静かな車内

「全く、やってられないわね」


 場所は東京都から外れて埼玉県の某所の付近であろう。電灯も少なくなり、景色も殆ど黒色で見えなくなってしまった。

 暗い夜道を走る黒色のSUV中で助手席に座っていた女性が一人、窓の外を眺めながら呆れ口調でそう言った。


 すらっとした眉筋に綺麗な顔立ちをした女性だ。肩まで切られさっぱりとしたイメージを持つ髪型。声色はそれに伴うような形でかなりはっきりとしていた。


 上は上等な軍服であろう。しっかりとした生地で編み込まれた迷彩柄の上着に、深緑の柄をしたズボン。下手にダボついておらず、動き易いと言われれば動き易い格好なのかも知れないが、やや窮屈さも感じられるものである。


 そんな彼女がやや怪訝な顔を浮かべ一つため息を吐いた。


「一体、何がなんだか……」


 その言葉は隣で粛々と運転する男へ向けた言葉でも無さそうだ。側に座り黙って運転する男もまた彼女と似たような格好をしており、一見すれば同じ所に所属しているものと見て取れる。


 ただの独り言、運が良ければ返事が来る。その程度の気分で発した言葉であった。


 

 今日は散々であった。時刻は午後8時近く……そろそろ一日も終わりに向かうこの頃合。その日の反省をしようとすればその一言で纏められるようなものであっただろう。黒の瞳で窓を睨むように見つめる女性はそう感じていた。


 つい数時間前のことである。彼女の所属する軍の上層部より『お達し』が来たのだ。


『皇女暗殺事件について更なる調査をすべく、下記の人物二名を連れてこい』と。お達しにはもう少し上質な表現で記されていたものの、ざっくりと言ってしまえばそんな感じだ。ご丁寧に顔写真まで添付されていた。


 今更皇女暗殺事件について夏希の妹2人を連れてこい……? 


 明らかに不自然極まりないその任務ミッション。あまりの可笑しさに言われた時は笑いすらも込み上げてきそうであった。

 

 そもそも皇女暗殺事件は売木夏希の死刑判決をもってして着地した事件である。仮に、まだ調査すべき点が残っていたとしても、自分達がやるような仕事でも無いだろう。それに加えて、妹2人を連れてきたところで何を調査するのか。挙げればキリが無いくらい、突っ込むポイントが多数存在していた。雑にまとめるにしても、もう少し最もらしく仕上げてくれと思いたくもなる。



 それでも、彼女…… いなずま みぞれは引き受けた。



 真の目的が他に何かあると感じたから。事件の真相に踏み込むことができるのではないかと感じたから。


 当然、上層部は教えてくれない。ただ一言「いつもの通り、極秘任務だ」の一点張り。霙達が受ける任務は全部『極秘』とされている為、霙にとっては聞き飽きているような言葉であった。


 正直、怪しい任務を任せられただけであれば『散々な一日』と判定するまでには至らなかっただろう。せいぜい『嫌な一日』程度、先に発した愚痴じみた言葉も無意識に出ることもなく、ここまで不機嫌にならなかったはずだ。


 横の男と二人で東京から長野の北城村まで7時間以上のドライブだって慣れている。別に寒いのが苦手で長野へ行くことを躊躇っているわけでもない。どちらかといえば霙は都会の雑踏ざっとうより澄んだ空気の方が好きであった。そのため、長野へ行くこと自体は彼女にとって『楽しみな方』として括られていた。そんな悠長な気分でもないが。



 問題はこの先である。


 

 いざ東京から出発しようとした時、街が謎の化物の来襲を受けたのだ。通称『エイト』と呼ばれる未確認生物だ。


「最初に発見コンタクトされた場所が『八王子』だったからエイトだなんて……国のネーミングセンスは相変わらず悲惨なものね」


「考える暇が無かったのだろう」


 そう、3日程前初めてその化物は『八王子』にある皇女の墓所にて発見コンタクトされたのだ。だから『八王子』にちなんで──エイト──。

 役所は頭の硬い連中ばかりだから、そんな名前にもなるのだろう。ネーミングデザイナーの一人や二人、雇うべきだと霙は息を吐くようにして運転席に座る男へ愚痴を続けた。


 結局、現れたエイトは2人の手によって辛うじて駆除することが出来た。そこまで数が多くなく犠牲者を出さずになんとか凌ぎ切れたが、お陰様で出発時刻が若干遅れてしまった。おまけに逃げようとする人々がいたものだから渋滞が酷く、東京を出るのに2時間近くかかってしまったのもストレスの要因であるが……


 元はといえば……


 そう思えば、心に溜まった気持ちを吐き出さずにはいられない。霙は強い口調で吐き捨てた。


「それにしても、もう3日目よ。なんで私達・・が…… 皇軍がちっとも動かないだなんて、ふざけすぎてるわよ」


『嫌な一日』がここで『散々な一日』へと纏められてしまったのだ。3日前からエイトが日本の各所にて姿を現した。その都度、エイトの相手をしているのは霙達が所属する軍であった。


 彼女らが所属する軍は国に属していない。どちらかといえば『民間』の部類にあたる独立軍:東部独立部隊──通称:旧東軍と称される皇軍とは別の軍である。


 その旧東軍が今、一丸となってエイトと対抗しているのだ。理由は霙が述べた通り、皇本軍くにが全く動かないから。


 そもそも、対外の脅威に対しての仕事は皇軍が行うものだ。皇軍が率先して動いてくれないとその配下的存在である本軍も動くわけがない。それだというのに、全く対処してくれないのだ。


 霙の言葉で表現するのであれば『野放し状態である』。至極真っ当な表現であると彼女は主張した。


「皇軍が取り扱う問題はの問題だからな。今頃、国が取り扱うべきことか慎重に協議しているのだろう」


 横の男が淡々とそう述べる。無関心なのか分からないが、いつもの調子だ。


 確かに、皇本軍が取り扱う問題は国の問題とされる。国営のテレビで今だにこの事件が取り上げられていないあたり、やはり彼のいう通り先程現れた敵が国の脅威かどうかを検討する慎重・・な協議が今頃されているのだろう。


「馬鹿馬鹿しい。にしても時間がかかりすぎよ。ほんと、役所って臨機応変に乏しいわね」


「書類がなかなか通らないのだろう。現場は徹夜で動いているだろうがな」


 こういった現場に出くわすとつくづく自分は『民間』の方が肌に合っていると霙は思えてしまう。むこうより報酬は安いが、窮屈さを味わうよりかは幾分かマシであろう。


「北陸の部署の同期が言っていたけど人が少なくて大変だって。私達・・は国みたいに人が豊富じゃないから早く対処してほしいものね」


 まさか、この事件を民間に任せるだなんて国は思っていないだろうか。そんなことまで邪推してしまう。今でこそ何とか堪えている状態であるが、早く国が介入してくれないと旧東軍だけではジリ貧に終わってしまうだろう。

 

 考えれば考える程腹が立ってくる。それに気づいた霙は横の男へ「この話はやめましょう」と自ら話の流れを制止した。


 暫くした後、霙は改めて「それにしても……」と切り出した。


「本当、エイトって何者なのよ…… 国が落ち着いていない時にあんなのが来るだなんて、嫌になっちゃうわね。先輩はどう思います?」


 どうやら横に座る男は彼女にとっての先輩・・に当たる人物であったようだ。呼ばれた男は前を見たまま「分からないな」と表情を崩さず一言だけ返した。


「そう。先輩も知らないんじゃ仕方ないわね。あの伝説・・三河みかわ先輩が知らないんじゃ」


 あえて嫌らしく強調する霙に三河と呼ばれた先輩は「茶化すな」と静かな口調で返した。あいも変わらず表情に動きなし……


「つまらないわね」

「悪かったな」


 こんなやり取りも過去何回繰り返しているのだろうか。

 それでも変にオドオドする男よりか、彼みたいな淡々とした男の方が相棒バディとしてやりやすいと霙は感じていた。


「しかし……なんでSUVなんだ……」


 カーブでギアを落としながら三河が小さく呟く。


旧東軍うちからヘリなんて出るわけないでしょ。それにヘリで北城村なんて行ってみなさい。住民がびっくりするじゃないの」


「いや、車両で行くこと自体は想定していたんだが……なんでよりにもよってSUVなんだ……?」


 そこに来て霙はようやく彼の言いたいことを理解したのか「あぁ、そういうことね」と言葉を溢す。

 このSUVは軍から支給されたものだ。その理由なんて霙も到底知り得るものではない。


「さあ? 北城村の道は舗装されていないみたいよ。悪路も多いことを懸念した上がご丁寧に四駆を渡してくれたってことじゃない? それにいくら車にこだわりが無いからといっても、軍の人間が軽自動車で登場っていうのもあんまりサマにならないじゃない」


 そう霙が言うと、横から「そうか……」と聞こえてきた。依然として無表情のままであるが、どことなく不満そうにも伺える。


「あら、SUVは嫌いだったかしら? 私は好きよ、どんな道でも走りこなすパワフルさとかに心を惹かれるわね」

 

 任務ごとに車両の型が違うだなんてよくあることで、珍しい話でもなんでもない。今更何を思うことがあるのだろうか。追及する霙に三河は「別にどうでもいい話だが……」と保険じみた前置きを据えた後こう述べた。


「四駆は燃費が悪い」


「本当、どうでもいいわね」


 霙はゆっくりと座席を後ろへと倒した。

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