに何が起きていたのかは何一つ知らなかった。思えば不思議な話である。桜と初めて出会った時のことなのに聞いたことが無かっただなんて。
もしかしたら、朱音なら何か知っているのかも知れない。10年前のこと、桜と出会ったあの日のこと。あの時のことを。
一体何が起きていたのか……
止まることを知らない絆の興味。今すぐにでも聞いてしまいたいと思った。
でも、聞けなかった。確率は低いだろうけど、もし仮に朱音が知っていたら? ヒントになるようなことを口にしたら……?
それを思えば、まだ絆の中で覚悟ができていなかった。それに、時間も全然足りないだろう。
だから、絆は微笑みながらこう言った。
「27って……まだ若いですよ、朱音さん!」
「それを14歳の思春期ガールに言われてもなぁ……」
慰めたつもりであるが、逆に拗ねてしまったようである。一応「気持ちは受け取っておきますよ、絆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます